09.落度
リンデンは先日、まさか王付きの侍女まで休みではなかろうと判断した。結論から言えば以下が正解である。
──いつから王は休まないと錯覚していた?
馬鹿じゃないのか!どこの世界に王様業を一日完全休業する国があるってんだ!
リンデンが衝撃の事実を知った経緯はこうだ。
今日になって出勤した侍女たちが、王の部屋に入ったらアキレアが滞在してるのに気が付いた。慌ててリンデンに迎えに来いと伝令を出し、何を今更と聞き返した。
馬鹿じゃないところを探す隙がない。絶句したリンデンに落ち度はないはずだ。傍らに立ったクインスに促されなければ、天井で吹き矢を構えていたアクナイトの餌食になっていただろう。この世の不思議にまた1つ立ち入ってしまった気分である。
そんな感じで朝から爽やかでない経験を得たリンデンは、今日も王に対しての敬意を投げ捨てるのだった。
「入るぞ!」
「はよーッす」
筋力チェックでもしたいのかという重厚な戸を押し開く。振り返った男女は寄り添うと言って過言ないほどの距離で話をしていたようだった。
にも関わらず、今日も今日とてぶっちょうヅラの王が薄い唇を動かした。
「戦争屋とはノックも解せん無礼者か」
「すんませんねえ。戦場で悠長にしてたら扉の向こうから突き刺されるもんでな」
「リンデン、クインス。もう迎えにきてしまってくれたんですの?」
「姫さん、それは駄々漏れ過ぎてちょっと」
髪色に対抗するかの如く赤らんだアキレアのかんばせは相当に艶やかで、リンデンは彼女に悟られない程度に顔を顰めた。
身に纏う夜着に乱れはないが、妙に皺もない。上掛けとシーツに一晩挟まれて、驚きの美しさを保てる生地とは果たしてどんな魔法具だ。
振り返って、王付きの侍女に目配せを送る。神妙に頷き返した巨体がどこからともなく取り出した豪奢なドレスをしばし胡乱な目で見詰めて、やがて溜息と共にアキレアに向き直る。
「着替えてこい」
「うーん、大分慣れてきたなあ」
「ちぇー。わかりましたわ」
それにしても、隣室へ消えて行く華奢な後姿を名残惜しげに見守る男は、王の威厳とやらをこちらに見せる気はあまりないらしい。こんなんなってでもアキレアとの会話中は全力で威厳を掻き集めた顰めっ面を配置していたというのに。最早リンデンたちに対しては、アキレアへの好意を隠そうともしていないし。
普通逆じゃないのか。クインスにこぼすと、したり顔で意味の分からん理屈が返ってきた。
「男ってのは惚れた女には良いところ見せたいもんだろ」
「一般論だが、自分にだけ弱みを見せる男ってのにときめく女は多いそうだぞ」
「なんだと」
「食い付くな」
「ちょっと俺も参考までに」
「前に戦場でガードしてた貴族の娘さんが、侍女の──普通の侍女の皆さんとそんなような話を……ああ、いや、そんなことよりだな」
壁に背を預けて話を切り替える。いい年こいてあからさまにがっかりした顔をするのを止めろ、と前置いて。
「あんた、まさかヤってないだろうな?」
垣間見えるベッドに視線を投げながら掛けた問いに、不快を隠そうとしない剣呑な目が向けられた。
刃物を突き付けられたような冷たさは、魔力の矛先がターゲッティングされている証だった。しかし別段、恐怖心だとか自重しようという気持ちだとか、そういうものは湧かなかった。
何せ相手はただの色ボケである。バルサティロの身分が王である事実など最早どうでも良い。投獄だの死刑だの言ってみろ。城の構造は把握済みなのだ。さっさと逃げおおせて、この不毛な争いの中心地から脱却してやる。否、むしろ、しろ。アキレアにあることないこと吹き込んだ上で、アキルスにも色々言いふらしてやろうではないか。
「言っておくがこの国の事情を鑑みれば重要なことだからな。正妃に召し上げるには純潔な乙女でなければいけない。誤魔化しはいくらでもできるだろうけどな、あんたがアキレアを連れ込んだことは周知の事実だ。こうして襲撃があったからにはアキレアが正妃になるのを疎む輩がいるんだろう。余計な火種を作るな」
