番外編:若木の一節
本編数年前の過去話。
大分前に他の戦争屋が見たいとリクエストくださった方へ。
およそこんな感じです。
地から湧くような勝ち鬨に、息を付いて剣を下ろした。愛用の刃にべっとりと付着した血糊を拭い鞘に収める。
滲んだ汗が血に混ざって顎を伝う。手の平で無造作に拭うと、頬の傷が引き攣れてピリリと痛んだ。
見回した戦場は、思ったより酷いものではなかった。地に倒れ伏す味方はそう多くない。敵方の死骸も程々のものである。
近くに倒れた将が呻き声を上げたので、念のため後ろ手に縛り上げておいた。殺すなら殺すで、後々判断を下すのは雇い主だ。恐らく釈放されるだろうとあたりを付ける。何せ雇い主たる国は、敵に飢えているようなので。
「戦争屋さーん、リンデンさん!」
転がした男に適当な止血処置を施していると、戦場に似合わぬ陽気な呼び掛けがリンデンの鼓膜を揺らした。
リンデンはいわゆる戦争屋だった。戦争に飛び込み戦場を駆ける、団体戦に強く、人の行動を読むのに長けて、状況に合わせて勝利に向かう、戦争屋。対人戦に特化し対人戦で金を稼ぐ戦争屋は、基本的に人の敵として嫌われる。およその人間が顔を顰める職である。
今回の戦場は常連客にして問題児である大国家、アキルスが統括する場だった。闘争の国と自ら銘打つ国が普通であるはずがない。戦争をしたいがために国を存続させていると見ても良い異常な国だが、アキルス国民には特に不満はないようなのが不思議だった。内政には問題ないにしろ、年がら年中戦争してるような国に不満がないというのはどういう類の冗談だ。リンデンにしてみれば金の成る木であるものの、他人事ながら心配になる神経である。
「お疲れ様でした! あ、そいつほっといて良いですよ。どうせ処刑とかしないんで」
「……そっちが良いなら良いけどな」
「え、だって処刑したら戦争の種なくなっちゃうじゃないですか。だから最近、王が『無闇に殺さないように』ってお布礼出したの知りません?」
「それで一も二もなく頷けるのが不思議だよ、私は」
そんなアキルスの兵士は、基本的に戦争が好きだ。本当に、何がどう回ってそういう思考になるのか。知りたくもないので聞いたことはない。
予想していた答えに、止血を終えた男を放り出す。地面に落ちた身に痛みが走ったのか、低い呻きがまた響いた。意識は戻っていないようだ。目を覚まして面倒にならない内にと早々に退散することにする。
「今回もリンデンさん周り、随分負傷者数少なかったですよ。治療班が嘆いてました」
「だからな、仕事が減って嘆くのはおかしいだろ。もうちょい世間の常識に添うよう頑張れよ」
「何言ってるんですか、仕事は充実するべきですよ! やりがいの仕事なんてやりがいがないじゃないですか!」
「もしかしてお前の行く病院は『またのご来院をお待ちしております』とか送り出すのか?」
「え、それ以外に何かあるんですか?」
「そうか。分かった。もう口を開くな」
こめかみの古傷が痛むのを指で押して誤魔化す。その近くにも傷があるらしく、不愉快な感覚が響いた。離した指を見るに、止血の必要はないだろう。後で一応消毒薬だけ振りかけておくことにする。
戦争屋は嫌われ職であるが、戦争が大好きと明言してならないアキルスでは、やけに慕ってくる人間が頻出した。人である以上、慕われて悪い気はしない。しないが、宇宙人と交信するのは難しいことだと実感する。
後の処理を行き交う兵士に確認しつつ、ひとまず終わったらしい出番に息を吐いた。
剣を交わすのは、いくら慣れているとはいえ疲れるものだ。こんなことが好きな人間がやはり自分にはよく分からない。
「でも、さすが戦争屋さんですよねえ。こんな方から奇襲狙ってるなんて、気付かなかったら危なかったです」
「アキルスが正面突破すぎるんだよ。戦力で押されていれば普通は裏を掻こうとするもんだろう」
「えー、難しいですよ」
「そういうときのための軍師のはずなんだけどな。いい加減に根性論に走る馬鹿リストラしたらどうだ」
「僕に言われても」
