恩寵の返還と助けに向かう者
「おい! 見てるんだろ女神イストワール! 今すぐ出て来い!」
レイヤの中で不可能を可能に出来ると睨んだ人物。それがこの世界へと連れてきた女神イストワールである。
「……」
……しかし、何も起こらなかった。返事もなければ姿を現すこともない。絶対あの女神は傍観しているはずなのでこの状況も知らないわけがない。
元の世界で同じことをしたら完璧にヤバい人と認定されるだろうなと思いながらもレイヤは続けた。
「いいのかっ! 協力したらお前の望むような展開が拝めるかもしれないんだぞ!」
少しでも女神の興味を引く内容を告げる。これでも駄目だったらもっと具体的なことを口にするしかないとレイヤが覚悟を決めたそのときだった。
「それは本当かしらっ?」
「っ!?」
いつの間にかレイヤの背後にそれは立っていた。耳元に囁くその忌々しい声に背筋が凍り、レイヤはすぐに距離を取る。
エメラルドグリーンの髪を持ち、人の良さそうな笑みを見せるのは相変わらずであった。
プニーが『あー。女神様だー。だー』と言うとイストワールは嬉しそうに彼に向けて手を振った。プニーとは反対にレスペクトは警戒心剥き出しのオーラを放っているが、女神は素知らぬ顔である。
そんな彼女の登場の仕方は少し悪質だという印象を抱きながらもレイヤは姿を見せたイストワールに要求をぶつけた。
「あんたならイルが今どんな状況かわかるんだろ? 教えてくれ」
「そうね……他ならない怜也さんが知りたいのなら教えてあげるわ。イルは今深海で魔物と戦ってる最中よ」
「は……? 深海で魔物と? どういうことだ!?」
「どうもこうも魔物討伐に向かったけど、ちょっとどころかかなりピンチな感じなのよね」
『イルは海の中で息出来るの? の?』
「魔法で海の中でも息が出来るようにしてるみたいよ」
『貴様、あまりにもふざけたことを口にすると頭から丸呑みにするぞ』
「私そんなに信用ないのかしら? ちゃんと本当のことを言ってるわよ」
三者三様の問いかけに答えたあと、イストワールはパチンと手を叩き、にっこりと微笑む。
「はい、質問は終わりよ。創造神だからなんでも知ってるけど、全てを答えるわけにはいかないわ。干渉しすぎちゃうもの」
(十分に干渉してる奴が何を言ってるんだ……)
「怜也さん。思ってることが顔に出てるわよ」
あからさまに顔に出していたのか、イストワールに指摘されるとレイヤはすぐにスンと表情を無にした。
「イルが危ないなら今すぐあいつの元へ連れて行ってくれ。あんたテレポートを使えるんだろ。俺をここに落としたときみたいに飛ばしてほしい」
イストワールがテレポートと口にしてこの世界に落とされたレイヤはそのときのことを忘れてはいなかった。
高い所からイルの家に突っ込んだあのときはめちゃくちゃな目に遭ったが、同時にイルと出会った切っ掛けでもある。
そんな女神の力さえあれば王都も一瞬で辿り着けると思い、レイヤはイストワールの協力を求めたが、彼女は人差し指でバツを作り、首を横に振った。
「そこまでは出来ないわ。私のルールに反するもの」
「なっ……! どうしてなんだ! イルがピンチなんだろっ!」
「さっきも言ったけど、干渉しすぎるからよ。万能女神様が手を貸しすぎたら人は成長しないし面白くないもの。そもそもこうやって呼びかけただけで姿を見せることすら普段はしないんだから」
「なん、だよ。ただでさえ時間が惜しいのに手を貸さないのか!? もし、イルに何かあったらどう責任取るつもりなんだ!」
あれだけイルと宛がおうとしていた女神が肝心なときには協力をしない態度にレイヤは今までの鬱憤もあり、イストワールの胸ぐらを掴みかかる。
普段は温厚というか大人しいレイヤの激昂にプニーは驚きながらあわあわとレスペクトの上で戸惑っていた。