「分かっている。入れてはおらん」
「……まあ、深くは言わんが」
こめかみを押さえて頭痛を凌ぐ。
入れてはいないとはつまり──入れてはいないということだ。折れそうに細いアキレアの首筋に、巨大な虫に食われた痕は見咎めたが、思っていたより進行していた。非常事態に燃え上がった結果ではあろうが、これは終着点に行き着くのも時間の問題である。
クインスが複雑そうな顔で腰を下ろすのに、さもありなんと同情した。兄妹、とまでは言わないが、近所の兄ちゃんとわたくし、程度には仲の良い主従だ。身内のそちら方面の成長を見せ付けられてなお飄々といられるほどに割り切れない気持ちはわかる。
自分から話を振っておいて何だが、居た堪れなさに話題を変えた。元より確認したかっただけで、続く言葉があるわけではなかったので。
「で、襲撃者の件はどうなった。供述はしたのか?」
「それだが」
まさかアキレアを連れるのを優先しただけで放ったらかしてはいないだろうな、という意思を込めて視線をやると、沈痛な色を湛えた端整な顔に見返される。
「私自らの力で回復させて牢に入れておいたら脱走してしまった」
「おいこらポンコツ王」
放ったらかしてくれていた方がマシだった。
「あれだけ丁寧に満遍なく半分ほど殺しておいたのに、どうしてわざわざ治療なんぞ施しやがるんだこの無能!」
「何だと。応用魔術の腕は攻撃魔術の申し子たるアキレアにも引けを取らんぞ」
「頭が無能だと言っとるんだ!見張りはどうした!?」
「休日であったのだから兵を休暇に戻らせたのが原因とは思わん」
「それ以外の何が原因になり得るってんだてめえはッ!」
もう剣を抜いても良いだろうか。股間を抉るくらいはしても許されると思うんだ。
同意を求めて血走った視線をクインスに向けるが、世を憂う神父のような顔で首を横に振られた。ギリギリと一対の武器の柄を握り締める手を走らせる代わりに、何千何万という罵詈雑言の中から、何がアキレアの中のバカ株を落とせるかを吟味する。とりあえずは応急処置として、夜の行為を躊躇うような知識を植え付けておこうと決意した。
平和ボケとかそういう段階じゃない。改革が必要だ。この国は根本的に危機感とか緊迫感だとかいう重要な要素が抜けている。
アキレアにはそういう要素は備わっていただろうか。普段はアレだが、腐っても戦争国家の姫である。案外、逼迫すればまともに働いて……くれると嬉しいけど、どうだろう。駄目か。
「いいか、一斉休暇を本日付けで廃止しろ!勤務時間も全員で固定せず、シフト制に変更。ただし侍女の実力自慢タイムに関しては、廃止とは今更言わんから、今まで通りで保っておけッ!」
「我が国の信仰する神になぞらえた伝統を、そう易々と変えられるものか」
憮然と反論した役立たずに、頬杖を付いた騎士が口を開いた。
「でも姫さんの身に関わるぜー?」
「衛兵! 宰相に伝え、直ちに法令を改正せよ!」
「あああああああああブチ殺してやりたい」
「愛の力は偉大だよなあ」
すでに朗らかな笑いを発するほどに平常を取り戻したクインスを腹立ち紛れに蹴り転がして、主を失った椅子をぶんどる。優雅に対岸の長椅子に腰を下ろし足を組む王への呪詛は、後日依頼をしておこう。
避けようと思えば避けられたというのに律儀に転がった男が、仕方なしにベッドに腰掛──ようとして、何かに気付いて止めた。眉尻を下げてバルサティロの横に座り込む。当然隣を沈まされた方の男の眉根が寄った。
誠に変な配置であるが、代わってやる義理もない。鼻を鳴らして先へ進む。
「金陣営の所への襲撃者は沿岸国の奴だと思う」
告げた言葉に、2対の視線がリンデンを見る。
こうして並べてみると、随分傾向の違うイケメンである。陰と陽、静と動。あと銀と金。どちらがどちらかは言うまでもない。輪郭から体格から作りの違う両者に対して敢えて好みを述べるなら、自分は安定感のある骨格の人間が好きだ。非常にどうでも良いが。
