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第六話 模擬戦・人生に勉強は必要か?

ロゼはとんでもない速度で机の上にある夕食を平らげた。

 レイナは食べるのが遅いというわけではないし、むしろ早い方なのだが、余裕で追い越された。


「そ、そんなに急がなくても私は逃げないさ」

「レイナさんの教えてくれたことをたくさん書いてみたいんです!私に腕が3つあればいいんですが......」


「書くっていうのは?」

「いろんなパターンを試してみたいんです。論理式......でしたっけ。それのつなげ方というか、複雑なものはどうなるんだろうなって」


「なるほどねぇ」


 そうして、ロゼはレイナの前で、紙の上で記号を転がし始めた。それをレイナは母親のように、微笑ましいなという感情で眺めていた。


 すると、ロゼがレイナに質問した。

「レイナさんって、どうして数理論理学を学ぼうと思ったんですか?」


「この世界のルールを知りたかったから、かな」

「ルール?」


 レイナは少しだけ遠くを見るように目を細めた。


「人間ってのは、意識無意識問わず、日々大量の思考をするものだよね。それがどんなルールに基づいているのかを知りたくなった。さらにいえば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、興味をもったんだ。もともと数学は好きだったし、論理というものを学んでみたくなって、この道を選んだね」


 ロゼは目を輝かせて聞いていた。


「人がどんなルールで思考しているのか、ですか......。頭のいい人が考えることはやっぱ違う......」


「まあまあ、科学的なことを考える上で、『何を持って正しいというのか』という問いは必ず答えなきゃいけないものだからね。理系にいたってのも大きいね」


 ロゼは感心するようにしていた。それから少しして、レイナは食べ終わった。


「さあて、私は食べ終わったよ。どうしようか」


 机を向かい合って、ロゼは言う。


「レイナさんと模擬戦したいです!」


「よし、始めようか」


 その言葉を皮切りに、場に緊張感が漂った。


「テーマはどうするんだい?」

「そうですね、じゃあ、『人生に勉強は必要か?』とかどうでしょう。レイナさんの考えも聞いてみたいです」


「いいねえ、塾講師時代にごまんと聞かれたものだね」

「じゃあ、レイナさんに立論をお願いできますか」


「おっ、いいよ。私が立論するのは初めてだね。じゃあ私は否定側、つまり『必要でない』の立場でいこう」


 ロゼは虚を突かれたような気持ちだった。てっきり、必要だという立場を取るのだと思った。


「え、そっちなんですか!意外です」

「やあ、もちろん本心は必要だと思うよ。でもせっかくだし、こっちもやってみようかなと思ってね」


 立ち振る舞いが強者のそれだ。


「分かりました。なら私は必要側で。模擬戦なので、ターン数とか時間とかは時に決めませんけれど、いいでしょうか?」


「構わないよ。ロゼのやりたいようにやろう。君を育てるのが目的だからね。記録に残るものでもないもんね」


「ありがとうございます。では始めましょう」

 こうしてコングが鳴った。


 ――第一ターン。レイナの立論――

「まず、『人生に必要なこと』というのは、生活できるいう意味で定義する。そのうえで議論すると、私は勉強は必要ないと思うよ。なぜなら、勉強して得られる知識がなかったとしても生きてはいけるから。

 仮に、『勉強しないと生活できない』という仮定が正しいとしてみよう。そしてこのとき、貧困な地域にいる方々を想像してほしい。彼らは教育を受けることが難しい環境にいるけれど、それでも懸命に生きている。むしろ、元居た世界だと、国民の幸福度は発展途上国のほうが高いというデータが出ることもある。

 『勉強しないと生活できない』は正しいと仮定したのに、『勉強しなくても生活している』人がいる。これは矛盾する。では矛盾しないためにはどうすればよいか。それは議論の出発点である『勉強しないと生活できない』という仮定が誤りだと結論すればよい。

