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なんやかんやで男子生徒たちとそれなりに話を交わした後、ハインツの率いるクラスメイト全員が対人訓練所へと集まっていた。
学園の裏手にあるその施設は、石と鉄でできた無骨な造りで、周囲を高い壁が囲み、特有のピリついた緊張感が漂っていた。
観客席には木製のベンチが並び、微かな風が防壁の外から草の匂いを運んでくる。
キョウヤとハインツ以外は全員、観客席に腰を下ろしていた。
フィールドは広々とした土の地面で、過去の戦いで穿たれたクレーターや焦げ跡が残る、荒々しい場所だった。
フィールドの中心で、ハインツが声を張り上げて開催の合図をした。
その声が訓練所の冷たい壁に反響し、生徒たちの視線を一気にキョウヤへと集める。
「それではこれから歓迎会を始める!」
このクラスの歓迎会は、ライゼに聞いた通り模擬戦闘だ。
実戦派の『アイギス学園』らしい、異能の実力を力ずくで試す儀式のようなものだった。
「ヒノと戦いたい奴は誰かいるか?」
(蛮族なのか? こいつらは)
キョウヤは戦闘フィールドの隅に立ちながら、内心で毒づいた。
周囲の空気が一瞬で静まり、観客席からの値踏みするような視線が彼に突き刺さる。
「……」
スッ、と。
無言で手を挙げたのは、アイリス・ヴァルハイトだった。
彼女は観客席のフェンスを軽々と飛び越え、そのままフィールドに降り立つ。その無駄のない動きは軽やかで、着地音が土に吸い込まれると同時に、微かな冷気が彼女の足元から揺らめき立った。
着地後、顔を上げたアイリスは、キョウヤを真っ直ぐに見据える。
ジト目で生気のないその瞳が、鋭く彼を捉えて離さない。
(怖ぇ顔。あの時のこと、怒ってるのか?)
数日前の空き地で衝突した時のことを思い浮かべると同時に、マーシャルが言っていた「誰よりも強い」という言葉が脳裏をよぎる。キョウヤは自分の黒髪を軽くと触り、心底面倒くさそうな仕草をした。
「アイリス、少しは手加減してくれよ?」
ハインツが苦笑交じりに声をかける。
「私は全力でやります。じゃないと強くなれない。私も……相手も」
「はぁ……」
ハインツは深い溜息をついたが、それ以上止める様子はなかった。
その表情には、未知数の新入生への心配と、アイリスの頑なさに対する半ば諦めのようなものが混じっていた。
この世界の戦闘には、元の世界の常識が通用しない独自のルールがあることを、キョウヤはこれまでの数週間でラルナーから叩き込まれていた。
この世界の人間は、魔法、魔装による炎や雷の攻撃を受けても、意識がある限り、弱い出力であれば大したダメージは受けない。本能的に相手の魔力を無効化する特殊な障壁を皮膚から発生させているからだ。
ただし、この魔力無効化は意識を失うと完全に消失し、精神が摩耗して意識が薄れるだけでも効果は著しく弱まる。
さらに、彼らの肉体は根本から異常なほど衝撃に強い。元いた世界の一般的な拳銃で撃たれたとしても、「痛い」程度で済むほどの硬度を誇る。この桁外れの耐久力こそが、実戦さながらの過酷な模擬戦を「安全な訓練」として成立させている理由だった。
そして魔力によって生成する魔装は、個人の技量によって質量を自由に変えられる。変える速度や上限には個人差があり、その装甲の重さや形状の選択こそが、各々の戦い方の個性を際立たせる最大の要素だった。
「ルールは、相手が戦闘不能状態になるか、あるいは俺が勝負ありと判断したら終了だ。いいな?」
ハインツの説明を、二人は流し聞きしながら、互いに目の前の敵の出方を見極めようとしていた。
ハインツの声がフィールドに響き、観客席の男子たちのざわめきが一瞬で止まる。
(めんどい奴そうだなぁ、こいつ。だから他の奴らから距離を取られてるんだろうし)
(無防備すぎる。隙だらけだ)
キョウヤとアイリスは互いに見つめ合ったまま無言だったが、内心では全く異なる思考を走らせていた。キョウヤの目はアイリスの冷徹さの底を測り、アイリスの目はキョウヤの構えの甘さを見逃さない。
「では──始め!」
開始の合図と同時に、キョウヤは両手両腕から背中にかけて『迦具土神』の装甲を纏い、背部にバーニアをゆっくりと具現化させ始めた。
黒金属の装甲が陽光を鈍く反射し、バーニアの微かな唸りが土を震わせる。
(何でいきなり人間と戦わないといけないんだ。戦争をしてるわけでもないだろうに……)
そんな元の世界と比較し絵空事を考えていたキョウヤは、直後に襲いかかった激痛によって、一気に現実へと引き戻された。
「ッ!? ──がはっ!」
完全に油断していたキョウヤの顎が、突如として足元の地面から突き出してきた四角柱の氷塊によって、強烈に跳ね上げられた。
冷気が一瞬にして顔面を包み込み、顎から脳へと突き抜けた衝撃が視界を激しく揺さぶる。
(なんだ……ッ!? 地面を伝って凍らせたのか!?)