「余程環境が悪くなければ、わざわざ得物に錆止めの魔術紋なんて足掛かりを施す暗殺者がいるとは思えない。タイミングから考えるに、青陣営の国の輩の手配なんだろうな」
「……誰を娶ろうと、外交に絡ませるつもりはない」
「そんなん実際なってみるまで外野にはわかんねえし。どうしようもないでしょう」
クインスのなくても困らない程度の敬語を耳に入れて同意する。
現在この国とアキルスの係わりは深くない。正式に婚姻を交わせば、実際、両国の新密度はどうあっても増すだろう。
隣国が焦りを覚えるのは当然とも言える。元来、要人の暗殺とは権力争いか外交上の理由から起こることが多いのだ。
となると、マカダチ国との結び付を強化するために、トレニアやらアキレアやらという邪魔者の排除に掛かったと考えるのが──。
「俺が戦った奴らは多分違うぞ」
「ん?」
片手を挙げたクインスの言葉に視線が集う。
「ありゃうちの連中だな。初代アキルス王の戦護符って知ってるか?」
「補助具を好まん王が唯一身に付けたと言われる、愛妻が施した刺繍文様だったはずだが」
「聞いたことがないな。有名な話なのか」
「いや、あんま。アキルス国内ではすげえ有名だけど、他国には広まってないはずなんだよな。それが服の裏地に縫い付けてあったんだよ」
「うーん、偶々どっかで聞いたって可能性もあるだろう。証拠としては少し弱い」
「じゃあ、剣筋が騎士団の習いに似てたとか、連中の使ってた矢羽の形がうちのだったってのは。」
「何でそっちを先に言わないんだ、お前……」
脱力したリンデンに、アキルス内だと前者の方が説得力があるんだと力説する男。
美談の匂いがする割に、余程戦護符とは知名度のない話らしい。女ってそういうの好きじゃなかったか?
「人に言うと効力ないってんで、持ってる奴はひた隠すんだよ。アキルス王が戦一辺倒の男で、そういう方面は極度の恥ずかしがりでな、戦護符を決して誰にも見せなかったのが由来だってばっちゃんに聞いた」
過去の人にケチを付けるのは何だが、もうちょっとマシな見せない理由や言い方はなかったのだろうか。
初代アキルス王といえば、戦闘に身を置く人間がなべて英雄視する傑物である。いわく、どんな鋭い刃物も通さぬ肌と、いかなる硬質でも突き通す豪腕を持っていたという。普通に考えて人間ではなかったんじゃないかと思う。
バルサティロはよくそんな話を知っていたものだと感心しかけて、思い直した。何のことはない。愛妻予定の女の故郷について散々に調査しまくった結果だろう。
昨夜の二人がどんな様子で過ごしていたかは聞きたくもないが、その執着心の片鱗を、きちんとアキレアに伝えられていると良いと思う。相変わらずのツンデレを発揮していたのならいっそ死ね。
それにしても。
「迂闊だったな……襲撃時間がああもピッタリ同じだったから、てっきり同じ集団だと思ってた」
昨日の段階で気付いていれば尋問ができたはずだった。おおよその見当を付けたトレニアへの襲撃犯と並べて事情を調査すれば、確信を持って犯人を暴けたというのに。
勿論どうしようもなく反省すべきはドジっ子では済まないレベルで頭の軽い目の前の王族だが、リンデンにも十分に落ち度がある。
結託していたのか、単なる偶然の一致だったのか。それが判別できるだけでも対策になるのである。疑いもしなかった過去の自分を思うさま罵ってやりたい気分だった。
無論、説教を終えたその足で、休養に入ろうとする王をとっちめに行くのは言うまでもない。
頭を抱えて呻くリンデンの厚い肩に、優しく労る手が置かれた。
「あまり気を落とすな」
「リンデン、爆薬持ち出すならせめて剣にしといてくれると止めやすくて俺は嬉しい!」
どうしてこいつはやることなすことこう神経を逆撫でるのだ。これはもう才能ではないのか。お前も精神的苦しませ屋の一員なんだろう。そうでなければ自分は世界に絶望する。野良精神的苦しませ屋が実在する事実をリンデンは決して認めない!
