はぐれる二人と留守番組
「まずいかもしれないね……」
ドルックさんが呟いた。え、何がまずいんですか? と、問えば厳しい表情で彼は言葉を続ける。
「暗くて見えないけど、僕達はカリュブディスのあの長い身体に周りを囲われた状態のようだ。海水の動きからしてそうだと判断せざるを得ない」
「つ、つまりこのまま締めつけられる可能性があるってことですか?」
「そうだろうし、または逃げ道を減らしてそのままぱくりという可能性もあるだろう。……やはり海中での戦闘は分が悪いな。一旦浮上して引き返そう」
「は、はい」
浮上するにはジャンプをすればいい。そう思って上を見上げるとカリュブディスの大きな口がすぐそこまでやって来ていた。
「! イルくん、避けるんだ!」
「っ!」
慌てて右へと走ってあの口に飲まれるのはギリギリ避けることが出来たけど、その先にはカリュブディスの胴体があり、それにぶつかってしまう。
「うぶっ!」
「イルくん! 早く浮上するんだ!」
ドルックさんもあの口から逃げることが出来たようで声が聞こえて安心した。しかし、ここは暗い深海の中。少し離れただけでドルックさんがどこにいるかわからなくなった。
そうだ。私には暗視魔法があるんだ。それを使えば視界も良くなるはず。
「ナイトビジョン」
闇魔法のナイトビジョンを発動して、私の目は暗い海の中を鮮明に映すようになる。
しかし、暗視で見えたのはカリュブディスの胴体に巻きつかれたドルックさんの姿だった。
「ドルックさん!」
急いで彼の元へと向かった。どうやらまだウォーターバブルは壊れていないようだが、かなり強い力で締めつけているので割れるのも時間の問題だ。
「イルくん! こっちに気を取られているうちに早く地上に戻るんだ!」
「ドルックさんを置いて行けませんよっ!」
「僕なら大丈夫だ。割れた隙をついて浮上するから」
こんな寒い冬の海でしかもどのくらい潜ったかも分からない深海の中で何が大丈夫なのか。そんな賭けみたいなことで納得出来るわけもなく、私は魔法で攻撃して彼を離してもらうしかないだろうと考えた。
水泡の内側の膜へと手を当て、ドルックさんを捕らえるカリュブディスの胴体に向けて攻撃魔法をしかける。
「レイザー!」
宝石に開ける小さい穴ではなく、とびきり大きな光線を放つ。
その衝撃のおかげかドルックさんを拘束する胴体は緩み、ドルックさんはジャンプをして締めつけから脱出した。
どうやら攻撃は効いたみたいで黒く焦げたような跡が確認出来る……が、出血が確認出来ない。よくよく見てみると、軽く焦げた程度のダメージしか負わせていなかった。
嘘でしょ……? 思いっきり力を込めたレイザーを撃ち込んだつもりなのに。どれだけ硬い身体を持っているのか。
「! イルくん危ない!」
その言葉を聞いてハッとした私の前にカリュブディスの口が襲いかかる。急いで避けるがまたもギリギリだった。いや、少し歯が水泡の膜に掠った気がするのでアウト寄りのセーフかもしれない。
ひとまず泡に傷などは入っていなさそうでホッとしたが、安心は出来なかった。
カリュブディスはすぐに方向を転換して再度あの二重ある口をこちらに向けてくる。
「イルくん!」
ドルックさんが助けに動こうとするが、よく見たらドルックさんのウォーターバブルは小さなヒビが入っている。これ以上負荷をかけたら確実に割れてしまうだろう。
新しい水泡を作る余裕はないし、今のうちに彼には逃げてもらいたいが、おそらく言っても聞いてくれない気がする。ドルックさんには私を置いて行く考えなんてないはずだ。……それならば。
「ウィンド!」
水の中でどれだけの勢いを作ってくれるかわからないが、最大の力を使ってドルックさんに向けて強風を放った。
「なっ、イルくん! 君は一体何を! っ!」
深海に放たれた風の力は想像以上に強かったみたいで、ドルックさんはその勢いに飲まれ、自ら動くよりも速いスピードで浮上していった。