「むしろ困るのはお前らじゃないのかと……」
爽やかに笑う若い兵士の神経は、きっとリンデンとは別の素材でできているんだろう。
早々に無駄を悟って首を振る。不思議そうな丸い目がぱちぱちと瞬いていた。お前に言うべきことは泡と消えたから気にしないでおけ。
数秒ほど続きを待っていた男は、やがて沈黙に飽きたのか、小動物の動きで首を傾げた。
「リンデンさんは戦争屋以外になろうとしたことあるんですか?」
機嫌を損ねないかどうかを不安げに窺う目には、隠し切れない好奇心が灯っている。こちらの態度を気にする様子を新鮮に感じた。
色んなものに毒されているな、と思いながら首を振る。
「ないことはない。一番適正がありそうなのが戦争屋だったんでな」
「えーっと、その、不躾かもしんないんですけど」
「何だよ」
もじもじと指を組むのは良いが、いい年こいた成人男子がするのは場合によって反感を招くから止めた方が良いぞ。
「戦争屋って、やりたくてやってんですかね。どうして戦争屋に? 僕らはリンデンさんが戦争屋で凄い助かってるけど、ほら、色々評判悪い職じゃないスか」
初めて向けられる質問というわけではなかった。
「まあそうだな」
簡単に肯定すると、勢い込んで唾を飛ばした。できれば余所を向いて喋ってくれると嬉しく思う。
さりげなく位置を調整しながら、興奮の面もちで紡がれる兵士の言葉に耳を傾けた。
「その、止めたいとか、やっぱ他の職が良いとかなら、うちなんかよく兵士にならないかって打診してるじゃないですか。どうして転職しないんか不思議で不思議で」
「少なくともアキルスには世話になりたくないもんだ」
「ええー、何でですか! 良いところですよ、好きなだけ戦えるし、好きなだけ戦った上に満身創痍なのに次の戦場が現れるからまた戦えるし」
「あらゆる角度から見てブラックだから、それ以上飼い慣らされるなよ」
で、と続きを促す。ひとまずリンデンはこれからしばらく時間が空いているのだ。どうでも良い話に付き合って、戦いに高揚した気持ちを落ち着けるだけの余裕はある。
この兵士がこんなところでサボっていることについては、こちらの知ったことではないので考えないことにした。
「でもリンデンさんはずっと戦争屋やってるみたいだし、他の戦争屋は結構他職掛け持ちしてるけど、やっぱり戦争屋名乗ってて、それは何でだろうなって」
「私は必要に駆られて仕事始めたからな。さっきも言ったが、変に傭兵とかになるより戦闘スタイルが合ってるんだよ。他の奴はどうだか知らんが……そういえば何で戦争屋名乗ってるんだろうな」
改めて考えてみると不思議なことではあった。一回の実入りは、確かにただ傭兵として雇われるより専門職のため優遇されるだろうが、世間の評判だの別の仕事の依頼スタンスだのを考えるとメリットはないように──いや。
考えたことがないだけだった。少し考えると、すぐに答えが知れる。己がその一員だとは思いたくないものだが、案外、外から見れば同じ穴の狢なのかもしれなかった。
にわかに落ち込んだリンデンに心配そうな声が掛けられる。視線を上げると、聴講客が増えていた。見覚えのある顔に記憶を巡らせると、同じ部隊に配されていた兵士だったと思い出す。無事なようで何よりだ。
深い溜息で気を紛らわせる。
「もしかして場合によっては戦争屋になりたいとか思ってるのか?」
「僕たち戦争大好きなんです!」
「色んな意味で止めとけ」
膨らませた頬を押し潰す。手甲が刺さったのか両眉が跳ね上がる。悲鳴を耐えたのはさすが男の子だ、偉いぞ。
「戦争屋って少ないだろ。なってみれば、多分、誰でもその理由は分かる。普通の神経してればな」
「そんなに過酷なんですか」
「そうだな」
「一番辛いのって、例えば?」
「そりゃあ、アレだろ──」
口にしようとして自分の歩んできた道に頭が痛くなる。老けたとは言わないが、あの頃自分は若かった。
その若さは青さを伴っていたはずなのに、一体いつから若木は枯れ木になったのだろう。
*