信管に火を付けるべく腰に伸びた手を必死に押し留めるクインスの努力に免じてこの場は引くが、この上増えるようなら端から駆除を開始するから覚悟をしておくと良い。
舌打ち一つを響かせて、椅子が壊れる勢いで膝を折る。男連中が席に戻り、ようやく着替えが完了したアキレアが戻ってきた。
首まで覆う高襟。アキレアの背後に控える侍女に感謝の意を示すべく視線を送ると、実に男らしい力強さで返される。よく見れば、輝く瞳と上気した頬が部分的に愛らしい。実に生き生きとしているわけだが、ひょっとして女性を着飾らせるのに飢えていたのかもしれない。王の身支度なんざ、そんなに面白いものではないだろうし。
侍女が某かに汚れたベッドカバー一式をごっそり取り上げて、自発的に部屋を辞すのを見送ったところで、クインスに席を譲られた王女が身を乗り出して意気込んだ。
「それで、わたくしに喧嘩を売ったわたくしの国のおばかさんたちはどう裁いたらよろしいんですの?」
「聞こえてたのか」
さすがのアキレアも同胞から狙われているとなればショックを受けるだろうと思っていただけに、あっけらかんとした様子に驚いた。
何の悲壮さすら表さず、少女はゆるく首を振る。
「術式がアキルス独特でしたの。具体的に言えば、範囲指定がアバウトで、その分のコントロール領域を威力に回すような術式ですわ。あんなはた迷惑な式を組むのは、世界広しといえど、アキルスだけですもの!」
「そうか、自覚はあったのか」
呆れながらも、少女の強さに救われるように息を吐いた。
アキレアの能力は高い。それは先日目にした魔術の素養に留まらず、軍事国で育っただけあって、こちらの態勢を飲み込み行動するだけの土台がある。とはいえ、彼女は前線に立ったことのない新兵だ。
本来であれば、身をもって知った殺意の交錯に泣き喚いてうずくまっても仕方がない。いっそ護衛する側としては、怯えてこちらの指示に唯々諾々と従う分、その方が好都合という人間も多いだろう。リンデンも、効率だけを思えば躊躇なく頷こう。
けれどリンデンは、真綿でくるんだままの運搬を必要とするお荷物より、ひのきの棒一つで突撃する身の程知らずの方が好きだと思う。
迷惑は無限に量産するし、処理は膨大になるだろう。忌々しく思うし、愚痴の10や100はこぼすかもしれないが、それでも、やる気は出る。諦めず、折れない強さを守りたいと決意ができる。
ふと向けられる視線に気付き、無意識に口元に刻んでいた笑みを削除する。いつの間にかリンデンの腰掛ける椅子の華奢な背に凭れたクインスが見下ろしていた。
文句があんのかと睨み上げれば、大仰に肩を竦めて笑う。物凄く苛付く。奴が精神的苦しませ屋の頭領であることは明白だったので、視線を戻すフリをして肘鉄を叩き込んでおいた。
「アキルスの中で、姫さんを嫁にやりたくない人間の目星は付くか?」
「うーん……もともとわたくし、わたくしの我が儘で嫁いだのであって、損得の問題でお嫁に来たんではないんですの。だからあまり、この方、という人は思い浮かびませんわ」
何だ、嫁いだ先で芽生えた恋じゃなく、恋が芽生えて飛んできた方だったのか。
平気な顔で発言する隣で赤らめた顔を逸らす男。新事実だったらしいこちらはどうなのか。特に気にはならなかったので話題の種は捨てておく。
げほ、といささか苦しげに息を吐いて、クインスが人差し指を立てた。