しかし、ウィンドの力は相当なものらしく、噴射した私も彼とは逆の方へと吹き飛ばされる。
ドルックさんが海面に向かうに対して私はさらに深く沈んでいった。
そのおかげなのか、カリュブディスの口からも逃げることが出来たけど、相手はしっかりと私へ狙いを定めているのでこちらを追ってくる。
明らかに私をターゲットとして決めているようだが、さっき攻撃をしたことで怒ったのかもしれない。あんな大きな身体でちっぽけな人間を食べても割に合わないだろうに。
でも、ひとまずドルックさんはこれで安心かもしれない。
もし、途中でウィンドの勢いが止まって彼がまた助けに来ようとしないか気がかりだけど、ウォーターバブルの損傷に気づいて一度引き返してくれることを願う。
「……私も運良く逃げたいなぁ」
隙を見て浮上に入りたいのだけど、相手は厄災の海の魔物。海の中なら相手の方が有利だ。
倒すにしても攻撃があまり効いていなさそうだし逃げるチャンスはあるのだろうか。……私は今になって足が震えてきたのだった。
「!!」
バシャンと大きな音と共に海から打ち上げた水泡は砂浜へとダイブする。その衝撃でイルの生み出したウォーターバブルは弾けてその効果を失った。
倒れ込んだドルックはすぐに身体を起こして、急いで海へと目を向ける。海は入水する前よりも荒れていた。まるで海の主の怒りに触れてしまったかのよう。
「クソッ! イルくん!!」
名を呼んでも返事もなければ姿を現すこともない。ドルックは悔しげに砂浜についた手をギュッと握り締める。
カリュブディスの動きは明らかに傷を負った者の動きではなかった。つまり海の災厄の回復は想像以上に早かったということだ。
さすがのドルックも大きな誤算だと思わずにはいられない。しかし、彼はそれでも信じられなかった。ドルックはあの一撃で仕留めるつもりの力で攻撃をしたのだからもう少し弱っていてもおかしくなかったのだ。
けれど現実にカリュブディスの動きは水を得た魚の如く活発化していた。それを可能にするのは驚くべきほどの回復力なのか、それとも最初から深手を負っていなかったか、である。
どちらにせよ読み間違えたのは事実だ。それだけならまだしも彼はイルに助けられた。
(彼女は気づいていたんだ。僕のバブルに傷があったことを。だから先に逃がそうとしたんだ)
けれど、それで自分が逃げられなかったら意味がない。このままでは彼女を死なせてしまう。それでは友人のレスに顔向け出来ないし、両親の死を乗り越えた彼女にはまだ幸せを掴ませてやっていない。
やはり連れてくるんじゃなかった、と後悔をするドルックは今からでもイルを連れ戻そうとその身ひとつで海に入ろうとするも、足を海水につけた瞬間その冷たさのおかげか冷静になる。
「……落ち着くんだ、僕。さすがに僕の力では無理がある」
首を振って足を海水から引っ込める。こんな寒空の下で寒中水泳でもしたら数分も持たないだろう。焦りで冷静な判断を失うのは良くない。何年ギルド長を勤めているんだと自分を咎める。
急がば回れ。ドルックはすぐに屋敷の方へと走った。おそらくギルド総帥であるミストや各地のギルド長の指示ですでにカリュブディス討伐隊を組んでいるはず。
運良く潜水魔法持ちがいることを願いながらドルックは海に背を向けてイルの身を案じながら自分の出来ることに専念した。
一方その頃、スタービレのイルの自宅前ではレイヤとレスペクト、プニーがイルと連絡がつかないことに困惑していた。
「……どういうことだ? さっきまでイルと話をしていたんだろ?」
レイヤも従魔二匹が先ほどまで楽しそうにイルと会話をしていた所を見ていた。ただ思念伝達なため、その内容まではわからなかったが。
『わからないー。いー。何回イルを呼んでも返事がないのー。のー』
『……向こうで何かあったのは間違いないな』
何度テレパシーを飛ばしても相手からの応答はなかった。つまりイルがその接触を自ら遮断したか、その身に何かあったか、しか考えられない。