腕の感覚が鈍い。こめかみに負った傷は案外深いのか、血を垂れ流す口が閉じる気配がない。貧血で倒れるほどの失血量ではないものの、流れる血が眼孔を掠めるのは不愉快の一言である。乱暴に擦り上げると、傷口を抉った手甲に抗議するよう更に血量が増す。無駄なことをするべきではないなと悟って、落としそうな剣を握り直した。
雄叫びと共に切り掛かる兵士の腹を薙ぐ。倒れこむ男に重なるように振り下ろされた大剣を辛うじて弾くと、続けざまに別の兵士が刃を振りかぶった。
捌けない相手ではない。戦場に立った日数こそまだまだ短かかれど、それなりの腕は持ち合わせているつもりだ。冷静に動きを分析しながら一つ二つと凶刃を掻い潜り──。
「リンデン、横に避けて!」
悲鳴のような鈴の声に、反射的に身体が動いた。運が悪ければ片腕を失う狭いスペースに身を躍らせる。
直前までリンデンが陣取っていた場所を、攻撃的な光が大きく焼いた。直線状のあらゆる存在を抉り、地面すら陥没させて消える。
突然の悲劇に呆然とした敵ののどを掻き切るリンデンの心臓は決して穏やかではなかった。一目でわかる生命の危機。掛けられた忠告がなければ、あるいは一瞬でも自分の反応が遅ければ半身以上が失せていただろう。
次の獲物に飛びかかる前、走らせた視線が捉えた人物に、リンデンは届かぬ悪態を吐いた。
*
「お疲れ様、リンデン。傷口を見せて」
「お疲れ、ヴァンリ。ありがと」
差し出されたたおやかな手に傷付いた半肢を委ねる。白魚の指に労わられるのは悪くないが、ひやりと走る悪寒に身を震わせた。
そっと目を動かした先で揺れる青い炎。こちらを威嚇するように大きく燃え上がったかと思えば、人型めいた形を取り、数秒後には元の小さな炎に戻る。ヴァンリが言うには鬼火というものらしい。
「出血が多いわ。しばらく暴れちゃ駄目よ」
「古傷が開いただけだよ」
「古傷っていうほど古くないじゃない。頭の怪我は危ないのよ」
青鬼、という二つ名を負うヴァンリ。背後を陣取るそれが由来であることは言うまでもないだろう。
今は一つだけ浮かぶ青い炎は、戦いの場では数を増やす。それらは強力な魔術を放つわけではなく、盾となることもない。
他人の精神を乗っ取る。大変に趣味の悪いその能力は、彼女の唯一の欠点であるとリンデンは思っている。
穏和で分け隔てのない、いっそ聖女を名乗ってもどこからも批判の出ない性格。長く真っ直ぐな黒髪と垂れがちの目は神秘的で、華やかすぎない静かな美貌に一役買っている。リンデンと並ぶと美女と野獣。誰だったかは忘れたが上手いこと言ったものだ。怒る気にもなれず、むしろ納得した。代わりにヴァンリが柳眉を逆立てて鬼火をけしかけていた。
精神を乗っ取り、肉体を好き勝手できるようにする。それは中々の外道だ。と、リンデンは思うのだが、聖女のような彼女はその辺には躊躇いなどないらしい。
公衆の面前でひたすらに続けられる裸踊り。精神を乗っ取るレベルは自由に操作できるらしく、冗談を口にした男は意識を保ったまま羞恥の渦中に残された。
仕置きが終わった後、残されたのは半分以上精神が壊れた哀れな人間である。あんまり可哀相だったので人としての尊厳を思い出すまでしばらく面倒を見ていたら妙に懐かれた。半年前の話だ。
戦争屋を名乗りだしてから3年が経った。職を定めるまでに1年ほど掛かっているので、故郷の村を飛び出してから4年になるか。
ヴァンリと出会ったのは戦争屋として立った初めての戦場でのことだ。よろしくね、と微笑んだ彼女を今でも覚えている。こんな底辺職に座すような人間には見えなかった。
細く長く付き合って、今では、まあ、なぜ彼女が戦争屋なんぞやっているのか、何となく察せられるようにはなっていたが。
「……ヴァンリ、ちょっと、鬼火遠ざけてくれないか」
「あら、駄目よ、リンデンを操ったりしたら。この子ったらやけにあなたに近付きたがるのよね。ふふ、好きなのかしら?」
どちらかというと嫌われているからこその接触だと思う。たかだか火のくせに自意識があるのか、ヴァンリが好意的に接すれば接するほど攻撃的になりやがるのだ。
