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海の災厄カリュブディスと深海に向かう者達

 気づけば真っ暗な家の中に私はいた。外は雨が降っていて、窓を叩くような勢いの豪雨。

 魔法石の消費を抑えるため、部屋の電気をつけることなく一人でテーブルの前に座り、両親の帰りを待っていた。

 こんな雨の中で無事に帰ってくるだろうかとハラハラしながら何度も時計を見ては父と母の身を案じる。

 もしかしたらどこかで雨宿りをしているかもしれない。それで結局待つのをやめて雨の中急いで帰ってくる可能性だってある。そのときのためにバスタオルも準備していたけど、いくら待ってもその日はお父さんもお母さんも帰ってこなくて、私はいつの間にかテーブルに突っ伏して寝てしまった。


 次に目が覚めたのは家のドアを叩く音に気づいたとき。

 夜は明けていて雨も止んでいる様子だった。空の色からして早朝と思われる。

 そしてまた扉をノックするので慌てて玄関に向かった。その頃の私は両親が帰ってきたのだと信じて疑わなかったが、今思えば父と母であるはずがないと断言出来る。

 自分の家なのだからわざわざノックする必要なんてないんだし。


『おはようございます。早朝から申し訳ございません。私、商業ギルド長のルグレと申します』


 扉を開けると見知らぬ老婦人が暗い表情で立っていた。

 商業ギルドのお偉いさんがこんな町外れにある家になんの用なのか、私は不思議そうに彼女を見る。


『……非常に申し上げにくいのですが、昨日の大雨の影響でこちらに住むレスペクトさんとシンシアさんが落石に巻き込まれ、お亡くなりになられました。それで、念のため娘のイルさんにご両親の確認をお願いしたいのです』

『えっ……?』


 不運の始まりだった。それまではお金があまりなくても、恵まれなくとも両親がいるだけで十分に幸せだったのに一気に崖から突き落とされたような感覚に陥る。

 何かの間違いだと思い、商業ギルド長に連れられ土砂崩れで亡くなった遺体を見せてもらうも、目を逸らしたくなるほど酷い状態だった。

 身体の一部はぺちゃんこで人の身体とは思えないほど潰れていたけど、顔や服装、持ち物など確かめてそれは間違いなく父のレスペクト、母のシンシアの遺体だという真実を突きつけられる。

 みっともないくらいに大泣きをして、こんな早くに別れるなんて思ってもみなかった私はどうしてこうなったのかルグレさんに問い詰めた。

 そこでようやく両親が大雨の中、薬草採取の途中で事故に遭ったのだと知る。

 しかも急を要する依頼なのに誰も引き受けてくれなかったので半ば強引にお願いしたのだと。

 両親が選んだ仕事じゃなく、ギルドが押しつけた仕事で死んだのだ。


『……ギルドが、お父さんとお母さんを殺したんですか?』

『そう、ですね……申し訳ございません』


 涙を流しながら問うと、ルグレさんは申し訳なさそうに頭を下げて謝罪をする。しかし、当時の私はとてもではないが許せなかった。


 その後、両親は墓に入り、私は塞ぎ込むように家に引きこもった。

 ギルドから何人か引き連れた人達が謝罪に足を運んでくれたけど、おそらくそこにレアーレさんもいたと思う。

 というのも私は始終沈みきっており、腫れぼったい目でずっと俯いていたから職員の顔は全然見ていなかった。


『私のせいでご両親を事故に巻き込んでしまい、本当に申し訳ありませんっ』


 私は静かに彼らの話を聞いた。現実を受け入れたくなくてそのときはあまり耳に入らなかったけど。

 レアーレさんが誠心誠意込めて謝罪しているのに私はそれすらも苦痛だったで途中で彼女の言葉を遮ってしまう。


『もう、いいです……結構です……もう来ないでください……』


 早く解放されたかった。どれだけ謝られても両親は帰ってこないし、傷口を抉られる気分になる。いっそのことそっとして置いてほしかった。


『失礼、イル嬢。こんなことを言ってもあなたの気は晴れないだろうが、それでも言わせてほしい。どれだけ時間をかけても構わないから必ず立ち直ってもらいたい。そしてご両親の分まで幸せになるんだ』

