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学園に来た初日の戦いに負けたキョウヤは、傷を癒すために一人で医務室のベッドにいた。
白い壁に囲まれたその部屋は、薬草と消毒の匂いが漂い、静かな雰囲気が満ちている。
窓から差し込む夕陽が、ベッドの白いシーツに柔らかな影を落としていた。
(油断してたら派手にやられたな。鈍ったか、それとも──)
キョウヤはベッドに座り、下を向いて拳を握りしめた。
女に、それも自分より遥かに年下の少女に完敗したことは、キョウヤのプライドに深い傷を残していた。元の世界での壮絶な戦闘経験があるからこそ、その精神的ダメージは計り知れない。
(……最後にやろうとしたあの一撃。怒りで我を忘れて、一瞬だけ『本物の殺意』がでた)
思い返して自嘲気味に頭の中呟く。模擬戦で、暗殺術に近い高熱の貫手を放とうとした自分に、内なる冷や汗が流れた。
次からは絶対に理性を切らさないようにしようと、キョウヤは深く息を吐き出した。
ガラッ。
ドアが開く音が響く。
キョウヤが視線を向けると、少しボサついたロングヘアーで白衣を纏った女が立っていた。
彼女の白衣は少しシワが寄り、忙しさが滲む気楽な雰囲気を漂わせている。
「ごめんごめん、ちょっと学園長に呼ばれててねー」
フレンドリーな口調で喋りながら近づいてくる女。彼女はベッドで上半身を起こしたキョウヤの隣に立った。その動きには、医者らしからぬ軽さがある。
「あんたがラルナーさんとこの養子になった子?」
「いやどっちかというと居候のような」
女の質問にキョウヤが素直に答えると、彼女はキョウヤの顔を覗き込むように近づいてきた。その距離感の近さに、キョウヤは少し気まずさを感じる。
「ふーん。私はメロー・クライシス。よろしく〜」
「ヒノ・キョウヤです」
「キョウヤね。それじゃ痛いとこ教えて」
キョウヤが怪我の場所をメローに伝えると、彼は木製の椅子に座らされた。椅子が軽く軋み、医務室の静けさが一瞬揺れる。
「ほいじゃ始めるよ。まずは服脱いで」
「お願いします」
キョウヤが制服を脱ぎ、上半身裸になる。
服の下の肉体はあざだらけだった。アイリスの一撃が残した青黒い痕が、痛々しく肌に刻まれている。
「アイリスちゃんの相手した子って大抵こうなるのよねー。でも私なら余裕で治しちゃるよー」
「そんな簡単に治るんですか?」
「まぁ見てなさいな。こう見えて私、凄いからさー」
「(魔法ってすごいんだな)」
メローがキョウヤの怪我に手をかざすと、手のひらに淡い光の球体が出現した。
同時に、キョウヤの身体に奇妙で温かい感覚が走る。その光が柔らかく脈打ち、あざを包み込むように広がっていく。
「いッ!?」
「なにぃ? これくらい我慢できないのー?」
メローがニヤニヤと目を細め、必要以上に怪我の周辺を触り回す。明らかにからかっている手つきだ。そこには治療を超えた遊び心が滲んでいた。
「いや、これはちょっと新感覚すぎというか……」
キョウヤは平静を保とうと必死に我慢し、治療が終わる頃にはどっと疲れてベッドに横たわった。疲労と安堵が混じり、身体が重く沈んでいく。
「はい、おしまい! 次は怪我しないように気をつけなよー」
「……ありがとうございました」
キョウヤが感謝を告げ、服を着直して医務室を出る。ドアが閉まる音が背後に響き、静寂が再びあの部屋を包み込んだ。
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学園からガーデン居住区への帰り道を、キョウヤは一人で歩いていた。
夕陽が空を赤く染め、遠くの家々から炊事の煙が上がっている。
(すぐにリベンジしてやる。……いや、まずはこの世界の魔装の練度を上げ直すのが先か。ほんと、負けず嫌いだな、俺も)
悔しさを隠せないまま歩いていると、近くでボール遊びをしていた女の子が声をかけてきた。歳は自分達より八つほど下、十歳前後だろうか。小さな手には泥がつき、無邪気な笑顔が夕陽に映えていた。
「ねぇねぇ、お兄さん」
「ん? どうした?」
キョウヤは少しだけ視線を下げて、女の子に向き合った。
「ボールがあそこに挟まってて取れないんです。お兄さん、とれないですか?」
「あれか」
キョウヤが大きな木の下を指差す。枝の込み入った高い場所にボールが挟まり、子供たちが下で騒いでいた。木の影が地面に長く伸び、夕陽の赤が葉を染めている。
「また随分高いところに……、ちょっと待ってろ」
トン、と軽く地面を蹴る。肉体能力の底上げにより、キョウヤの身体は吸い込まれるように木の上へと跳ね上がった。
空中。見事な身のこなしで枝を掴み、挟まっていたボールを右手でパッと回収する。そのまま軽快に地面へと着地した。
「ほらよ」
キョウヤがボールを差し出すと、子供たちが一斉に歓声を上げて群がってきた。
「うおゎすげぇ!」
「お兄さんかっこいい!」
「ありがとうございました!」
キョウヤがボールをそっと渡すと、子供たちはまた元気に遊びへと戻っていく。無邪気な足音が地面を叩き、楽しげな笑い声が夕暮れの空気に溶けていく。
「……平和か」
子供たちの背中を眺めながら、キョウヤはぽつりと呟いた。
