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第一話 ルールの導入

 玲奈はまず、周囲を観察した。


 小さな村のようだった。彼女は村中央の広場のような場所にいるようだった。時刻は昼だろうか。

 噴水があり、木やレンガで出来た建物があたりに存在する。麻で出来た服を着た人々が周りにいて、それは2026年生きるものとしては見たことのないような服装だ。


 玲奈は少し困惑したが、次第に状況を把握した。


「論理的な世界......というものか?」


 彼女は、数分前まで自宅にいた。SNS上で不自然なダイレクトメッセージをもらい、もし論理的な世界があれば行きたいかという問いに肯定の意を示した。


 夢の中なのかと玲奈は思ったが、そうとは思えないような現実感がある。視覚、聴覚、嗅覚、触覚はどれも完全に機能している。味覚はまだわからないが、おそらく機能しているのだろうと思われた。


 玲奈は今、白いブラウスにデニムと、この世界では浮いた服装をしていた。そのせいか。彼女を不思議そうに眺める人もいた。


 ある程度状況を掴めた時、玲奈の近くで喧騒が聞こえてきた。


「おい!そんなもんか?てめえ、自分から挑んできてそんなものなのかよ」

「え、えっと......その......」


 20代に満たないような少女が、ガラの悪い男に絡まれているようだった。


しかし聞こえてきた内容から考えるに、少女の方から絡んだようだった。少女は黄色のワンピースを着ており、男はサングラスにタンクトップという服装だ。


「おいおい、確かに俺様は村でもかなりのディベーターだけどよ、あんたほど弱いものは見たことねえよ」


 ディベーター?と玲奈は思った。


 前の世界にいたころ、海外の大学の授業として、生徒にディベートをさせるというものがあった。「ディベーター」という単語がそこでしか聞いたことがない。なぜこの場所でその単語が使われているのか気になった。


「へへ、俺の勝ちだ。お前の財産も服も全部もらうぜ。裸で帰るんだな」


 その男の言葉に、玲奈は興味を持った。


―ディベートに勝って財産をもらう......?どういう勝負なんだ


 玲奈は、この世界を知るためにも、その2人に話しかけることにした。


「ねえ、ディベートがなんだって言ってたけど、どういうことなの?」


 男は怪訝そうな目線を玲奈に送りながら、乱暴に答えた。


「ああ?ただディベートを挑まれたから俺が勝ったってだけだ。一応言っておくがな、勝負内容はこの女が提案したものだからな」

「そ、そうですお姉さん......私から言ったものです......」


 自分から勝負を仕掛けたからといって、ただの討論でそんな人生を棒に振ることもないだろうにと玲奈は思った。法律とかもないのだろうか。


「それはそうだろうけどさ、たかがディベートで財産とか服とか奪うのはどうなのさ」

 その言葉を発した瞬間、男のみならず少女や周りの人間も懐疑的な表情をした。


「はあ?何言ってんだお前は?ディベートが全てなんだろうがこの世界は」

「ディベートが全て.....?」


「当たり前だろうよ。この世のほとんどの決まりごとはディベートで決まんだよ。当然じゃねえか」


 すごい世界に来てしまった、と玲奈は思った。しかし、彼女はあくまで冷静だった。論理で全てが決まるとはつまり、ディベートのことなのだろう。


 ならば、今こいつに勝てばこの世界のことも教えてもらえるだろうか。さらに言えば、今彼女は何の生活資源もない。お金(という概念がこの世にあるのなら)もないし、安全に夜を過ごす場所もない。唯一助かるのは言語が通じることだけだった。


 この男の言うことが正しいのなら、いまこの男にディベートに勝てば、ある程度のこの世界のことが知れるだろう。


 そう仮説を立てた玲奈は、男にある提案をした。


「ならさ、私ともディベートしようよ。興味あるよ」

「ああ?俺様に挑むのか?構わんが、俺は今まで負けたことがねえぞ?」


 玲奈は、ディベートの経験はそれほど多くはない。あるのは素人質問と言う名の淡々とした研究発表での質疑応答だ。たまに「その理論の提唱者は私なのですが―」とかもある。戦々恐々である。