 すなわち、『勉強しないと生活できない』は誤りで、『勉強せずとも生活できる』が正しい。以上より、勉強は必要ないね」

 ――第一ターン、終了――


  なるほど筋が通ったように思える。言葉の定義から始めているのも、実にレイナさんらしいと感じた。前までならどうするか迷っただろう。

 しかし、今のロゼには武器がある。まずは主張を整理することにした。

 ロゼは紙に論理式を書いてみることにする。


(主張)

人生に勉強は必要ない


(定義)

人生に必要なこと とは 生活できる


(前提と仮定)

¬(勉強する) → ¬(生活できる)

貧困の方 → ¬(勉強する)∧ 生活できる


(推論)

貧困の方 → ¬(勉強する)∧ 生活できる

¬(勉強する) → ¬(生活できる)

――――――――――――――――――

貧困の方 → ¬(生活できる)∧ 生活できる

矛盾している!


「すごいね。完全に合っているよ」

「ほんとですか!でも日本語に括弧をかけて記号をつけるのは見にくいですね」

「そうだね。だから論理学の世界では、こういう風に書くよ」

 そうしてレイナが書きだした。


(命題)

A:勉強する

B:生活できる

C:貧困の方


(公理)

¬A → ¬B

C→ ¬A ∧ B


(推論)

C→ ¬A ∧ B

¬A → ¬B

――――――

C→ ¬B ∧ B

――


「なるほど、それぞれの命題を記号に直すんですね。数学のxとかnみたいな」


「そうだね。そうすると、日本語の文脈に惑わされず()()()()()()()()()()()()()()()()。まあ、それでも問題ない場合は日本語のままでやっても大丈夫だよ。

 それに、ディベートをするだけなら、あくまでも考え方を知ってほしいというだけだから、ここまでしっかりと論理式を考える必要はないよ。

 ロゼがやっているのは数学ではなくディベートだからね。あくまで厳密に書くとこうなるよというだけさ。実際のディベートでここまでする必要はないよ」


「確かに記号で見るとほんとに数学だ......下の『⊥』という記号はどういう意味なんですか?」


「これは『矛盾』の記号だよ」

「『¬B ∧ B』を示してしまったから『⊥(矛盾)』ということですね」


「そういうことだね。ちなみにこの、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。めちゃんこ使いやすいものだよ」

「はええ、すごい......」


 ロゼは、ディベ―トの主張がこうも記号として表現できるのかと感心の海に沈んでいた。


「さあ、感心している暇はないよ。次はロゼの反論のターンだ」

「そうでした。考えなきゃ。式を見ても分かる通り、論理自体の間違いはないみたいですね。この場合はどうすれば......」


 ロゼは考えた。しかし、全く思い浮かばない。


――論理的に間違っているところはないし、「貧困の方はそうだが、一般にはそうとはいえない」という反論をしても、「必要性の議論をしているのだから、必要でない例を挙げれば反証に事足りる」という答えが待っている。ロゼは困った。どうすれば。


 すると、レイナが口を開けた。


「困ってるねぇ」

「必要かどうかの討論なので、必要ではない例が1つでもあるのなら必要ではないと言えてしまうので......」


「おっ。ちゃんとそこには気付いているね。すごい成長ぶり」


「じゃあどうすればいいんですかこれ......どうしようもないじゃないですか.......あくまで模擬戦なので、手加減してくれるかと思ったのに......」


 ロゼは本当に困っていた。レイナの立論には隙が無いように思える。しかし、レイナはロゼの予想外のことを言った。


「いやいや、手加減しているさちゃんと。()()()()()()()()()()()()()()()()


「定義していない、ですか?」


「うん。『人生に必要なこと』とか、『勉強すると知識を得られる』とかはちゃんと立論で定義している。『生活する』という言葉は定義してはいないけれど、まあ指摘されても衣食住ができること定義し直せば論理は崩れない。