精神魔術への耐性が異常なほど高いリンデンなので害はないとは思われるが、だからといって試したくはない。曖昧に濁った笑みを浮かべ、なおも身を寄せてくる鬼火を払った。
勝利者が沸く戦場だった場所の片隅で、後処理を眺めるのは何度目だろう。人間だったものが無数に横たわる光景を、どことなく疲れた心地で見詰めた。いつかこの凄惨な光景に何とも思わなくなる日が来るのだろうか。戦争屋としての自分はそれを待ち望むが、残してきた弟妹を思うと制止が掛かった。ハイエナが今更というべきか、それとも人として最低限のモラルと考えるか。
溜息を吐いたリンデンは、近付く足音に顔を上げた。湿った土の上を滑るように歩く二人の男を見て顔を顰める。
「同志、先程はどうも」
「てめえ……」
木に預けていた背を起こす。剣呑な視線、唸るような牽制にも、彼らは少しも怯む様子を見せなかった。
牧師のような格好をした男たちだった。中性的な容貌、やや頼りない背格好はほぼ同じで、一目で双子であるとわかる。むしろどこが違うのかわからない。しばらく眇めた目で観察していたが、ふと、別に見分ける必要もないかと気付いた。
ヴァンリに僅かながら癒されていた心がまたもささくれ立つ。
「さっき私を魔術に巻き込みかけたのはどっちだ?」
「弟でございます」
「どっちだ」
「僕です」
向かって右に立っていた方の男が優美な動きで手を上げた。馬鹿にしたような余裕に益々眉尻が上がる。
「よくものうのうと顔を出せたよな。人を殺しかけておいて」
「滅相もない」
眼前で悠長に両手を振る男を睨み付けて先を促す。続きを口にしたのは左の男だった。
「弟に害意はございませんでした」
「はい、あなたを傷付けようなどと毛頭思いもしませんでした」
続いて弟であるらしい男が頷く。どっちが喋っても構わないが、どちらかに統一してくれないか。
苛々と踵を打ち付けるリンデンの横顔に、ヴァンリの心配げな眼差しが注がれていた。生憎整える体裁は持ちあわせていなかったので、悪いが気付かなかったことにする。
「ただ弟は、一つのことに集中すると他事に目が向かなくなるのでございます」
「は?」
「糖分に群がる蟻のような敵。そういう光景は認識していましたが、まさかその糖分が味方だったとは少しも考えが及ばず……!」
「……つまり何だ」
未だ血を滲ませるこめかみの傷に手をやった。疼くように痛むのは傷口か、はたまた頭か。搾り出した声は掠れてはいたが、何とか届く音になったらしい。
「敵が切り掛かってるのがまさか味方だとは思わなかった、と」
「はい」
「その通りでございます」
ギャギ、と硬質な金属の擦れる耳障りな音がした。
何だろうと訝ると、兄の方が分厚い本を掲げていた。そこに僅かに食い込んだ刃には見覚えがある。白銀の輝きを伝って柄に辿り着くと、しっかりと握られた己の手。顔を青くしたヴァンリが金魚のように桜色の唇を開閉している。
「おお」
二人の手で支えられた本がそっと退けられると、随分と頑強な作りらしい金属製の表紙が凹んでいた。まじまじと陥没を見ていた弟らしい方が、やがてうっそりと眉を寄せる。
「神は言っています。聖書を無碍に扱ってはいけない、と」
「おまえらが勝手に盾にしたんだろうが!」
どうやら怒髪が天を突く前に破壊衝動が先走ったらしい。無意識に抜いた刃を一旦収めた。またいつ必要になるかわからないので、手は掛けたままにしておく。
「あの、リンデン」
「何だよ」
鈴の調への返事は吐き捨てたような声音になった。更に血の気を引かせる青鬼にさすがに申し訳なさが湧く。八つ当たりは向けるべきではない。
楚々と身を寄せる鬼火を手のひらで押さえ、舌打ち一つでどうにか怒りを収めた。
改めまして、と微笑を乗せた二人の美丈夫が声を重ねる。
「申し遅れました。僕はV.ピトフィ。トフィとお呼びを。我らが主の宣教を行う傍ら、戦争屋を営んでいます。弟です」
「人殺しと人助けを兼業とは恐れ入るな。神とやらが泣いてんぞ」