「それなら王弟だろ」
「おじさま? ああ、そういえばそんな宣言をなさっていたような覚えがあるようなないような」
あっさりと肯定された予測に目を見張って身を乗り出す。
「そんな宣言って……まさか殺害宣言したわけじゃないんだろう?」
「いや、してた。姫さんのヤンデレストーカーなんだよあの人。誰かのものになるくらいなら殺すっつって、最後まで輿入れ反対表明してたからなあ。ひょっとしたら襲撃者の中に騎士団の奴とかもいたかも」
「ストーカーだと?」
何それ怖い。
絶句するリンデンを尻目に、不機嫌な様子で王が窓に向けて片手を上げた。黒い影が太陽光を僅かに遮る。どう見ても窓の外壁に張り付いているようにしか見えないが、魔術の類の気配を感じないのは何故だ。指に吸盤でもあるのか。
「けしからんな、少し待て。直ちに抹殺させる」
困ったような気配を漂わせた黒子。興奮した様子の王に代わり、帰って良いよとジェスチャーを送ると、直ちに納得して姿を消した。
アクナイトがスニーキングに生涯を掛けるとああいう素早さになるのだと思う。
「……すまん、姪のストーカーとか殺害宣告とか、そういうの普通のことなのか。ちょっとついてけてないんだが」
「アキルス名物『おまえをころしてわたしもしぬ!』」
「大体月に3回くらい発言頂いてましたので、逆に思い浮かびませんでしたわ。今までは自ら向かってらっしゃいましたし」
「段々一筋縄では行かなくなってきたもんで、俺が王の護衛軍から姫さんの専属護衛に異動したんだよ」
姪のストーカーとか殺害宣告とかは普通のことらしい。
数秒の沈黙を湛え、リンデンはそれを聞かなかったことにした。つまり、と自らを鼓舞して声を上げる。
「本国に要請すればその知人の変態を縛り上げることはできるんだな?」
「あたぼうですわ」
「王が戦に勝つたび勝手に恩赦出すせいで、半年も拘束してらんないけどなー」
「もう殺せよ、そんなはた迷惑な野郎は……」
「だから私が指令を出そうとしていただろうが」
「こればっかりは悪かった」
何にせよ、案件があっさり解決することは望ましい。深く息を吐き出して、訴えについてはアキレアに一任することにした。
上位貴族の間では、緊急時の連絡用として通信魔術具を携帯することが一種のステータスとされている。特殊な紙にこれまた特殊なインクを乗せ魔力を流すことで、対になる紙に筆跡を転写する非常に便利な道具だが、製法が困難で恐ろしく高価なため、一般には流通していない。
アキレアの対紙は、アキルスの王が携帯している。輿入れした時点で情報保護のためアキレアの通信紙は没収を食らっていたのだが、さすがのストーカーはアキレアの持ち物を懐に入れていたらしい。
……それ、本来はアキルスに返還すべきものだからな。王族とはいえ高価な買い物に変わりはないんだから。費用を国庫から捻出する王族は、ともすれば経済的には上位貴族に劣る裏事情もあるんだし。今回は結果オーライのため不問とするが。
あちらさんの動きは争い事となれば異常に素早いのが常なので、知らせさえ無事に届けば即時鎮圧に掛かるだろう。先日の襲撃者の後続を派遣していないのであれば、ひょっとすると2度目の襲撃は回避できるかもしれない。少なくとも恐らく3度目を送るチャンスはないだろう。