「怜也さん、さすがにそれは言いがかりじゃないかしら? 子どもじゃあるまいし、何かあったらそれは全部イル自身の責任よ。彼女が自分で判断し、行動に移したのだから。そんな子を救えないのはただ単に怜也さんの力不足なだけでしょ? それを私のせいにするなんて勘違いも甚だしいわ」
レイヤに掴まれても取り乱すことなく、子どもを諭すような物言いと笑みを向けるが、その瞳は笑っていなかった。
「っ……」
レイヤは初めてイストワールに恐怖を覚えた。いつも恋愛脳女神だと口悪く思っていたが、今は本能的に相手を怒らせてはいけないと無意識のブレーキがかかる。
ようやく彼は自分の目の前にいるのが神と言う名の化け物だということに気がついた。
彼女が本気になれば隕石を落とし、世界を無に帰すことすら容易い存在である。
そして自分が力不足だという言葉も胸に突き刺さった。言われるまでもなく自分が一番よくわかっていたからこそ。
「早くその手を離してくれるかしら? この世界の子でもない他所の箱庭の子だろうと私への乱暴は許せないわ」
「……」
何も言わずイストワールから手を離したレイヤだったが、それで諦めるわけにもいかなかった。
『これでわかっただろう、小僧。そいつは口だけだ。さっさと動くぞ』
『レイヤー。レスペクトが出発するってー。てー』
最初から期待していなかったレスペクトが再度歩き出すもレイヤは動かない。彼にとっての頼みの綱が女神イストワールだから。
「……あんたはどうせ知ってるんだろうけど、俺はイルが好きだ。別にあんたの思い通りに従ったわけじゃなく、俺の意思でイルの人間性に惚れた。だから危険な目に遭っているなら助けたいと思うのは道理じゃないのか? その方法が目の前にあるなら何がなんでも手にしたいに決まってるだろ」
面と向かってイルへの気持ちを吐露するレイヤ。その感情の変化を知ってはいたが、直接口にする様子を目の当たりにしたイストワールはにやけそうな口元を手で押さえながらも今さらではあるが女神としての威厳を保とうと咳払いをする。
「その心情の変化は私としてはとても喜ばしいことだけど、それはそれ。これはこれなのよ。ただでさえ怜也さんには恩恵も与えているのに助力しすぎるのは━━」
「ならその恩恵とやらを返すからその代わりに俺をイルの元へ届けてくれ」
「……えっ?」
まさかの返答にイストワールは間抜けな声が出てしまう。
……今、恩恵を返すって言った? と自分の耳を疑うほど信じられない言葉だった。
「な、何を言うの怜也さんっ。そのフードリアリゼーションはあなたのためであり、イルを支えるためのもので━━」
「そんな力を使わずとも自分の力でイルを支える。そもそもこれを恩恵というのなら、俺はこんなものに一度もありがたみを感じたことはない」
「そんな……」
どんな食材をすぐに目の前に出現させる力、フードリアリゼーション。
元はスイーツ作りをするイルを手助けするためにレイヤに与えたものだったが、本人が女神に嫌悪感を抱いていたため、反発するようにその力を利用することはなかった。
そういえば実際にその力を使ったのは片手で数えるほど。しかも、試しに使ったりとか、証明するために使ったくらいしか記憶にないイストワールはレイヤの言葉が本気だと理解する。
「でも、その力さえあればどんな貴重な食材も、高級な食材もなんでも手に入れることが出来るのよっ? 凄いことでしょ? それでも女神の恩寵を返還すると言うの?」
「そんなものよりイルの元へ飛ばしてくれる方が一番の恵みだ。そうすれば俺はイルを助けに行ける。あんたの見たい展開じゃないのか?」
はっきりとした物言いにイストワールは唇を噛み締めた。