「座右の銘は人類皆平等。ゆえに先手必勝。やられる前にやれが信条です」
「……ええとな」
「H.ピトフィでございます。ピトとお呼びいただければ。同じく牧師にして戦争屋の兄の方。座右の銘は皆ジャガイモ。食料が有り余っている様子なので少しくらい減っても構わないかなと信じる次第でございます」
「……」
こめかみが痛いのではない。これは間違いなく頭痛である。
リンデンからの自己紹介を待つ二人は、不思議そうに首を傾げた。顔を見合わせて、何かに気付いたように、あっ、と声を上げる。
「弟は弟であるからして私より要領が良く、文字数が少なくて済む簡易敬語でお話をする傾向がございます」
「兄はシャイなので照れ隠しに毒魔術を放つことがあります。──おや、どうしました。そんな迷える子羊のような顔をして」
もしかしてこの頭痛って精神性のものじゃなく、有害物質の影響か。
そっと身を引いて、主に兄の方から距離を取る。魔術付属品のくせにリンデンを盾にすべく背後に回る鬼火を掴もうと奮闘したが、指先を焼かれて悲鳴を上げるだけに終わった。
「ええと、リンデンだ。おまえらほど語って凹凸のある特色はない。……なあ、ちょっと聞くが」
「はい」
口を開かなければ純真そうな眼差しをしている。ただ、笑顔が物凄く胡散臭すぎて斜め上さを隠しきれていないが。
「ええと、入信する気は毛頭ないんだけどな、どういう教えなんだ?おまえらの信仰してるっぽい神っぽいものって」
「それでは兄よりご説明をさせていただきましょう」
凹んだ聖書が慣れた手付きで開かれた。笑みを消した儚い美貌は神聖さすら感じられる。
「そもそも神とは、こうしたもの、という枠組みを持つ存在ではございません。世界のどこかにおられる大きな存在。あるいは、世界のどこにでもおられる、世界そのものともいえる偉大な存在。そうしたものを私たちは神と呼称しております。世界が神であり、私たちの主。では主は何をしてくださるのでしょう」
柔らかな声は血生臭い土地を浄化するようだった。先程までの凶悪な戯言を払拭しようかという真面目さに、隣のヴァンリはじっと聞き入っている。かくいうリンデンも関心を引かれた。
「様々な手段をもって、主は私たちを生み出しました。それでは主は様々な手段で私たちをお救いくださるのでしょうか?私は否定と唱えます。そもそも私たちが救われるとは、どのようなことでしょう。飢えから、病から、理不尽から。逃れたいと思う事柄は多々ございますが、それらから私たち人間が救われることは、世界の主観において平等ではございません」
ふと気付くと周囲に人が増えている。胡散臭そうにしている者もいるが、大半はひどく興味深そうな顔をしていた。
牧師と纏めたが、ひょっとして教祖とかなのだろうか。語り口に妙な求心力がある。ふらふらとピトフィ兄に近付こうとした鬼火を、とりあえず押さえておいた。
「神が世界であるならば、この世界に生きる全てのものが神に連なる存在でございます。私が飢えから救われる。それは同時に、私に取り込まれた食料が命を落とすということに他なりません。血を分けた兄弟を贄に捧げる行為は、まかり間違っても救いではございません。ゆえに、私たちは主の想いをこう捉えます」
ときに、開いた聖書は何か必要だっただろうか。特に目を落としている素振りはないのだが。弟に目を向けると、にこりと微笑を返された。なるほど説法アピールかと納得したので頷き返す。
「神は見守っておられます。私たちを産み落とし、その成長を、その行く末を、ただ見続けておられるのです。ならば私たちは己の信条に従い、主に恥じぬよう精一杯に生きるべきでございましょう」
全ての人々が自分らしく生きられますよう、と締めくくった男に疎らな拍手が贈られた。
優雅に腰を折った兄弟は、澄んだ瞳をリンデンに向ける。傍らのヴァンリは感銘を受けたようで、艶やかな黒曜石の瞳を薄っすらと潤ませていた。
なるほど、神を盲信して世界の一挙手一投足に神を絡める輩とは違うらしい。神という尊敬できる親のようなものが見ているから子供は張り切る。悪くない教えであるとは思う。