「それなら……トレニアの襲撃については青の姫さんに頼んでおくかな。国王さん、取引止めて欲しくなければどうにかしろと、念書兼脅迫状でも渡しておいてくれないか」
「シビリカの国には海産物の食糧供給を全面的に頼っているのだ。早計な者がいたものだな。魚好きの私が国交を切ることなどあり得んというのに」
「まあ、生臭いという理不尽な理由から嫌われがちな魚肉を愛するバスサティロさま、素敵ですわ!」
「頭の悪さは魚だけでは改善されん証明ができたな。それも書いといてくれ」
となれば一刻も早く話だけでも通しておくべきだ。筆記用具を手にした王が驚異的な速さで文章を綴るのを眺めつつ、話の方向性を模索する。
シビリカはそんなに喧嘩を好むようには思えないが、単純に、トレニアがシビリカの国の人間に襲われたからどうにかしてくれと言うだけで良いだろうか。しかし見た目の通りに神経が細いのだとしたら、やはり傷付くかもしれない。かといって遠回しに告げたところで、通じるとは限らないわけだしなあ。
天井を見上げながら思いに耽り、ふと、気付く。
「……そういえば、出るときにアクナイトがいたな」
うとうとと船を漕ぎ始めていたクインスが首を傾げた。
「アクナイトはどこにでもいるもんだろ」
「主人が狙われててもか?」
硬質化する表情。僅かな焦燥を織り交ぜた男は、リンデンと同じく2つの仮定を導き出したらしかった。
作成途中の文書から顔を上げて、王が思い出したように呟いた。
「報告は上がってきておらんな」
「シビリカ姫が狙われるとしたら、犯人はこの国の人間な可能性が高いよな?」
「襲撃がないなら良し。あるなら多分──昨日は休日だったんだろう。例えば昨日の襲撃、同時だったのは偶然じゃなく、互いに触発されたんだとしたら」
黙り込んだ中、絡む視線が辿り着いた先は同じだった。
椅子を蹴り倒しながら立ち上がったリンデンに、王がシビリカの行方を告げる。
重厚な机の上で、一枚の古ぼけた地図の一点が青く明滅していた。側室の行方は把握できるよう対処してあるようで、他に赤、金、桃色の光は城内に散っている。
赤色の現状も気にはなったが、あの覇王が遅れを取ることもないだろう。今は、暗殺を得意とするアクナイトがどれだけの数を捌けるかの方が問題だ。
「これは西方の崖だな。質素だが広大な花畑がある。大方スケッチでもしているのだろう」
城の大きさから手早く距離を割り出して、場所を頭に叩き込む。窓から飛び降りた方が早いが、生憎、今日はフックを所持していない。城内の地図と照らし合わせ、一番近い出口を探す。
「戻るよりここに居着いといた方が安全だよな。よその侍女さんに任すのもアレだし、俺は姫さんに就いとくわ」
頼む、と頷いて、腰に下げた武器の数々を手探りに確認。多生心もとないかもしれないが、許容の範囲である。
踵を返したリンデンの背に、酷く冷静な声が掛けられた。
「……存外甘いものだな、戦争屋。敵を救うほどの余裕がお前にあるか?」
扉に掛けた手を止めるほどの話ではなかった。ブーツの鋼が、絨毯の柔らかさから離れて硬質な叫びを上げる。
「敵っていうのは」
横目に視界に入れた王の背後、窓の外で揺れる漆黒の布端。目を眇めたリンデンに、クインスとアキレアの視線が窓を向く。蜃気楼のように掻き消えたそれは、恐らく。
「制約も遠慮もなく向かってくるものを指すらしいよ」
浮かんだ疑問符を今度こそ見ることなく、リンデンは駆け出した。