『……』


 別の誰かが慰めようとしてくれたのだろうけど、私は頷けなかった。


『せっかくこの世に生まれてきたんだ。誰にだって幸せになる権利はあるし、僕はみんなそうであってほしいと願っている』


 あれ? 前にもどこかで聞いた言葉だ。前っていうか、もっとあとに聞いた気がする。いや、聞いたはず。確かあれは……。


『もし、頼る相手がいなければ僕が力になるよ。そのときは冒険者ギルドにいるこの僕、ドルックの元に訪れるといい』


 ……そうだ、思い出した。ドルックさんだ。私、あの頃すでに彼と面識があったんだ。

 俯いてばかりで誰の顔も見ることをせず、ただ拒絶していたから顔を知らなかった。

 こんなにも力になろうとしてくれた彼の言葉は当時の私に響くことなく「失礼します……」と暗い声のまま扉を閉めたんだ。

 まさか今になって思い出すなんて凄く申し訳ない。ドルックさんになんて言えばいいのか……って、そういえばこれは何? 夢なんだろうか? こんな意識がはっきりする夢もなかなかない。

 そのせいか遠くからドルックさんの声が聞こえてくる。私が家に戻ったからだろうか、とても必死そうだけど。

 けど実際はこんなに声をかけられていなかったはずだ。彼らは大人しく帰っていったはずだし━━。






「━━くん! イルくん! しっかりするんだ!」

「!!」


 ハッ、と目を覚ました私はドルックさんの顔が視界に入る。なぜか私は倒れていたようで彼に上半身を起こされていた。


「あ、あれ……? 私、何を……」


 辺りを見回すとそこはあちこち荒れまくったパーティー会場だった。

 あぁ、そういえば私は冒険者ギルド主催のパーティーに呼ばれたんだっけ。

 そしたら海から謎の大きな魔物が窓を突き破ってきたから魔法で対抗しようとしたけど、失敗してドルックさんに助けてもらったんだ。

 でも、魔物が逃げる途中で置き土産と言わんばかりにシャンデリアの金具を壊して落下してきたから私は必死に逃げて……間一髪巻き込まれずにすんだけど、足が縺れてしまい目の前にあったテーブルに額をぶつけて、そのまま気を失ってしまった。通りでおでこが痛いわけだ。

 ……しかし、我ながら情けない。魔物が逃げてなかったら今頃お腹の中にいただろう。

 ヒリヒリするおでこにヒールをかけると、ドルックさんは安堵の溜め息を吐いた。


「大丈夫そうだね」

「あ、はい。すみません、ご心配をおかけてして……他の人達は大丈夫そうですか?」

「君が魔法で食い止めている間に避難は出来ているようだ。ありがとう」

「いえ、無事なら何よりです」


 ひとまず安心した。あんな化け物並みの魔物に襲われたら被害はかなり大きかったに違いない。

 しかし、あの魔物は一体なんだったのか。間近で感じた限り、今までの魔物より遥かに強くて恐怖を抱いた。

 ……いや、強い魔物と遭遇する度いつもそう思ってるんだけど、なんていうか今までなんかとは比べ物にならないくらいの強者オーラを感じちゃったわけで……。


「しかし、参ったなぁ……まさかアレがすぐ近くにいたなんて……」

「ドルックさん、あの魔物はなんですか?」


 どうやらドルックさんはあの魔物が何かを知っているようだ。それに厄介だと言わんばかりの厳しい表情をするところを見ると、あの魔物を倒すのは困難だと窺える。


「カリュブディス。災厄の海の魔物といったところかな。海で大渦を発生させて何隻もの船を飲み込む手強い相手でね。Sランクの魔物だよ」

「えっ!?」


 まさかとは思っていたけど、Sランクなんて最上位の魔物じゃないかっ!


「最近、ルミヴォーレは不漁だと聞いていたが、どうやらカリュブディスが全て丸呑みしていたようだ。そして近くの餌が尽きたため大勢集まっているここを狙ったのかもしれないね」

「海の魔物なのに陸の人を感知出来るんですか……?」

「目がいいらしくてね、それがまた厄介なんだけど。でも困ったことにカリュブディスは餌を逃がすつもりはないだろうから傷を癒してからまた襲ってくる可能性は極めて高い」

「それじゃ……安心出来ないってことですね」

「元々海のど真ん中で活動するタイプだけど、餌を求めてここまで来てしまったんだろうね。なかなかないこととはいえ運が悪いよ」


 ……もしかしてその運が悪いのって私がいるせいでは? 最近魔物に関する運がかなり酷い気がするのは気のせいじゃないはず。


「あの、どうするつもりですか?」

「回復する前に叩くに限る。奴は陸だろうと海だろうと関係ないからまた海に面したこの辺りを襲うかもしれないしね。急いで潜水魔法を持った人間を手配して海中で戦うことにするよ。さすがに今回は君でも危ないからこの件はこちらに任せてくれ」


 いつもなら手を貸してほしいと口にしてもおかしくないあのドルックさんが私の身を案じて関わらせないようにしている。それだけ強敵な魔物なのだろう。Sランクだもんなぁ……。