脳のぼんやりとした思考が吹き飛び、キョウヤは急激に本気モードへと意識を切り替えた。視線を目の前のアイリスへと固定する。
彼女の無表情な顔が、冷徹にフィールドの光の中に佇んでいた。
「遅い」
(お前が早すぎるんだよッ!)
追撃。間髪入れずに踏み込んできたアイリスの、速く、そして質量を乗せた重い掌底がキョウヤの胴体を直撃する。
ゴッ、と鈍い音が響き、キョウヤの身体が大きく蹌踉めいた。アイリスの手が鋭く空気を切り、魔力全開の冷気がキョウヤの装甲を白く掠めていく。
その容赦のない攻めに、観客席の男子たちが息を呑んだ。
木製のベンチに深く腰掛けていたユウジが、目を丸くしてフィールドを見つめる。
「おいおい、あいつマジか……」
「新入生相手でも一切手加減なしなんだね」
ユウジの驚きとは対照的に、ライゼが冷静に実況する。その声には、彼女の戦い方に対する慣れと、微かな呆れが混じっていた。
キョウヤはその後もしばらく、顎を揺らされて上手く動かない身体で必死に立ち回ったが、実力者であるアイリスを相手に長く持つはずもなかった。
顎の痛みが頭全体を支配し、身体の反応速度が目に見えて鈍っていく。
(初手の……打ちどころが……悪……すぎるッ……!)
「……」
脳を強く揺らされ、まともな迎撃姿勢をとれないキョウヤに対し、アイリスは冷酷に地面から次々と氷棘を生み出していく。
鋭い氷がキョウヤの脚、腕、そして胴体の装甲へと絡みつき、関節を凍らせてその自由を完全に奪っていく。
アイリスは氷での拘束作業を淡々とこなしながら、余裕を持った足取りで、一歩、また一歩とキョウヤへ歩み寄る。
最後には、指先一つ動かせない強固な氷の檻が完成していた。
彼女の足音が土を踏むたび、静かで絶対的な圧迫感がキョウヤを包み込んでいく。
「ちょっとは……加減しろよな……」
「そんな甘い考え方だから、簡単に負けるの。」
言葉が終わると同時に、アイリスの右拳が放たれた。全体重を乗せた烈烈たるボディブローが、キョウヤの腹部を深く抉るように突き刺さる。
その凄まじい衝撃波と同時に、キョウヤを拘束していた周囲の氷が一斉に粉々に砕け散り、彼が纏っていた『魔装』の装甲もまた、魔力の霧となって霧散した。
「かはっ……!」
肺の中の空気が無理やりすべて体外へと絞り出され、キョウヤはその場に激しく倒れ込んだ。
土の感触が頬に冷たく、呼吸の止まるような劇痛が全身の神経を支配する。
ゆるい模擬戦だと思っていたが、ここはそんな甘い場所ではなかった。
異世界の現実の厳しさが、キョウヤの甘い予想を完膚なきまでに打ち砕いていた。
「弱すぎる。」
アイリスは倒れ伏すキョウヤを見下ろし、吐き捨てるようにそう言うと、興味を失ったように背を向けて歩き出した。
その声に憎しみはなく、ただ純然たる事実を述べただけの、凍てつくような冷たさだけがあった。
(……その通りだな。今の俺は文句なしに弱い。勝てない……!)
