第四章 たたかいの果てに
慶応四年正月の初め、京の南の空が、地を揺るがす凄まじい砲声とともに赤く染まった。鳥羽・伏見の戦いの火蓋が切られたのである。
泰平の世を誇った古都は、瞬く間に硝煙と血煙の戦場と化し、街道には家を焼かれ、着の身着のままで逃げ惑う人々があふれた。おびえた眼差しで彷徨う子供たちの姿を見るにつけ、神光院の静寂に身を置いていた蓮月の胸は、張り裂けんばかりに締め付けられた。
さりともの頼みもきれて絲すゝき みだれゆく世の秋ぞかなしき
(あれほど頼みにしていた世の安寧の糸もすっかり切れ果て、風に乱れる糸ススキのように、乱れてゆく世のありさまはなんと悲しいことであろうか)
乱世の嵐の中で、蓮月は黙っていられなかった。長年の作陶でわずかに蓄えてきた全財産をはたき、身銭を切って買い集めた米を、飢えと寒さに震える人々へ惜しみなく施し始めた。
それだけではない。鴨川のほとりでは、増水のたびに古い橋が流され、濁流を前に病気の子を背負って立ちすくむ母親の姿があった。その惨状に胸を痛めた蓮月は、大工の棟梁のもとを訪ね、銭の詰まった重い巾着を差し出した。
「これを使って、誰もが安心して渡れる橋を架けておくれ」
棟梁が「これほどの大金を、女の身で……」と絶句すると、蓮月は静かに首を横に振って微笑んだ。
「土を捏ねて得た金は、もとよりこの世からの預かりもの。私一人の手元に置いておくよりも、明日を生きる人々の安全な一歩のために使う方が、土もよほど喜ぶというものです」
こうして私財を投じて架けられた頑丈な木造の橋(後に人々は「荒陵橋」と呼んだ)を、避難民たちは深い安堵の息をもらしながら静かに渡っていった。自らも河原に立ち、泥に足をとられながら大工や人夫たちに温かい汁物を配る七十代半ばの老尼の姿には、ただ失われた命への哀しみと目の前の者への深い慈しみだけがあった。その姿は、明日をも知れぬ戦乱の闇を照らす、確かな光となっていった。
◇
旧幕府軍を破り、勢いに乗る新政府軍が京へとなだれ込み、やがて東征に向けて市中にピンと張り詰めた緊迫感が走り抜けていった。
薩摩や長州をはじめとする藩兵たちが刀の柄に手をかけ、威圧的な殺気を撒き散らしながら行進する中、誰もが、新たな時代を握った者たちを前に息を殺し、平伏していた。
江戸へ向けて進軍し、天下を焦土に変えてでも旧幕府を討ち果たそうとする薩摩軍の陣営には、一触即発の殺気が渦巻いていた。
その殺伐とした京の市中で、一葉の短冊が、人から人へと密やかに手渡されていた。作陶の合間、蓮月が祈りを込めてしたためた一枚の短冊である。その短冊は、まるで水が低きに流れるように、人の手から人の手へ渡り、やがて薩摩軍を率いる西郷隆盛の宿営へと届けられた。
軍議の席、無造作に差し出されたその短冊を、西郷は太い指で静かに開いた。そこに躍っていたのは、流れるような、しかし紙の裏まで染み透るような凛とした仮名文字であった。
あだ味方 勝つも負くるも 哀れなり 同じ御国の人と思へば
(敵であれ味方であれ、戦に勝つ者も負ける者も、どちらも惨めで哀れでならない。みな同じこの日本の国に生まれた人間なのだと思えば)
西郷は、言葉を失った。豪胆で知られたその巨躯が、凍りついたように動かなくなった。
「勝つも負くるも、哀れなり……」
西郷の頭裏に、これまで凄惨な戦場で倒れていった敵味方の兵たちの顔が、そしてこれから江戸で巻き起ころうとしている凄惨な流血の光景が、重く重くのしかかった。
大義名分や政治の権謀術数をどれほど積み重ねようとも、ひとたび刃を交えれば、そこに残るのは同じ国の民の血と、遺族の涙だけである。何ひとつ私心を持たぬ一人の老尼が、ただ祈るように差し出したその歌は、天下を動かそうとする英傑の胸の奥底を、鋭く穿ったのである。
西郷は深く目を閉じ、沈黙を続けた。部屋を支配する重苦しい静寂の中で、総大将の心の中にあった「流血による討伐」の刃は、静かに、しかし確実に収められていった。この一葉の短冊が、西郷の胸に何を残したのか。それを知る者はない。ただ、その後に勝海舟との会談を経て江戸無血開城へと至る歴史を思えば、このとき西郷の胸に刻まれた一首が、まったく無意味であったとは思えなかった。
◇
戦火が落ち着き、明治という新しい時代の足音が聞こえ始めた頃、高畠成敬や近藤芳樹ら、蓮月の生き様と歌に救われた門人たちが神光院の庵を訪れた。
「蓮月様。あなたの詠んでこられた歌は、この激動の世を生きる人々にとっての救いです。どうか、一冊の歌集として世に残させてください」
門人たちの熱心な請願に、蓮月は最初は困惑したように苦笑いを浮かべていた。己の歌を誇る気など毛頭なく、有名になりたいという欲など欠片もなかったからである。
しかし、彼らの真摯な想いと、「この惨劇の時代を生き抜いた証を遺したい」という願いを受け入れ、静かに首を縦に振った。
こうして刊行されたのが、歌集『海人の刈藻』である。海辺で藻を刈る海人のように、ただ泥と土にまみれ、悲しみの底で拾い集めてきた言葉たち。そこには高尚な思想も、着飾った言辞も一切なかった。ただ、生きることの哀しさと可憐さ、そして世界への尽きぬ愛だけが、澄み切った水のように畳みかけられていた。
激動の幕末というたたかいの果てに、老尼が残した言葉の粒は、新時代を迎えた京の市中に、優しく静かに広がっていったのである。