 でも、潜水魔法……私持っているんだよね。


「ドルックさん。私、ウォーターバブルなら使用出来ます。お供させてください」

「イルくん……その申し出はありがたいが、かなり危険だ。僕としては君の同行は反対する」

「でも、こうしている間にあの魔物、カリュブディスはいつ襲ってくるかわからないですよね? ……ここに人の気配を感じなくなったら漁港やその周辺を襲う確率も高いですし、急を要するんじゃないでしょうか?」


 レスペクトが聞いたら『また首を突っ込んだな』と怒られるのだろうけど、私の運の悪さのせいかもしれないと思うとこのまま何もしないわけにはいかなかった。


「確かに時間はないかもしれない。こうして話してる時間さえ惜しい。……わかった。君の力を貸してくれ」

「はいっ」


 いつものニコニコ笑顔はなく、真面目な表情のドルックさんから同行の許可をもらうと、私は彼のあとを追った。

 割れた窓から外を出て、砂浜を歩き海へと向かう。海は少し荒れていた。重たげな白波が寄せては引いていくがその勢いは強めだ。

 薄曇りの空からはまだ雪が散らついていて、その寒さに身を震わせる。

 そういえば上着は預けたままだったから今の格好で外に出るのはなかなかに辛い。しかし、こういうときのための魔法だ。


「コールドレジスタンス」


 自身の身体に耐寒魔法をかけて寒さから身を守る。薄い見えない膜が全身を包んだような気がした。


「さて、イルくん。早速お願い出来るかい?」

「はい。ウォーターバブル」


 ドルックさんに向けて彼を包むほどの大きな泡を作り上げた。続けて私自身にもウォーターバブルをかけて泡の中に入り準備を整える。


「では、イルくん。僕から離れないように。もし、危ないと判断したらすぐに地上に戻ること。いいね?」

「わかりました」


 球体の中だろうとちゃんと相手の声は聞こえるので問題はなさそうだ。視界も窓ガラスのようによく見えるし、歩く方向にはちゃんと進むので歩行も大丈夫。

 耐久度はもちろん使用者のレベルに比例するのだけど、基本的に強い攻撃を受けない限り割れることはない。

 ただ、今回の魔物はその強い攻撃を持つのはまず間違いないので水泡が割れてしまったら逃げることも戦うこともままならないだろう。

 ごくりと息を飲みながら私は先に海に入るドルックさんを追いかけた。


 海の中に潜るが、そこには生き物の姿が一匹も見当たらなかった。

 ただただ静かな海中。視界に映る世界は少し白っぽく遠くまでが濁っていてよく見えない。

 ウォーターバブルでの移動は歩行以外だとジャンプすれば浮上、停止すれば沈下するようだ。

 すると少し進んだ先でドルックさんは歩みを止めた。


「この辺りでもっと下へ潜ろう。カリュブディスは深海に潜んでいるからね」

「はい」


 動きを止めると、水泡はゆっくりと沈み出した。気持ち的には早く降りたい気持ちではあるが下降のスピードは出せない。

 まだまだ深く潜るだろうし、私は気になっていたことをドルックさんに尋ねることにした。


「ドルックさん。あの、こんなときに聞くのもあれなんですけど、私とドルックさんが初めて会ったのって両親が亡くなってすぐに謝罪しに来てくれたときですよね……?」


 気を失っていたときに思い出したことを聞いてみた。もしかしたら記憶になかったりするかもしれないけど、なんとなく彼は覚えているような気がする。

 ドルックさんはしばらく黙ったまま静かに呟いた。


「……いや、初めて会ったのは君が赤ちゃんのときだね」

「え?」

「レスとは若い頃からの友人でね、親友とも呼べる仲だったと思うよ」


 レスは父の愛称だ。そんなふうに呼ぶ人は母以外知らなかった。


「君が生まれたときは大層喜んで僕に見せてきたからね。君と初めて会ったのはそのときだ」


 当時ドルックさんは冒険者だったため、生まれ故郷のスタービレに留まることはなく、あちこち冒険をしていたそうだ。

 スタービレに帰って来るたびに父と飲みに行って積もる話をしたのだと。父は専ら娘の私の話をしていた。


「やがて僕は冒険者を引退し、ギルドに勤めてギルド長まで登りつめたけどこれがなかなかにハードだったね。同じ町にいるはずなのに友と顔を合わせるのが常に久しぶりだったし……けど、まさかあんなことになるなんてね」


 悲しげな表情を見せるドルックさんを見て私も同じ気持ちになった。

 両親を亡くして私だけが不幸だと思っていたけど、友達を亡くした彼も相当悲しかったのかもしれない。

 それなのにあのときの私は……。


「すみませんでした……ドルックさんも辛かったはずなのに謝罪に来ていただき、さらに私を元気づけようとしてくれたのに素っ気ない態度をしてしまって……それだけじゃなく再会したときには気づきもしなかったし」