学園の奴らは誰も彼もが殺す気満々で殺伐としていたが、この居住区に広がる光景は、驚くほど穏やかで温かい。
あのロウ・アイリスという少女が「強くなければ、また壊される」と言っていた言葉が、ふと脳裏をよぎる。
(……あいつが頑なに他人に心を開かず、強さに固執する理由。そこには、何か明確な原因があるんだろうな多分)
キョウヤは夕陽に伸びる自分の影を見つめながら、彼女へのリベンジを誓うとともに、この都市の歪みの正体を暴くことを改めて目標に据えた。
早く帰らないと、ラルナーが仕事から戻ってくるまでに飯の支度が間に合わなくなる。キョウヤは思考を切り替え、家路を急いだ。
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キョウヤがアイリスにボコられてから、二週間ほどが経過した。
学園の環境にもすっかり慣れてきた頃、彼は空いた時間のほとんどを訓練所に通うことに費やしていた。訓練所の土の地面には、彼の流した汗と努力の痕跡が刻まれている。
「ヒノさん、少し指導をお願いしたいのですが、今いいでしょうか?」
「ん? ああ、いいけど。俺のアドバイスって役に立ってるのか?」
キョウヤの圧倒的な戦闘センスと、それに似合わない面倒見の良さ(前世の新兵訓練の癖のようなものだ)から、彼は平民の生徒たちから徐々に慕われ始めていた。
この学園では貴族と平民で使える施設に差はない。訓練所の壁には、誰かが刻んだ痕跡が残り、平等な努力の場を示していた。
「ヒノさんの教え方は本当に分かりやすくて、まさに尊敬するに相応しいです!」
「大袈裟な。まぁ強くなれる奴は一人でも多い方がいい」
そんなキョウヤの様子を、訓練所の隅、建物の影から遠巻きに見つめている影があった。
アイリスだ。彼女のジト目で生気のない瞳が、平民たちと馴染むキョウヤを冷たく観察していた。
(……あんな風に群れて、慣れ合って。そんな風じゃ強くなれるわけない。だから私に簡単に負けた)
アイリスは内心で切り捨てる。
(捨てられない人は弱い……それが真理…のはず。私は証明し続ける。そうしないと、私のやってきたことは……)
彼女は誰に告げるでもなくそう呟くと、一人で冷たく踵を返し、その場を去っていった。その背中には、決して他人を寄せ付けない強固な拒絶の壁があった。
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その日の夕方。キョウヤが訓練を終えて片付けをしていると、同じクラスのライゼとユウジが声をかけてきた。
「キョウヤ、ずいぶん熱心だね。平民のみんなにも慕われてるみたいじゃないか」
ユウジがニカッと笑いながら、キョウヤの肩を軽く叩く。
「普通のことをしてるだけだ。それより、お前たちに少し聞きたいことがあるんだが」
キョウヤは真面目な顔になり、声を落とした。
「……ロウのことだ。あいつ、昔何かあったのか? 異常なまでに強さに固執しているよな」
ライゼとユウジは一瞬だけ顔を見合わせ、少しの沈黙の後、ユウジが真剣な表情で口を開いた。
「……そうか。キョウヤはまだ聞いてなかったんだな。この話は、この街に生きる者なら知っておくべき歴史だ。お前が来る前──十年前のことになる」
「十年前?」
キョウヤの促しに、今度はライゼが静かに語り始めた。
「このガーデンは、突如現れた神獣の群れに襲撃され、一度壊滅しかけたんだ」
「壊滅? 神獣ってのは確か、この世界で最高クラスに位置する獣だよな。資料でチラッと見たが」
「うん。火の鳥と言われる神獣だよ。普段は火山地帯で暮らしているはずなのに、なぜかこのアッシュベリーを襲撃して、すべてを焼き尽くそうとしたんだ」
「……どれくらいの被害が出たんだ?」
「迎撃に参加した、当時の大人たち……貴族の戦力の大半が死んだ。アイリスの父親と母親も、その時に二人とも。」
ユウジの言葉に、キョウヤの顔が険しく曇る。突然突きつけられた、この街の重い過去。
「アイリスは最初、無理に明るく振る舞っていたんだけど……ある日突然、特訓していた時に、ぽつりと『……これじゃダメだ』って呟いてから、あいつは変わっちまった」
ユウジの語る過去を聞き、キョウヤは腕を組んで黙り込んだ。
(親を同時に失い、目の前で世界が灰になった、か。そんな経験があれば、生半可な強さじゃ満足できなくなるのも無理はないな。力を求める行動としては、あいつなりに正しいわけだ)
「僕たちは、アイリスがいつか自分を壊してしまうんじゃないかって心配なんだけどね……」
ライゼが寂しげに息を吐く。
「つまり、あいつは誰も寄せ付けないまま勝ち続けてるから、その頑なな考え方を変えるきっかけがないわけか」
「まぁ、現状あいつがアイギス学園のトップだからな」
「なら、近いうちにその考えが変わるかもしれないぞ」
「え?」
ユウジの疑問に、キョウヤは無表情で言う。
「この前ボコボコにされて、猛烈にリベンジを誓ってる奴がここにいるからな。」
キョウヤの真っ直ぐで力強い言葉に、ユウジとライゼは驚きつつも、不思議と「こいつなら本当に何かを変えてくれるかもしれない」という奇妙な期待感を抱くのだった。