『思念伝達が途切れる前に海が荒れていると言っていたな。自然災害に巻き込まれたか、もしかしたら何かの襲撃でもあったか』
『!? それってイルは大丈夫なのっ!? のっ!?』
『知らん』
『うわーん! イルー! イルー!』
「プ、プニー。レスペクトはなんて言ったんだ?」
主人の安否が不明なためプニーは不安と焦りに駆られて地団駄する子どもかのようにその場でジャンプをする。
レスペクトの言葉だけは伝わらないレイヤは彼が何を言っているのかわからないため言葉が通じるプニーに通訳を求めた。
『うぅ、イルが……何かに襲われたって……って……』
「な、何かって……?」
『わからない……い……。イル、その何かに虐められたらどうしよう……う……』
ぐすん、と泣きべそをかくプニーを慰めようとレイヤは彼の頭を撫でる。
何かに襲われた、と聞いてしまったらプニーも気が気ではないだろう。
レイヤも先ほどから強い不安と焦燥感を抱いていた。何か嫌な予感がする、と。
テレパシーが通じないのもその要素のひとつになるが、手早い連絡手段が他にないというのも困りものだった。
レイヤにとってはスマートフォンやパソコンがないこの世界にはすぐに慣れたというのに、このときばかりあの電子機器がなくて不便だと思ったことはない。
すると、レスペクトがゆっくり動き出した。突然どこかに向かおうとする彼にプニーが声をかける。
『レスペクトー。どこ行くのっ? のっ?』
『イルのあとを追う』
『! 僕も行く! く!』
ぴょんっとプニーがレスペクトの背に乗り、出発進行ーと口にするが、二匹がどこに行くのかわからないレイヤは慌てて駆け寄った。
「おい、行くってどこに行くんだ?」
『イルのとこ! こ!』
「イルは王都にいるんだ。馬車で移動してもここからじゃかなりの日数がかかるのに徒歩だとさらにかかるぞ」
『でも、イルはもう着いてるんでしょ? しょ?』
「それはテレポートで行ったからすぐに着いたんだ」
『じゃあ、テレポートで行く! く!』
「それが簡単に出来ないんだよ……」
テレポートが出来たのは移動屋と呼ばれる瞬間移動魔法を生業にしている者達だ。
移動屋に依頼をして魔法をかけてもらうのだけど、テレポート取得者の少なさもあるためその料金はなかなかに高い。移動時間を金で買ってると思えば仕方ないことだろう。
イルに大体の金額を尋ねてみたことがあるので、レイヤの手持ちではテレポート依頼は出来ないため、プニーの案には頷けなかった。
『フン。ならば行くしかないだろう。私の助けを欲しているのやもしれんのにこのまま待てるか』
『僕もイルを助けるー! るー!』
「ま、待てって! そもそも従魔とはいえ魔物なんだから簡単には王都に入れないだろう!?」
何かの間違いで二匹が王都で捕らえられたり、または討伐されたりしたらさらに大変なことになるのは間違いない。
じゃあ、どうするんだと言わんばかりのレスペクトの圧を感じた。言葉が通じなくともこんなにも言いたいことがわかるのはそうそうないだろう。
『レイヤ! レイヤはイルのこと心配じゃないのっ? のっ?』
「もちろん心配はしている。……けど、さすがに徒歩で向かうのは無理があると思う。もっと早く王都へ向かう方法を探す方がいいだろう」
テレポートまでにとは言わないがもっと速く移動出来るものがないものかと考えるが思いつくのは元の世界での乗り物ばかり。
せめて車があれば良かったのに。こんなにも元の世界の文明を恋しくなる日がくるとはさすがに思いもしなかった。
移動もそうだがイルの安否を確かめたい。こればかりは連絡手段がないのだから仕方ないのかもしれないが、テレパシーが出来ないのがかなり痛いと言える。
「……!」
ふと、レイヤは気づき、空を見上げた。たった一人だけ、この問題を解決出来る人物に心当たりがあったから。
そして空を向けて彼は吠えた。