 でもね、ある単語だけは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()がある」


 ロゼは必死に探した。レイナの立論をよく読み、そしてついに()()を見つけた。


「ああっ!ほんとだ!何気なく勝手にこれはこういうものと思い込んでいましたけど、よく考えれば違う意味でも捉えられる!」


 レイナは満足そうにうなずき、ロゼの反論を待った。


 ――ロゼの反論――

「レイナさんの主張は、一見完璧に見えるものです。論理展開は正しいですし、事実論理の欠陥はありません。定義された公理から正しい結論を導いていると言えます。しかし、1つ定義が不足している言葉があります。

 それは『()()()()』という言葉の定義です。

 確かに、貧困な地域にいらっしゃる方たちは、いわゆる学校教育として、教科書やノート、ペンを使って座学に取り組むことは難しいかもしれません。しかし、勉強というのは、何も字を書くことだけではありません。

 例えば、食料を得るためには農業をしなければなりませんが、これは座学で学ぶというよりも、誰かに教えられてその方法を受け継ぎ、学んでいくものです。これは座学ではありませんが、間違いなく『農業を勉強している』と言えるのではないでしょうか。

 もしこれが勉強でないとするのなら、何かを学ぶ事全般が勉強ということになるのでしょうか。しかしそれはあまりに乱暴な論理です。言語、技術、ルール、文化、そのどれもを知らずに生活することは可能なのでしょうか。いえ、不可能です。農業を例にとると、未来永劫農業のやり方を学べないということは、それすなわち食料の確保が不可能になります。

 つまり、『勉強しないと生活できない』というテーマにおける『勉強』は、座学に限られたものではなく、『生きていて何かを学ぶこと全般』を含むべきです。そうすると、勉強は必要であると導けます。

 以上です」

 ――ロゼの反論、終了――


 ロゼは驚いた。まさか自分がディベートにおいて、こんなにもしっかりとした反論ができるのかと、信じられない思いだった。

 それも、『勉強』という単語の定義の不備だけで、農業の例なども出せる自分に驚いた。


 となると、気になるのはレイナの反応だ。


 ロゼはレイナがどんな表情をしているのか確認した。しかし、彼女は平然としていた。それどころか、すぐさま反論を始めた。


 ――レイナの再立論――

「『勉強する』という言葉の定義は、当初の文脈の通り、『学校教育のような、座学を含む体系的な学習』で構わない。

 一方ロゼは、『何かを学ぶこと全般が勉強』と定義した。だがこれは十分な定義とはいえない。

 それはなぜか。その定義では、勉強していない状態が現実に存在しなくなる。

『何かを学ぶ事全般』と定義したが、ではその否定『なにも学ばない時』というのはどういった瞬間なのだろうか。

 人間は生きている限り、五感を通して常に新しい情報を得ている。例えば『この道を通ったら歩きづらかった』『この果物は酸っぱかった』という日常の些細な経験さえも、脳の仕組みとして自動的に『経験からの学習』に含まれる。

 つまり、ロゼの定義をそのまま適用すると、人間が生きている一分一秒のすべてが『勉強している状態』ということになり、学ばない瞬間はないということになる。

 それはすなわち、『生きていると勉強しているは同値』という関係にほかならず、『人生に勉強は必要か?』というこのディベートの問い自体が成立しなくなる。『人生に生きることは必要か?』と聞いているようなものだからね。

 『勉強』という言葉を『学校教育のような体系的な学習』と定義すれば十分に議論できる。そのうえで、生活に勉強は必要ないと結論できる。以上」

 ――再立論、終了――


「なっ......!」


「はっはっは。まだまだだね。反論すべきポイントを探すことはできているけれど、どう反論すれば有利になるかはまだまだ改善の余地がありそうだね」


「わざと隙を作らせて、そこへの反論を狩る......恐ろしい......」


「まあでも、定義の仕方が十分じゃないってだけで、指摘する箇所自体は大正解。それにたいていの人なら『勉強は学ぶ事全般』と言われたら困るものだよ。それへの反論をすぐに思い描けるって人は少ないだろうね」


