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第七話 決意

 見慣れぬ場所で寝るのはあまり好まないが、自然とここでは安眠できた。

 午前10時、レイナが起床した。


 相変わらず頭は落ちそうになっていたが、なんとかなった。

「ああっ!布団がねぇ!それになんで枕が机の上にあるんだ!」

 半ば半狂乱になりながら部屋を見渡す。


「ロゼはいない、か。また頑張ってるのかねぇ」


 昨日起きた時もロゼはいなかった。彼女は街に出て、ディベートをしていた。今日もしているのだろうか。


 昨日のように顔を洗い、軽く身なりを整えた。


 机の上を見てみると、昨日はなかった紙がいくつかあった。朝起きて、彼女なりに練習しているのだろう。問題となると、証明図や充足問題も教えたほうがいいかなとレイナは考えた。


 紙の1つには、「レイナさんへ。ディベートの練習をしに行ってきます。もし起きたら心の中で応援してください!」と書かれていた。なんだか子供っぽいものだ。


 レイナも机に座り、紙を出した。


「今日はどうしようかなあ。この世界のことをもっと知りたいけれど、ロゼのために教えることまとめないと。でもなぁ。正直難しすぎるよねぇ。昨日は熱意を持って取り組んでくれたけれど、何回も何回も記号を使わせるのは億劫だよね。どうしたものか」


 数理論理学というのは、もっぱら数学の分野である。数学的な式の読み書きに慣れている理系学生ならまだしも、ロゼはそういった人間ではない。無骨に記号の海に沈めても、ただ単に困惑するだけだ。

 レイナは今まであまりそういう人たちには触れてこなかった。ディベートでの立論や反論の口調が固いのも、頭の中にある論理式をそのまま読んでいるからである。


 そんなことを考えていると、ロゼが帰ってきた。

「お。おかえり。どうだった?」

「まあまあって感じでした。2勝6敗です」


「おお!2回勝てたのか!成長だねぇ」

「そうなんですが......」


 勝った回数は増えてはいるものの、ロゼは不服そうにしていた。

「レイナさんに論理のことを教えてもらってから、ある程度相手の主張をまとめられるようにはなったんです。でもそのせいか、ディベートが終わった時に、『もっとこうしておけばよかった』って後悔が強くて......」


 その気持ちはよくわかる、とレイナは感じた。


「わかるよその気持ち。でもね。それは悪いことじゃない。以前ロゼは『何がなんだかわからなくていつの間にか負ける』と言っていたよね。でも今はどうかな?なぜ負けたのかをしっかり理解している。そうでなければ、あの時こうすれば良かったなんて言えないからね。なら次に生かせばいい」


「でも......」

「じゃあ、科学者っぽいことを言って慰めようかな。『負けた』という事実だって、単なるサンプル数1と捉えればいいんだよ。それ以上でもそれ以下でもない、ただのサンプル。

 実力を伸ばすという目的を考えた時、そのサンプルに対して『悔しい』とか『許せない』という解釈を与えるのは非合理的だよね。その解釈が実力を伸ばすという目的を達するに寄与するとは思えない。ならばその解釈をするべきではない。みたいな感じ」


