第二話 命題の論理
レイナは、約束通りトーマスから全財産をいただいた。情けから服だけは奪わないでいた。
司会の女性はレイナに質問した。
「お嬢様の物もございますが、どうしましょうか?」
トーマスはレイナに負ける前、少女の持ち物を奪うことに成功していた。その後、レイナがトーマスの持ち物を得る形になった。つまり、少女の持ち物もレイナの物ということになる。
「ああ、彼女の分は彼女に返して構わないよ。あの子を裸にするつもりは毛頭ないからね」
その時、少女がレイナのもとへやってきた。
「そ、その、レイナさん、お強いですね。しっかりとした主張ですごいなと思いました」
少女のことを観察してみると、着ている黄色いワンピースはぼろぼろで薄汚れている。靴も土まみれで、家出でもしているのかと思わせるような恰好であった。
「私は何も主張なんてしていないんだけどねぇ。ただ彼の論理の欠陥を指摘しただけだよ」
そう、レイナは先ほどの討論において、特に持論と言った持論は展開していない。ただ淡々と指摘をしているに過ぎなかった。
レイナは、あらためて少女について考えた。
恰好はぼろぼろ、自分からディベートを挑んでいた点、服をも対象とした大胆な賭け方、そして自信のなさそうな話し方、負けていたところ。これを論理的にどう解釈するべきかを考えた。
『恰好がぼろぼろ → 同じものを着まわしている ∨ 何かで汚した』
『自分からディベートを挑む → 挑む理由があった』
『大胆な賭け方 → お金が不足している ∨ ディベートが好き』
『自信のない話し方 ∧ 討論に負けた → ¬ディベートが好き』
『¬ディベートが好き ∧ 大胆な賭け方 → お金が不足している』
『お金が不足している ∧ 恰好がぼろぼろ → 生活に困窮している』
公理が妥当かは分からないが、このような論理は導けるとレイナは考えた。
「ねえ、もしかして、生活に困ってたりするの?」
少女は恥ずかしそうにして言った。
「ええ、まあ、わかってしまいますか......」
レイナは少女の話を聞いた。
それなりに位の高い家に属しているのだそうだが、あまりにもディベートが下手なことから勘当されたのだそうだ。それで住む場所もなく、何とか数か月間生きながらえてきたのだそうだ。
そのエピソードを聞き、レイナはこの世界でのディベートの重要さを改めて認識した。
「そうかあ、それは辛いね」
レイナは共感するとともに、1つの案を思いついた。この世界のことを知るためにも最適だ。
「じゃあさ、一緒に行動しないかい?実は私も一人でね。何がなんだかさっぱり分からん」
「いいんですか!」
「もちろん。いろいろ聞きたいこともあるし、君のディベートスキルも上げられるかもしれないね」
「ありがとうございます!えーと、私はロゼといいます!」
少女は安堵の表情を浮かべた。
レイナとロゼは、トーマスから得たお金をもとに、今日泊まる宿を探した。すでに外は暗くなってきていた。お互いの簡単な自己紹介をした。ロゼは今19歳なのだそうだ。
宿を探す途中、おいしそうな肉屋さんがあり2人は軽く夕食を取った。店に入る途中、ディベートをしている声もたくさん聞こえてきており、喜ぶ声や悲しむ声も聞こえてきた
店の中は、大きなろうそくで暖色の光を放っている、落ち着いた雰囲気の店だった。それなりに繁盛しているようで、人も多い。
「しかしレイナさん、あのディベートはすごかったですね」
レイナは肉をほおばりながら答える。
「んん?にゃにがだい?」
「トーマスさんへの指摘です。あんなの見たことがありませんよ」
ロゼの家系は、代々ディベートの強さでのし上がってきたのだという。この村では最も強い人たちらしい。
「そんにゃことないさ。りょんりてきにあきりゃかにおかしいかりゃね」
「レ、レイナさん、何を言っているか.....」
レイナは肉を飲み込み答えた。
「ああ、すまないね。彼の主張は明らかに偽である論理をずっと語っていたからね」
「論理?」
「そう、まずそもそも論理と言うのは......」
レイナの講義が始まった。
「論理というと難しいものだと思われがちだけど、そんなことはないんだよね」
レイナは、思考を整理するように、テーブルの上に線を引くように指を動かす。
「例えばさ、『雨が降ったら、地面が濡れる』これは分かるよね?」
「え、ええ。もちろん、雨が降ったら、当然地面は濡れますね」
「そうだね。じゃあ次。『雨が降った』という事象を確認できたとしようか。そしたらどう結論できるかな?」
ロゼは考えるまでもなく答えた。
「......地面が濡れる、ですか?」
「その通り。大正解。これが論理だよ」
当然のことを何を言っているんだろうとロゼは困惑したが、彼女はつづける。