 しかし、彼女はれっきとした論理学者である。まあなんとかなるだろうと思い、挑戦を仕掛けることにした。


「そもそもよお、勝負ってのはお互いの物をかけなきゃならんだろ。お前に何か欠けられるものがあるのかよ」


「まあ、そうだねえ。じゃあ、私の全てをかけようか。もし君が勝ったなら私のことを好きにするといいよ」


「はあ?お前なに言ってんだよ。なら俺になにを求めんだ」


「さっきこの子から奪ったものと、今君が持っているもの全部だね」

 どう見ても玲奈に不利な内容ではあるが、いま賭けられるものはそれしかない。


「いいだろう。受けて立つよ」

 こうして玲奈の、この世界での初のディベートが始まった。


いつの間にか聴衆が増えていた。


 どうやらこの男はある程度の実力があるらしく、強さ武器にを乱暴な賭けを仕掛けることで有名だったようだ。この少女とのディベートを快諾したのもそれから来ているのだろう。


 そんな男に、見たことのない恰好をした美人な若い女がディベートを挑んだのだ。しかも、彼女の全てを賭けるのだという。道行く人も興味を抱くに足る要素だった。


 ディベートに関し、様々な取り決めを行うようだった。見物人の1人であった女性が進行を司るようだ。ここになにかトリックがあるのではと玲奈は疑い、観察するが、特に不審な点は見当たらない。これもこの世界のルールなのだろう。


「では、ルールに従って、まずお互いの人物の確認と、勝負内容を決定します。女性、お名前を」


「玲奈だよ」

「レイナさんですね。では男性は」

「トーマスだ」


 玲奈はこの世界のルールが分からないため、とりあえず女性にしたがった。自分に不利にあつかうような雰囲気も見えない。それどころか、進行役を楽しんでいるようでもあった。


「勝負内容は、レイナさんは彼女の全て、トーマスさんは所持品全て、でよろしいですね」

 2人はうなずいた。


「ディベートルールがどうなさいますか」

 その言葉が何を意味するのか、玲奈には分からなかった。困惑した表情をしていると、少女が補足した。


「ディベートはターン性なのですが、終了条件を討論時間にするのかターン数にするのかをまず決めます。次に勝敗の決定方法を決めます」


「なるほどねえ。まあ、トーマスが決めてくれて構わないよ」


「そうか。ならターン数6で勝敗決定は進行の女の独断としよう。かまわないか?」


「それはつまり、お互いが3ターンずつ主張を展開し、最後に進行の女性がどちらの論証が優れているかを決めるということでいいね?」


「その通りだ。ただし、肯定側は最後にもう一度だけ主張ができる。否定側で終わるのは不利だからな」


 玲奈が体験したことのあるディベートもターン性で、まったく同じものだった。互いの公平性が担保されたルールで助かった。


 進行の女性が続けて言った。


「テーマはどうなさいますか?」

 玲奈は特にこだわりはない。流れに任せることにした。


「私はなんでもいいよ」

 すると、トーマスが活気づいた。


「まじかよおい。なら俺が勝手に得意なのに決めちまうぞ?」


「別にかまわんよ。論理的な立論がなされているかどうか、私が査定するだけだからね」

「なら、テーマは『強いものが正義である』だ。当然だな。俺は肯定側をいただいてもいいか?」


 なるほど、前提が単純で崩しやすい―と玲奈は考えた。


「いいよ。なら私は反対の立場だね。つまりこれは後攻ってことになるのかな?」


「それで構わん。お前が俺の主張を崩せるとは思わんがな」


 トーマスは自信満々に言った。しかし、玲奈は全く臆することなく、頭の中で論理式を構築する準備をした。


 いつの間にか聴衆がかなり増えていた。周りの目が好奇に満ちるのが感じられる。まるでボクシングのリングのように、聴衆は2人と進行の女性を囲んだいた。


「では、ディベートを開始いたします。トーマスさん。立論側第1ターンを開始してください」


―第1ターン、トーマスの立論が始まる―

「強い者が正義である、というのは感情論でもなんでもない、単純な話だ」

 トーマスは周囲を見ながら続ける。


「世界というのはルールによって全てが決まるものだ。ならば、そのルールを作り従わせる存在、いわば強いやつが正義なのは明白だ。極端な話、自分好みにルールを設定し、それに従うことを強制できるのなら、そいつが世界の正義になってしまうのは当たり前だ。俺からは以上」