「感情を理屈で否定する......ですか」


「元居た世界には三島由紀夫という人がいてね。作家さんなんだけど、『自己嫌悪は非生産的な感情だから捨てた』って言葉が有名でね。なんとなく分かるよ」


「レイナさんも自己嫌悪していたことがあるんですか?」


「いや?ないよ?」


 レイナはあっけらかんと言う。


「こんなに美人で頭も良くて性格もいいんだ。嫌う理由がないねぇ」


「す、すごい......」


「まあ、美人でなくて頭がよくもなくて、性格が悪いとしても、それでも私は私のことが大好きだよ。『レイナである』という事実が私はもう好きだね」


 ロゼは感心するようにしている。今までこういった人とは会ったことがなかった。彼女がいままで出会ってきた人間は、どれも自分を見繕うのに必死なように見えていた。

 しかしレイナはそれとは正反対の人間だ。常に泰然自若としていて、飄々としたふるまい、何かに縛られることもなく、それでいて大人っぽさも感じられる。


 すると、レイナが大きなあくびをした。背伸びをして、腕をだらんと垂らしている。

「ふあああ。おなか減ったぁ。ご飯食べにいこーぜぇ。はっ!そういえば!昨日歩いてるときに見たあのお店行ってみたいんだった!」


 前言撤回。大人っぽいというのは取り消した方がいいかもしれない。


 レイナはさっさと身支度をして、ロゼと共に外へ出た。


「いやあ、しかしこの服着やすいね。本当にロゼに感謝だ」


 レイナはロゼにもらった服を着ていた。


 2人は目的のカフェへと向かって歩く。今日も村に人はそれなりにいた。

 レイナとロゼは他愛もない話をしていたが、その道中、ある話し声が聞こえてきた。若い女性が話しているようだった。


「あと少しでディベ大会開かれるよね」

「ね!今年もやっぱりコンフォート家の人たちが勝つのかなあ」

「だろうね。でもさ、次男のニック、負けたって噂じゃん。しかも女の人2人に。片方はロゼさんだったらしいよ」

「聞いた聞いた。なんかめちゃくちゃ強かったらしいね。友達が直に聞いていて、そう言ってたよ。レイナ......だっけ。そんな人が勝ったらしい」

「もしその人がディベ大会参加したらどうなるんだろうね」

「もしかしたらサム男爵も負けたりして......」

「さすがにそれはないでしょうよ。あの人に勝てる人なんていないよ」


 その話に、レイナは興味を持った。

「ディベ大会......ってのがあるのかい?」

「ええ、聞いていましたか」


「私の名前出もてきたしね。カクテルパーティ効果だね」


 ロゼの説明によると、年に1度開かれるラッセル村のディベート大会が開かれるそうだ。全国大会とは関係のない、自治体が独自に開くものらしい。端的に言えば、この村でディベートが最も強い者を決める大会ということだ。


 長い歴史のある村だが、過去の優勝者は、コンフォート家でない者は1人もいないらしい。

 サム男爵というのは、今のコンフォート家で最もディベートが強い人間だそうだ。そのせいか、ロゼへの避難もすごいものだったらしい。勘当した張本人でもある。現在4連覇中だとか。


 説明を聞いていると、カフェが近づいてきた。2人は中へ入り、注文をした。


「大会はトーナメント方式で、いつも200人ほどが参加するんです」

「てことは、7回戦から8回戦くらいを勝ち抜けばいいってこと?」


「計算早いですね......」

「2の7乗で128、8乗で256だからね」


 自然科学において、2の累乗の計算はあらゆるところで出てくる。理系であれば、2の10乗である1024までは覚えているだろう。


「いつもだいたい7ラウンド行われます。シード権の人たちもいますね。優勝の報酬は多額のお金と名誉、そしてコンフォート家への正式な挑戦権が得られます」

「挑戦権?」


「ええ、コンフォート家の当主はミゲルという人なのですが、彼への挑戦権が得られます」

「それに勝ったらどうなるの?」


「一応、村で最も強いディベーターとして認められます。コンフォート家への挑戦権と言いましたが、正確には『ラッセル・ディベーター』への挑戦権が得られるということです。その称号をミゲルが握ってからずっと変わっていないという形ですね」


「へえ、じゃあただの称号?」

「そうですね。でも......」


 ロゼは少し言い淀んだ。


「その称号が、この村では絶対的なんです。発言力がまるで違います。誰も逆らえなくなる、というわけではないですけど......その人の言葉が政治などでも正しい前提として扱われやすくなるんです」