しかしだ。
「兄が間引き推奨してて、弟はやられる前にやれが信条なんだよな?」
「!」
ぴったりと拍手が止まった。吸い込まれるような沈黙の中、兄弟は何故か感動したように目を輝かせる。
「何一つ相違なくさようでございます」
こっくりと、彼らはいっそ無邪気に首肯した。
ふいにそっと取られた手に悪寒を覚える。全力で払おうと力を込めたが──うわこいつ強い。しょうもないことに補助魔術使うの止めろ。
「そんな細部まできちんと記憶してるなんて、リンデンさんは信心深いですね」
「待て、違うからな」
「またまた、そのように照れずともよろしいではございませんか」
「違うって」
「いいえ皆まで言わずとも分かりますよ。流行のつんでれってものですね」
「だから」
「ようこそリンデン様、我らが新しい兄弟、歓迎いたします!」
「私はな」
今度こそ自らの意思で剣の柄に手を掛けた。にこにこと柔和な笑みを浮かべたままの牧師兄弟が、さしたる動揺もなく聖書を構える。それもしかして武器なのか。魔術の発動媒体なのか、まさか鈍器なのかどっちだろう。
傾きかけた太陽光を鈍く反射するカタールが、人殺しの目をしたリンデンを映し出していた。
「私に対する迷惑を生成する奴が世界で何よりも大嫌いだ!」
「リンデン、定義が広すぎるわ、リンデン!」
「おお戦争屋よ、この程度で激昂するとは情けない」
「ふふ、青うございますねえ」
「ちょっと、煽らないのッ!」
腕に纏わり付く鬼火を振り切って、慣れた刃物を全力で薙ぐ。軽いステップで避けられてこめかみに血管が浮いた。半身を捻るように左手に携えたソードブレイカーを突き出すと、兄の凹んだ聖書に逸らされる。動き辛そうなナリをしているくせに、地味に防御が素早い。
弟が何やら集中を始めたのに気付いて腰に下げたナイフを投擲。転びがてら避けたことで魔力の陣が解けるのを確認し、まずは兄を優先して半分ほど殺そうと。
「あらぁ?」
──したところで、やけに艶やかな声が鼓膜を揺らした。
風を切る音を避け、目標への集中を削ぐ妙に脳に響く声音。突如背筋に張り付いた寒気に促され、わけもわからず大地を蹴った。砂利に付いた手のひらを支点に飛ぶように転がる。
反転した世界で、ピトフィの薄い肩が震えるのが見えた。その向こうには、狂人の目をした複数の兵士の姿。一様に武器を携えた男たちは、一切の手加減なく殺意を持って男に躍り掛かり──。
ばふり広がった紫色の煙に、成すすべなく倒れ伏した。
「……おい」
飛び退いたリンデンも例外ではなかった。煙に包まれた途端に全身を走った痺れ。煙の終端近くにいたにも関わらず、舌の根が絡まりつつ動く程度の自由しか許されない。
あっ、という顔をして、わざとらしく口元を押さえた牧師が頭を下げる。
「申し訳ございません、突然たくさんの人が集まったので驚愕の余りうっかり麻痺毒を」
「野生動物か何かかてめえは……!」
慌てて駆け寄ったヴァンリが口に放り込んできた薬草がクソ苦い。恐らく毒消しの類だろう。毒が抜けたら覚えていろと、般若の形相で噛み締める。
「つうか、何なんだ一体」
疑問はすぐに解明した。
「ヴァンリちゃんじゃなぁい。元気ぃ?」
精神魔術への抗体が大きいことと関係があるのかないのか、人より多少ながら毒の類には強い自負がある。じりじりと身を起こしていたリンデンの目が捉えたのは、戦場に欠片も相応しくない痴女の一種だった。
地面に這い蹲っているのだから、最初に見えるのは身体である。巨大なゴムマリに似た一対の肌色を限界まで晒し、眩しい太ももを惜しむことなく見せ付けていれば、それが変態以外の何かである可能性はまずないはずだ。
汚らわしいものを見たと思いながら恐る恐る視線を上げて、次には夢を壊された。個体数が極端に少なく、人嫌いという性質を持つがゆえに幻とも言われるエルフという種族がある。人間によく似ているが、神の手で造形されたと言うべき神秘的なまでの美貌を持つという。また、長耳という俗称を持つ通り、耳が長く尖っているので人間との判別は容易い。魔術が得意な種族である。あとエルフは偏屈だが孤高で気高いとか何とか。