キョウヤの身体は悲鳴を上げ、まともには言うことを聞かない。
だが、それでも。このまま何もできずに無様な敗北者として引き下がるのだけは、彼のソルジャーとしてのプライドが絶対に許さなかった。元の世界で地獄のような戦場を生き抜いてきた意地が、痛む肉体を無理やり駆動させる。
泥臭い執念が、キョウヤの右腕を動かした。
キョウヤは指先に力を込めて地面の土を強引に抉り取り、背を向けて立ち去ろうとするアイリスの背中に向かって、残った全力を絞り出して投げつけた。
土の塊が空気を切り、鈍い音を立てて飛んでいく。
「っ……!」
気配を察したアイリスが鋭く振り向き、咄嗟に腕で防御したものの、崩れた土の砂粒が彼女の整った顔に僅かにかかった。
その瞬間、彼女の美しい眉が不快そうにピクリと動く。
「終わってねぇだろ……こいよ。そんな女の腕力じゃ、俺は倒せねぇぞ?」
「……」
キョウヤは口元に血の混じった笑みを浮かべ、震える足で立ち上がろうとする。
その笑みには、痛みを強引にねじ伏せる強がりと、明確な挑発が混じっていた。自分を泥で汚したキョウヤのその態度を見て、アイリスの顔に明確な不快感と苛立ちが走る。
アイリスはキョウヤとの距離を一瞬で詰めるべく、爆発的な踏み込みで走り出した。
そして完璧な拳の射程に入った瞬間、今度こそ意識を刈り取るべく、思い切りキョウヤの顔面へと右拳を叩き込んだ。
拳が空気を切り裂き、激しい破裂音がフィールドに響き渡る。
「ぐッ……!」
(……倒れない!?)
確実に仕留めたはずの一撃。それを受けてなお、膝を折らずに踏みとどまったキョウヤの驚異的な耐久力を前に、アイリスの瞳に一瞬だけ動揺の光が走った。
相手の動揺を、戦場の本能で察知したキョウヤが獣のように叫ぶ。
残った意識のすべてを、己の右手に集中させた。
「アぁッ!!」
右手の五指の先端に、これまでにない超高密度の熱量を爆発的に圧縮する。
装甲の体を成していない、剥き出しの肉体にも負荷がある超高熱の『貫手』。それは触れたものを一瞬で融解させる、純然たる殺傷兵器の輝きだった。
キョウヤはその致命的な一撃を、アイリスの無防備な腹部目がけて突き出そうとした。熱波が周囲の空気をグニャリと歪ませ、刹那、不吉な赤い光が走る。
その異常な熱量と「殺気」を察知したハインツが、顔色を変えて制止すべく身体を動かしたが、彼の介入よりも早く──キョウヤの指先の熱は、アイリスの目の前で急激に霧散した。
(……何熱くなってんだ、俺は)
スウ、と熱が引いていく。
仮に放っていたとしても、今の満身創痍の体では当たるはずのない攻撃だった。だがそれ以上に、キョウヤは自分の意志でその熱を消した。
異世界の模擬戦において、元の世界で培った「敵を確実に屠るための殺意」が一瞬だけ呼び覚まされ、それを理性が辛うじて抑え込んだのだ。
熱量そのものよりも、キョウヤの奥底から溢れ出た爆発的な『本物の殺意』に本能的な危険を察知したのか、アイリスの額に一筋の冷や汗が伝う。だが、彼女はすぐにそれを押し隠し、元の冷徹な表情へと戻った。
「……俺の、負けだ」
「ッ!!」
完全に万策尽きたキョウヤが、悔しげにポツリと呟いた瞬間。
アイリスの容赦のない追撃の回し蹴りが、キョウヤの顔面へと炸裂した。鋭い蹴撃が空気を切り裂き、キョウヤの意識を完全に断ち切る。
横ざまに吹き飛んだキョウヤの身体の先に、ハインツが超人的な速度で回り込み、その身を受け止めた。
キョウヤは完全に意識を失い、ハインツの腕の中でぐったりと脱力していた。
「そこまでだ」
ハインツがキョウヤの脈を確認し、鋭い声で戦いの終わりを告げた。その声が響き渡り、訓練所の重苦しい熱気が静まり返る。
「アイリス、やり過ぎだ」
「はぁ……はぁ……。先生、今まで止めなかったくせに……そんなの、説得力ありません」
ボロボロの雑巾のようになったキョウヤを抱えるハインツに対し、アイリスは乱れた息を整えながら冷たく言い返した。キョウヤの身体は土にまみれ、周囲には砕けた氷の破片が散乱している。
「無駄な抵抗をしてきたのは……彼の方ですから」
「いつまでもそんな戦い方をしていると、本当に──」
「構いません。強くなるためなら、私は何だってする。……強ければ、なんとでもなります」
アイリスはハインツの警告を遮るように冷たく吐き捨てると、誰とも言葉を交わすことなく、一人で離れた観客席の奥へと戻っていった。
その孤高の背中には、勝利への執念と、決して誰にも立ち入らせない冷たい孤独が、重く漂っていた。