 ロゼは全身全霊をかけてもこの人には勝てなさそうだと感じた。しかし、それはロゼにとって教授を請わない理由にはならなかった。


「となると、この場合私はなんて反論すればよかったのでしょうか」

「そうだね。満点なのは、『体系的な学習とは、学校教育以外でも行われるのでは?』と指摘すればいい」


 ロゼはその言葉を聞いて、ミステリでどんでん返しを食らったような衝撃を受けた。意識外から石が飛んでくるようなものだ。


「はあっ!本当だ!」

「私は『学校教育の()()()学習』とか、『座学を()()学習』としか言っていないんだね。つまり、『体系的な学習とは何か』という定義はしていない。

 学校教育や座学は『体系的な学習』の例でしかない。そこを指摘して、『人から何かの技術を受け継ぐこと(農業など)も体系的な学習と言える。事実、農業は農学として体系的に科学されるものだ』と言えば完璧だね」


 ロゼは狐につままれたような気持ちだった。ここまで考えても届かないのかと、軽い絶望すら覚える。


「まあ、こんなところかなぁ」


 レイナは何事もなかったかのように言った。まるで、最初から結論が分かっていたかのように。


 ロゼはその横顔を見て、ふと思った。

――この人は、どこまで見えているんだろう。


 時計を見ると、午後11時になっていた。


「どうだった?模擬戦してみて」


「なんというか、言葉の定義って大事なんだなって思いましたね。それがどうなされているかで正しい主張なのか間違っている主張なのかが変わってしまう......」


「いいところに気付くねぇ。その通り。ディベートってのはなにも相手の矛盾点を突くだけじゃないんだ。相手の主張を捉え、どんな論理構造があるのかを確かめ、不備を指摘する。言葉の定義不足というのは、もっとも起こりやすい不備だろうからねぇ」


「ということは、逆に言えば、論理的にまったく不備のない立論をしてしまえば反論側はどうしようもないということなんですか?」


「そんなことはないさ。そしたらつまんなくなっちゃう。どれだけ論理的に正しくとも、前提が正しいかどうかはまた別の話。

 論理っていうのは、与えられた前提から正しく結論を出す技術にすぎないからね。前もどこかで言ったっけ。『おかしな前提からはおかしな結論が出るだけで、前提の正しさは論理的な正しさとは関係がない』ってね」


「ということは、相手の主張を聞くときは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を聞かないといけないってことですね」

「そそ。そういうことだね」


 ロゼはそれもメモした。自分が立論する側になったときにも気をつけねばならないことだ。


「さあ、そろそろ寝よっか。明日はもっと難しくなるぞお」


 ロゼは、紙が数多の記号に侵されているのを眺めた。すこし前の自分だったら何を書いているのかさっぱりだっただろう。しかし今なら、少しだけなら理解ができる。


 ふとレイナの紙を見てみると、ロゼは驚愕した。


 全く知らない記号もあったし、分数が連なっているようなものまで見えた。

 なんなんだあの『∀』とか『∃』って記号は。分数のタワーには『⇒E』とか『∧I』とかが書かれている。その上には、『直接証明と間接証明, 反証とは』とか、『対偶の論法と背理法』とも書かれていた。


 まだまだ知らなければならないことはたくさんあるようだ。ここで書いているということは、どれも数理論理学の言葉で、かつディベートに使えるものなのだろう。


 すると、レイナと目が合った。


「んん?どうしたの」

「いえ、レイナさんの紙に書いていることが気になって」


「ああ、後々教えることになると思うよ。特にこの『∀(全称)』と『∃(存在)』とか、対偶とかはもろにディベートに使えるものだからね」


 どうやら、まだまだ自分は強くなれそうだ。

 こうして2人の講義は終わった。


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