ある意味孤高で偏屈そうだが、痴女を気高いとは決して言うまい。つまり大変残念なことだが、初めて目にした美貌のエルフは変態だった。人並みにエルフという存在に夢を見るくらいはしていたのに。超威力の爆発魔術を食らったような気分だった。
ショックと共に、何となく事態を理解する。
「ピノ、突然何をするの。味方に魅了を掛けたうえ、襲わせるなんて!」
「だって、見慣れない子が楽しそうに遊んでるんだものぉ。私も混ぜて欲しいじゃない。ちょっとした衝撃で元に戻っちゃう程度で、ヴァンリちゃんの操作ほど凶悪じゃないわぁ……あら凄い、もう起き上がれるの?」
ふらつきはするが、剣を握れる程度には回復した。落とした愛剣を拾い上げる。
「私はピノって言うのよ、よろしくねぇ、新人さん」
「リンデンだ。──おい、ピトフィ、休戦」
「かしこまりました、リンデン様。横から飛んできたジャガイモに死を」
「うーん、先手を取られてしまいました。僕の信条を汚す人類に死を」
神罰とかぬかさないだけ信仰心があるのかもしれんなあ、と心の片隅で思った。思っただけで、決して感心したとかではなく、トンデモ宗教への確信が深まっただけだが。
「や、止めなさい、あなたたち」
赤い唇が吊り上がる。掲げた手のひらが攻撃魔術を展開する。連携も何も考えず、リンデンは駆け出した。背後から追撃するであろう閃光を避けるべく身を屈めると、弟牧師が放った魔術が横一文字に空間を薙ぐ。なるほど、一つのことに集中すると他事に目が向かなくなっている。つまり変態エルフへ向かう魔術に気を付けるべしということか。
飛来する不可視の刃物に浅く腕を裂かれた。懐から取り出した魔石を投げると、無害な煙が薄く広がる。空気を切るのは無数の鎌鼬だった。舌打ちを落として超速の攻撃を避ける。リンデンの横を駆け抜けた兄牧師が聖書で魔術を叩き落とした。どうも魔術付加が掛かっているらしい。
「やめ」
「わー、何してるの!? ジーノも混ぜてー!」
「僕も」
「それは非常に楽しく見えます。私も加わらせてください」
巨大な鈍器が大地を抉った。大地にクレーターを作ったのは、後に破壊天使ジーノジーナと呼ばれる少女の通常攻撃だった。
宙に出現したいくつもの球体の一つにぶち当たって鼻を折るかと思った。硬質な球体は結界を変異させたものである。自由壁のコンル。少年は優秀な結界師となる。
血を媒介にした赤い刀が振り抜かれるたび、身体のどこかしらから鮮血が溢れる。血塗れのルルルに相応しい遠隔攻撃は、無差別に生物の全てを襲った。
そして──青鬼が爆発する。
「いいかげんに、しなさいッ!」
リンデンは精神魔術の類に極端に強い。
しかし、増殖し、巨大化し、猛威を振るう鬼火の前には、さしものリンデンですらも無力だった。
青鬼ヴァンリ。聖女のような彼女だが、理性を失うと鬼火が暴走して片っ端から意識を混濁させるため、大変注意が必要な人物である。
*
本当に、若かった。今なら諦念と共に流せる戯言に、剣を振り上げて突っ掛かっていた。人としてはごく正しいことだが、時に人はなくさなければならないものがあるのだ。残酷なことに。
戦争屋をやっていて過酷で辛いことは何か。回想なんぞしなくとも答えなど決まりきっている。
「人間関係だな」
「ああ、ギスギスしたところに参戦するんですもんね。気も張りますよね分かります」
しみじみと真面目な顔で何度も頷く兵士を横目で見てもう一度、戦争屋は止めとけ、と重ねた。
真実など知らなくてもいいことだ。戦争屋にまともな人間が皆無であるということなど。
自分もそこに含まれているという事実に胸は痛むが、今更否定もできない。そしてその内、痛むことすらなくなるんだろう。
急に崖から飛び降りたい気分になったので、近くの自殺の名所を脳内で探った。いまいち適切な場所がなかった。
後で観光マップでも買いに行こうと思う。