「あぁ、いいんだよ。親族である君が一番ショックだったのはよくわかっているからね。君はずっと俯いていたから顔を覚えているはずはないってことも理解してる。それに、あの事故は僕のせいでもあるんだから」

「ドルックさんのせい?」

「元は冒険者ギルドの依頼だったんだよ、あの薬草採取は。しかし誰も受けてくれないので商業ギルドにもお願いしたんだ。事故に繋がるかもしれないという危険を考えずにね。僕がそれに気づき、すぐにで依頼を取り下げるように命じればあの事故は起こらなかっただろう……一応、この話もあの日の君にもしたけど、おそらく耳に入らなかったと思うからもう一度言わせてもらったよ」


 その話は全く記憶にない。彼の言う通り耳に入っていなかったからだ。


「だから僕は君の両親の仇でもあるんだ」


 あのときのレアーレさんと同じだ。

 初めて商業ギルドで仕事を探しにきた私に辛そうな顔と共に申し訳なさそうに謝罪した姿と重なる。二人とも自分が悪いと思っているんだ。


「確かに……事故の可能性を危惧していていればあんなことにはならなかったかもしれません。でも、父も母も引き受けたので全部誰かが悪いとか問い詰める気持ちはもうないです。だからドルックさんはご自分を責めないでください」


 あれから一年と半年以上が経った。自分のことながら立ち直るのに時間がかかってしまったけど、もう両親のことを思い悲しむのはやめるって決めたんだ。

 両親のいない生活は寂しかったけど、その分新しい出会いも沢山あった。今だから思えるのは、あの事故は悪いことが重なりすぎた結果だということ。


「いいのかい? イルくんは今僕の命を握ってる状態なんだよ。君がここでウォーターバブルの魔法を解けば僕は寒い海の底でもがき苦しんで殺すことも出来るんだ。事故に見せかけて」


 突然何を言い出すのか。あまりのことに私は驚きの声を上げる。


「なっ! 何言ってるんですか! ずっと苦しんで悔いてる人にそんなことしませんよっ!」


 むしろそんなこと考えたことありません! そう強い口調で答えると、ドルックさんは瞬きしたのち、吹き出すように笑った。


「フッ。アッハッハッ! やっぱり今の君ならそう言うと思ったよ」

「か、からかったんですかっ!?」

「いや、もちろん本気の提案ではあったよ。君が望むならどんな最期だろうと構わないくらいに。けど、やっぱり君はそんな子じゃないんだよね、うん。間違いなくレスの子だよ。あいつに似て優しくて勇敢のある子だ」

「そう、ですか?」


 確かにお父さんは優しくて頼りがいのある人だった。褒められてるみたいで嬉しく思った私は少し照れ笑いしてしまう。


「でも、これでわかりました。ドルックさんが私に気にかけてるのって親友の娘だったからなんですね」

「そうだね、あいつの忘れ形見だから僕がなんとか力になってあげたいし、君には幸せになってもらいたいと思ってるんだ」

「幸せに、ですか?」

「あぁ、色々考えたよ。養子にしようかとか、うちで住み込みで働いてもらうのはどうかとか、ね。お金には不自由しないからね、僕」

「は、はぁ……」


 ギルド長だもんね。なんだか、こう、お金持ちそうだなとは思ったけどこうも清々しい笑顔で言われるとは思わなかった。


「君が立ち直るのを待っていたんだけど、僕も忙しい身でね。あちこち走り回っていたらいつの間にか君は笑顔を取り戻していたみたいでびっくりしたよ。機会を窺って援助の話をしようと思ったけど、まさか冒険者ギルドに登録するとは思ってなくて、そのまま様子を見てみたら有り得ないほどの成長速度と秘めた力を知ってさらに驚いたよね」

「あ、あはは。その、そこは色々と運が良かったと言うべきか……」

「……まぁ、何か秘密があるのは構わないよ。ある日突然何が起こるかわからない世だからね。でもその力さえあれば僕を超える強者になるし、ランクSの冒険者だって夢じゃない。そうなれば富も名誉も手に入る。僕がいなくても君は十分に幸せになれる」

「え、と……それは」


 さすがにそれは頷けなくて彼の思う幸せと私の思う幸せが違うことを口にしようとしたが、ドルックさんはすぐに言葉を遮った。


「しっ。気配がする。近くにいるよ」

「えっ」


 かなり深い所まで潜ったようだ。そういえば明かりも届かないのか辺りは暗いし、もっと下まで行くと自分もドルックさんも見えなくなりそうな気がした。

 気配は感じるらしいが確かにと言うべきなのか、ズズッと何かが動くような音がかすかに聞こえる。

 この暗さではカリュブディスがどこにいるのかわからないが音を頼りに私は息を潜めた。


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