「なるほど。論理で勝った人間が、現実でも前提を握るわけだ」

「まあ、そうですね」


「ふうん」


 レイナはその話に興味を抱かずにはいられなかった。注文したものが届き、食べながら続けた。


「んで?どうやったらそれに出られるの?」

「村の者ならば、大会が開催される1週間前までに会場に行って受付すれば誰でも出場権を得られますけど......」


「ほおん、じゃあ行こっか」

 展開が早すぎる。なんとなく予想はしていたが、レイナは出場する気まんまんである。


「やっぱり、出るんですか?」

「もちろん。まだ1週間前までには間に合うでしょ?じゃあ行こうよ」


「まあ確かに、レイナさんなら勝てそうですね。ニックにもすでに勝っていますし」


「へ?」


 レイナは間の抜けた反応を示した。


「えっ?」


「出るのはロゼだよ。まあ私も出てもいいけどさ、ロゼも出ようよ。見返す絶好のチャンスじゃない。2人で決勝戦行ってやろうじゃん?」


 唐突な提案に、ロゼはうろたえた。


「でも私、出たことないんですよ!」

「そりゃ私もだよ」

「でも......でも!」


 数週間後に自分を虐げた者たちと戦う可能性があることを想起して、ロゼはうつむき、不安そうにした。


 しかし、もし彼らに勝てたらどうなるか。彼らを見返し、そのときどんな表情をするのか。レイナと出会った自分なら、もしかしたらそれも可能かもしれないと思えるようになった。


 それでも、まだ勝った経験も少ない。人前に出てまた恥をかくかもしれないという不安も強かった。

 そのときだった。


「私は勝つよ。絶対に」


 レイナは顎を引いて、軽く口角を上げ、目を細めて力強く言った。


「論理そのものをこの世界の誰よりも熟知しているんだ。負けるわけがない。そしてそんな人間がそばにいるんだ。ロゼも負けるなんてありえない」


 あまり科学者らしくない言葉だな―とレイナは感じながら続けた。


「断言するよ。そのディベート大会、ロゼは私以外には絶対に負けない。『私以外には』ってのは、もちろん決勝では私が勝つけどってことだね」


 レイナが何を根拠にそう言っているのかとロゼは思ったが、すぐに分かった。うつむいていたロゼも顔を上げる。


「正直ね、命題論理と述語論理をある程度分かっていれば、たいていの主張には太刀打ちできると思うんだよ。まあ直観主義論論理とか様相論理とかもあるけれど、そこまで高度に行われるディベートなんてまずないね」


 レイナが何を言っているのか半分くらいは分からなかったが、『私がいるから、ロゼは絶対に負けない』と言いたいのはすぐに分かった。事実、レイナさんに教えてもらってから勝てるようになったのだし、説得力もある。


 しかし、自分がディベートで絶対に負けないような存在になるなんて、想像もできなかった。


――でも。


 ロゼは、これまでのことを思い出した。

 何も分からずに負けていた自分。相手の言葉に押し切られて、ただ黙るしかなかった自分。


 しかし、レイナさんと出会って、論理を教えてもらった今はどうか。


 相手の主張を分解して、どこが前提で、どこが結論かを考えられる。どこに不備があるのか、まだまだ不十分ではあるが、一応言葉にはできる。勝てないことはあっても、それは何もできないということではなかった。今日の負けも、なぜ負けたのか理解できるようになった。


 ロゼは、ゆっくりと顔を上げた。 

「......絶対に負けない、かはさすがに分かりませんけど」


 ロゼは思い切ったように言う。


「でも、何もできずに負けることは、もうないと思います」


 その声は、さっきまでよりも少しだけ強かった。


 レイナは、それを聞いて小さく笑った。

「うん。それで十分だよ。それで、どうする?」


「......出ます」

 短く、しかしはっきりとロゼは言った。


 そうこうしていると、2人は食べ終わり、会計を済ませ、外に出た。


「さて、案内してくれるかな?」

「ええ、少し歩くことになると思います」


「いいねぇ。最近体力の衰えが顕著でね。少しは歩かなきゃ」

「年齢......」

「なんか言ったかい?」

「いえいえ!なにも!」


 外は快晴で、暑すぎるほどだった。


次回は参加受付をし、ロゼのディベートを描きます!


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