おもむろに近くにあったアンケート用紙とペンを持って、何かを書きだした。
「これを形式化するとね、こういう風に書けるんだ。
AならばBである
Aである
――――――
Bである
と結論できるということだね。この『―――』は、まあ簡単に言えば、上から下のことが言えるよってことだね。このAとかBに、雨とか地面とか、正義とか力とかを入れたのがさっきの例。これは一般に三段論法とかモーダスポネンスと言われるね」
レイナは簡単に図を用いて説明した。
ロゼは感心したように目を輝かせた。
「すごい......トーマスさんとの難しそうな討論も、たったこれだけで書けるんですね」
レイナは肉を一口食べてから続けた。
「その通りだね。さっきのトーマスの話も、本当はこういう形にしなきゃいけなかった。でも実際はどうだった?」
ロゼは少し考える。
「えっと......強い人が正義、って言ってましたけど......でも途中から、正義とは何なのかがあやふやになっていましたね。」
「一番大きな問題はそこだね。他にも細かいズレはあるけど、あれが致命的だった」
レイナは優しく言った。
「彼の場合、『AならばB』が抜けていたんだ。つまり、途中のつながりがないまま結論に飛んでしまっていたんだね。なぜそうなるのかがどこにも書かれていなかったんだよ。それをそれっぽく言ってただけってこと。
まあそれが成り立つような論理体系もあるんだけど、それはまたあとでということで」
ロゼはこのとき、はっとした表情をする。
「じゃあ......論理っていうのは、ちゃんとつなぐことなんですね」
レイナはその言葉を聞いて、実に嬉しそうな表情で強く頷く。
「まさしくその通りなんだよ!それが論理の本質というもの!ひらめきとか頭の良さとかそういうものではなくて、ただ単に記号と記号と繋いでいく作業。それが論理だよ」
ちょうど2人は食事を終えたところだった。宿を探すため、立ち上がり、代金を支払った。
宿はこの辺りに多く存在するようだった。
近くの宿に入り、1部屋を借りた。木造ではあるものの、中は非常にきれいで、実に暮らしやすいところだった。
2人はそれぞれ入浴を済ませ、レイナは机に、ロゼはベッドへ座った。ぼろぼろな服を着ていたからか分からなかったが、ロゼはかなりの美人だった。
「論理の世界っておもしろいですね」
「まさしく。人間の思考を形式化するわけだからね。どんな考え方を無意識にしているのかがわかるよ」
「講義の続き、聞きたいです!」
ロゼは無垢な瞳を向けてきた。
「少しならいいよぉ。ちょうど言ってなかったこともあるし」
レイナは少し疲れていたが、続けることにした。
「まず根本の言葉として、正しいか正しくないかが決まる文章を『命題』というんだね。このとき、正しいことを『真』、正しくないことを『偽』と呼ぶ。
例えば、『10は5より大きい』とか、『私は男性である』とかね。これらはそれぞれ真偽はどうなるかな?」
「えーと、10は5より大きいので、『10は5より大きい』は真で、レイナさんは女性なので『私は男性である』は偽でしょうか」
「うんうん。その通りだね」
「レイナさんが言っていた『ならば』という言葉にも何か意味はあるんですか?」
「おお、いいところに気付いたね。それは『含意』と言ってね。命題と命題のつなぎ方みたいなものだね」
彼女は机の上の紙に、簡単に書いた。
『AならばB』
「これは、Aが成り立つときは、Bはどうなるかという約束だね」
「約束……ですか?」
「そう。だからね、大事なのはここなんだ」
レイナは軽く指でAの部分を叩いた。
「Aが本当に起きたとき、Bが起きなかったら、この『ならば』は壊れる」
ロゼは少し考えてから言う。
「......あ、さっきの雨の例だと、雨が降ったのに地面が濡れてなかったらおかしいってことですね」
「正解」
レイナは満足そうに頷いた。少し間を置く。
「ディベートでやることは単純でね。相手の『AならばB』を見つけて、本当にそうなるの?って確かめるだけなのよ」
ロゼの目が少しずつ理解の色に変わっていく。
「もしAなのにBにならない例が一つでもあれば、その主張は崩れる。反例というものだね。それを見つけるのが、反証ってことだね」
一区切りついて、ロゼも眠くなってきたようだ。
「なんだか、今日一日ですごい賢くなった気がします」
「そうだねぇ。勉強していて楽しくなる瞬間だね」
「また明日もお願いします!」
こうして2人は眠りについた。
レイナは、次に教えるとしたら論理式についてかなぁ、「∧」や「∨」、「¬」とかも教えたらわかりやすいか、と、大学の講義をする前のようなことを考えていた。