 周囲は少しどよめきが起きた。もっともらしい理屈であったからだろう。

―第1ターン終了―


 なるほど、確かに一見筋は通っているように思われる。しかし玲奈は、論理的に主張を整理すると、その内容はちぐはぐだと考えた。


―第2ターン、レイナの反対意見―  

「君の主張を整理しよう。

『世界はルールで決まる』

『ルールを作って従わせるのが強い存在』

『だから強い存在が正義』

 という一連の論理だね。それには不足がある。


 まず、どのような存在が『正義』に該当するのか定義されていない。『正義とはこういう存在で、強いものは該当する』という論じられ方になっていないんだ。

 君の論じ方は『こういう存在がいたらそれが正義なのは明白』という、いわば言い換えや表現の問題にしかなっていない。それは論理的な主張とは言えない」


 玲奈の斬新な切り口に、トーマスはたじろぐような姿勢を見せた。厳密な定義に基づかない論理は往々にしてどこかで詰まるものだ。


 彼女はつづけた。

「2つめ。反例を挙げよう。君はルールを作り、従わせられる存在が強い存在だと定義したけれど、もしそれらが別の存在だった場合はどうなるかな。例えば、国民が投票によってルールを作れるような世界だった場合、ルールを作る存在と従わせる存在が等しくならない。

 ルールは国民が作り、従わせる側がそのルールに則って罪や罰を与える場合、誰が君の言う正義に当たるのかな。

 私からは以上だね」


この世界がどうなのかは知らないが、玲奈の元いた世界では、ルールを作る機関とルールを従わせる機関、つまり立法と司法は別々だ。それをもとにした反論をした。

―第2ターン終了―


 聴衆はどよめいた。理路整然とした玲奈の反論に、すばやく答えられるものはいなさそうだった。しかし、トーマスはある程度の経験もある。彼はなんとか振り絞り、反論をした。


―第3ターン、トーマスの反論―

トーマスは一度、息を吐いたあと言葉を選ぶように口を開いた。落ち着いていることのアピールだろう。彼は腕を組む。


「お前の言う反例ってのは、つまりルールを作る側と従う側が分かれているケースの話だろ?でもそれは俺の主張を否定してるわけじゃない」


トーマスは指を立てた。


「いいか、こう考えろ。国民がルールを作る場合でも、そのルールは『多数の意思』によって成立している。そしてその多数の意思に従わせる力があるから、そのルールは成立する」


彼は周囲を見回す。


「つまり、強さってのは個人の暴力や抑制だけじゃない。人数や制度、全部まとめて従わせる力だ。この場合『多数の意思』というのが従わせる力になる」


トーマスは続ける。


「だから国民がルールを作っているように見えても、それは集合としての強さが働いているといいうことだ。結局、ルールを現実に効かせている側が正義になる構造は変わらない。お前の例は、その形が違うだけの話だ」

―第3ターン終了―


 トーマスは、まとまった反論ができただろうと考えた。少しだけ語彙のレベルも上げ、ディベート慣れしていることを知らしめるかのようだった。

 どれだけ怯んだかと期待して玲奈を見ると、全く動じていないようだった。

 玲奈は臆することなく、素早く反論を再開した。


―第4ターン、レイナの再反論―


「君は従わせる力があることを強さと定義したんだね。それは多数決のような、抽象的な概念でも成立しうると補足してくれた。じゃあ、その定義をそのまま使うことにしよう。意味論として妥当性に関する議論は一旦おいておくよ。

 さて、だとしても、結局『正義』という言葉の定義が与えられていない。

『ソクラテスは人間である』という命題から『ソクラテスはいつか死ぬ』という命題を直接に導くことは不可能だ。

 そこには『人間はいつか死ぬ』という前提がなければならないね。

 君は今、『従わせる力があるならば、それは強い存在だ』と定義したけれど、そこから直接『従わせるものは正義である』と結論することはできないね。そのためにも、どんな存在が正義にあたるのか定義しておくれ。そちらに戻そう」