女神からの施しの力をいらないと言わんばかりに返還を求めるレイヤの態度に反感を抱くが、その力と引き換えに好きな相手を助けに行くための瞬間移動を願う姿には感銘を受ける。
それに彼の言う通り、レイヤがイルのピンチに駆けつけて彼女を助けるという場面は恋愛物語が大好きなイストワールにとってはときめく展開だった。
そして女神は決心する。
「……わかった。わかりました! 怜也さんの強い想いに感動したわ! フードリアリゼーションと引き換えに、たった一度のテレポートをあなたにかけてあげる」
「! 本当なんだなっ?」
「えぇ」
『待て。私も行く』
『僕もー! もー!』
イルの元へ一瞬へと飛ばしてくれるならとレスペクトとプニーも同行しようとするが、イストワールは残念そうな表情と共に首を振った。
「ごめんなさいね、怜也さんだけにしか使わないの。そこまでの大盤振る舞いは出来ないわ」
『ならば無理やり使用させるまでだ』
レスペクトの隠れている目が光ったような気がした。彼の背後にはただならぬオーラも纏っているように見えるので何を口にしたかわからないレイヤもこれはまずいと冷や汗を流す。
彼を止めることが出来るのはやはり主であるイルだけかもしれないが、その彼女がいない今、彼を宥めることが出来るのはレイヤしかいない。
「レスペクト、ここは俺に任せてくれないか。絶対にイルを連れ戻すし、もしかしたら入れ違いになる可能性だってある。だからプニーと共に待っててほしい。頼む」
レスペクトの前に立ち、なんとか今は納得してもらうように説得する。時間がないということは相手もわかっているはずだから。
『レスペクトー……早くしないとイルが……イルが……』
『……』
プニーの悲しげな声がレスペクトの耳に入ると、彼は盛大な溜め息を吐き出したあと、ゆっくりと身体を伏せた。
『……勝手にしろ』
『僕、イルとレイヤが帰ってくるの待ってる。る』
「あぁ、ありがとう。プニー、レスペクトも」
ひとまず大変なことにはならずにすんだと一安心するが、まだイルを無事に連れ帰ってくるまでは気を抜くわけにはいかない。
「さて、これで話も纏まったわけだし、早速レイヤさんをイルの元へと届けるわ。ただし、あなたの行動が可能な範囲ギリギリまでよ」
「わかった」
こくりと頷くと、イストワールは勿体ぶることなくすぐさまレイヤに人差し指を向けた。
「いくわよ、テレポート!」
瞬間移動魔法を口にするとレイヤの身体は光に包まれて一瞬にして消えてしまった。
つい先ほどまでは目の前にいたのに、初めて瞬間移動を目の当たりにしたプニーが『すごーい! すごーい!』と興奮気味に何度も何度も飛び跳ねる。
「これでよし、と。それじゃあ、私はそろそろ退散するわね~」
ひと仕事を終えたようなスッキリした表情で二匹に笑いかけると、イストワールはすぐにその身をくらませた。まるで最初からいなかったかのように彼女の気配はすぐになくなる。
残された二匹の従魔は主の無事を祈りながら二人の帰りを静かに待った。
海岸から屋敷を駆け抜け、ドルックが館の出入口へと向かうと、避難したギルド職員達が慌ただしく動き回っている光景が目に入る。
王都の民達に海に近づかないように注意喚起に動く者、討伐のため近くに冒険者がいないか探しに向かう者などなど。
恐ろしい目に遭ったというのに場所を変えようともギルド職員としての仕事は忘れていない。
そんな中、ドルックは指揮を執るミストの元へ急いだ。
「ミセスミスト! 討伐隊の編成はどうなってますかっ?」
「討伐隊はもう間もなく揃うわ。第一弾としてね。それよりも遅かったじゃない。あなたなら心配はないと思っていたけど、何してたの?」
「……一度怪我を負わせ海に逃げたカリュブディスをイルくんと共に海に潜って追いました。しかし、回復が早すぎて弱ることなく向こうにしてやられまして、イルくんと分断され、まだ彼女だけ深海に取り残されたままです」
「それは……気の毒ね」
そうだとしたらきっと彼女はもう……。そう言いたげな瞳のミストにドルックは焦りながら口早に話した。
「いいや、まだ間に合います。彼女ならば持ち堪えてくれるはずです。だから早く討伐隊を……いや、潜水魔法持ちだけでも先に連れて行かせてもらいたい」
「もうすぐ編成が終わるのにそんな勝手なことは出来ないわ。ただでさえ今回は潜水魔法持ちが大事だというのに編成を崩したらまた組むのに時間を要するのよ。時間はかけてられないの」
「彼女を見殺しにすると言うのですかっ?」
「そうは言っていないわ。そもそも一人でカリュブディスのいる海の中に残されて無事だとは思えない。生存しているとは言えない状況で先走った行動は取れないのよ」
「しかし!」
ミストの言葉に納得出来ないドルックが食い下がると、ギルド総帥が軽く頭を横に振りながら嘆息を漏らした。
「ドルック、冷静になりなさい。生死不明の一人のために編成が完了と言えない部隊を送り出すことなど出来ないのよ。準備を怠った結果、犠牲者が出たらどうするつもり?」
「僕がいるのだから犠牲者なんて出させやしませんよ」
「そうね。あなただからそう言えるのでしょうけど、それだけでゴーサインは出せないわ」
「……ならばミセスミスト。今すぐ僕にギルド総帥の地位を譲ってくれますか?」
まさかの発言にミストは目を大きく見開く。いつも断っているはずの次期総帥をこうも簡単に引き受けると言い出すのだから冗談だと思ったが、冗談を言っている場合ではないし、ドルックの目も真剣だと物語っていた。
「ドルック……あなた……」
「何度も口説いていらっしゃったじゃないですか。今なら僕も引き受ける気になりますが」
にっこりと笑いながらもドルックの焦りは変わらぬままだった。それもそのはず、イルの安否が不明なのだから一刻も早く助けに向かいたかった。
普段なら見向きもしない役職を譲り受けようと申し出るくらいに。
ギルドのトップである総帥の権限さえあれば今すぐにでも討伐隊を深海へと向かわせることが出来る。それだけのために彼は総帥の座を今すぐに寄越せと言わんばかりの態度に出た。
表情だけではわからないが、それだけドルックも時間がないと焦燥している様子である。
「……タイミングが悪すぎるわね、ドルック。次期総帥の話はこの件が終わってからにしなさい」
「それでは遅いのですよ。でなければもう二度とあなたの椅子を欲しがることはないかと」
この機会を逃せばもう総帥になる気はないと言っているようなもの。ミストとしてはドルックこそが次期総帥に相応しいと思っているが、さすがに頷くわけにはいかなかった。
「あと10分で編成が完了するのだからもう少し待ちなさい。それまでには向かわせるわ」
「なるほど、そうですか。では、僕は先に戻って待っていますので」
━━さすがに譲ってくれるわけないか。
予想はしていたがそう結論を出されたらドルックもこれ以上は口出しすることが出来なかった。
ならばと再び別荘に足を踏み入れ、彼は一足先にあの海浜へと向かうことにする。もしかしたらイルが運良く戻ってくるかもしれないと考えて。
「……ドルック、わかってちょうだい。討伐隊にもそれぞれ役目というものがあるのだから一人でも欠けると大変なの。一人の命と多数の命、どれを取るのか考えたらわかるでしょう?」
ドルックの後ろでぼそっと呟くミストの言葉が耳に入ると、彼は間髪入れずに口を開く。
「えぇ、わかりますとも。僕はより大事な人の命を取りますけどね」
そう告げるとドルックは驚くミストの表情を見ることなく現場まで走り出した。