―第4ターン終了―


 トーマスは持論を展開するのに対し、玲奈はあくまで論理の欠陥を指摘する。 聴衆は、玲奈の高度な指摘にもはや虜になっていた。


 彼女の指摘に従い、トーマスは議論を進める。


 この場合、トーマスにとって有利な定義を披露するべきというのは彼も分かっていた。どう主張を展開すれば有利になるか必死に考え、それを周囲に見破られないように振る舞った。


―第5ターン、トーマスの再立論―

 トーマスは一度だけ視線を外し、言葉を選ぶように間を置いた。

「じゃあ、正義の定義をはっきりさせる」


 彼はゆっくりと言う。しかし、頭の中は白いもやがかかっていた。


「正義ってのは、その世界で実際に機能しているルールのことだ。規則という意味でもそうだし、常識とか文化みたいなものもそうだ。

 最初に言ったが、誰も守らないルールは意味がない。守られて、回っているルールだけが現実を動かしてる。だから、そのルールを作って、それを成立させてる存在が正義だ」


 視線をレイナに戻す。


「結局、正義ってのはちゃんと動いてる仕組みのことだ。機能していない壊れてるルールじゃなくて、現実に通ってるルール。それを作れるやつが強いし、それが正義だ。以上」

―第5ターン終了―


 トーマスの理屈は、一見通っているように思えた。聴衆も、この論理に対する玲奈の指摘を楽しみにしているようだった。

 しかし玲奈からすると、全くもって正確でない論理に思われた。

 トーマスは、もう話さないでくれと心の中で懇願するも、彼女はあっけらかんとした表情で答える。


―第6ターン、レイナの最終反論―

「その論理は誤りだ。反証しよう。君の主張をまとめると、

『正義とは、実際に機能しているルールである』

『機能しているルールを作るのが強い存在』

『だからルールを作り、成立させる存在が正義』


 こういう論理だね。しかしそれは正確な論理ではないよ。

 君は『機能しているルールそのもの』を正義と定義しているのに、最終的な結論は『ルールを作るもの』が正義と結論している。それは矛盾する。

 もっと簡単に説明しようか。『ルールそのもの』が正義の定義なのであれば、『正義』を構成する要素は全て『ルールそのもの』でなければならないね。

 では、『ルールを作るもの』は『ルールそのもの』に該当するだろうか?いやしないね。

 例えば法律を考えてほしい。法律は『ルールそのもの』に他ならない。そして君は『ルールそのもの』を正義と定義している。つまりこの場合、法律は正義だと言える。

 では、ルールを作る人、即ち政治家は正義と言えるだろうか。この定義ではそうは言えない。なぜなら、政治家は『ルールそのもの』ではない。ただの人だからね。

 以上。反論を終える」


 玲奈は、この世界に法律という概念があるのかを忘れて語った。しかし聴衆は理解しているようだった。

―第6ターン終了―


 これまでに最大のどよめきが起こった。トーマスのもっともらしい立論も、論理のプロフェッショナルには歯が立たない。


 第7ターン、つまり最終立論が残ってはいるが、トーマスはもう話したくなさそうにしていた。それでも時はやってくる。なんとかそれらしいことを話すしかない。


 トーマスは第7ターンとして、何かをつぶやいた。しかしそれは誰にも刺さることのない、意味不明な理屈であった。


 司会の女性が二人の真ん中に立った。


「ディベート判定をします」

 もはやだれが勝ったかは明白であったが、無慈悲にもその結果は伝えられる。


「勝者は、レイナさんとします。トーマスさんの主張に対し、的確に論理的な指摘を繰り返していました。対するトーマスさんは、それにうまく応答することができず、正確に言えば、彼女の言った論理の欠陥の指摘に補足できなかったことを評価し、レイナさんを勝者とします」


 その瞬間、まるで世界一が決まったかのように、聴衆は騒ぎ始めた。

論理の解説などは2話や5話でしっかりいたします!

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