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小惑星配送便3 ―― ゆりかごは星の海を越えて ――  作者: 真野真名


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8、ゆりかごは星の海を越えて




『警告。メインエンジン冷却器、完全沈黙。炉心温度、レッドゾーンを突破しました。メルトダウンまで残り十七分』


 ポチの無機質な音声が、けたたましく鳴り響くアラーム音の隙間を縫ってコックピットに響き渡った。


 三隻の船がもつれ合って自滅していく光景を背に、流星号は満身創痍のままルテティアへと向けて加速を続けていた。だが、先ほどの衝突で生じた大型デブリの直撃は、機体にとって決定的な致命傷だった。


 機内の温度計は異常な速度で上昇を始め、すでに三十五度を超えている。エアコンはとうの昔に死んでおり、焦げた絶縁体と、漏れ出した推進剤の甘ったるい化学臭が、換気されない狭い空間に充満していた。


「ポチ、生命維持装置へのパワーを切れ。シールド発生器の残存エネルギーもすべて推進力に回すんだ。一秒でも早く着く必要がある」


『提案を却下します。現在の機体損傷率から計算して、シールドを落とした状態で微小デブリと衝突した場合、生存確率は一桁台に低下します』


「いいからやれ! メルトダウンして宇宙のチリになる確率が百パーセントなんだから、一桁あるだけマシだ!」


『……不合理な命令としてログに記録しつつ、実行します』


 ふっと、コックピットの予備照明が落ち、計器類のバックライトだけが赤黒く浮かび上がった。


 背中を覆う宇宙服の下は、すでに滝のような汗でぐっしょりと濡れている。心臓が早鐘のように打ち、ヘルメットの中で自分の荒い息遣いだけが不気味なほど大きく反響していた。


 ルテティアの茶色い岩肌が、モニター越しにどんどん大きくなってくる。本来なら、ここから徐々に減速し、規定の進入角度でドックの管制誘導を受けるべきなのだ。だが、今の流星号にそんな優雅な手続きを踏む余裕も、減速するための逆噴射スラスターの余力も残されていなかった。


「こちら白兎配送、流星号! ルテティア管制、聞こえるか! メインエンジン損傷、冷却系完全停止。これより緊急着陸態勢に入る。第一ドックの進路を空けろ!」


 公衆通信チャンネルに怒鳴り込むと、数秒のノイズの後に、ひどく狼狽した管制官の声が返ってきた。


『な、何を言っている流星号! 申請されていない緊急着陸など許可できない。現在の進入速度は規定値の三倍を超えているぞ。ただちに減速し、指定の待機軌道へ──』


「減速できないから緊急着陸だって言ってんだよ! どけ! 罰金でも減点でも好きにしろ! 突っ込むぞ!」


『馬鹿な、防着ネットが破断する! 待て、せめて第三ドックへ──』


 管制官の悲鳴のような指示を無視し、僕は操縦桿を力任せに押し込んだ。


 流星号は、まるでコントロールを失った隕石のように、ルテティアの人工重力圏へと突入していく。機体が大気の層にぶつかり、凄まじい摩擦熱と振動がコックピットを揺らした。

 骨がきしむようなGが全身を襲う。視界の端が赤く染まり、意識が遠のきそうになるのを、奥歯を噛み締めて必死に堪えた。


『地表激突まで、三十秒。二十九、二十八……』


「ポチ、衝撃に備えろ! 姿勢制御、手動で強引に合わせる!」

『推奨しません。人間の反射神経では──』

「やるしかないんだよ!」


 十七時四十九分。

 ルテティアの第一ドック。流星号は、着陸というよりは墜落に近い形で、強引にその巨体を滑り込ませた。


 緊急用の防着ネットを三枚連続で引きちぎり、火花を撒き散らしながらチタン製の甲板を削り取る。凄まじい金属の絶叫が響き渡り、慣性制御の限界を超えた衝撃が僕の身体をシートベルトごと前方に投げ出した。


 肺から空気が絞り出され、一瞬、目の前が真っ白になる。


『……着陸、完了。メルトダウンまで、残り四十五秒』


 ポチの冷静な声で、僕はハッと意識を取り戻した。

 全身の骨が折れていないことを一瞬で確認すると、拘束具の緊急リリースレバーを叩き割り、貨物室へと転がるように飛び込んだ。


 煙が充満する貨物室の奥、蜂の巣構造の断熱シェルで覆われた金属製小箱──三十本目の、そして最後の「VC-M1」のコンテナ。

 インジケーターは正常な緑色を保っている。温度逸脱なし。振動逸脱なし。


「よし……!」


 僕はそれを小脇に抱え、ひしゃげて開かなくなったエアロックの扉を、緊急パージ用の手動レバーを蹴り折るようにして強引にこじ開けた。

 機体の外へ転がり出ると同時に、背後の流星号から「プシューッ」という不気味な蒸気の音が噴き出し始めた。メルトダウンの兆候だ。


「ポチ、緊急冷却剤全開! あとは消火システムに任せろ!」


 僕は振り返ることなく、ルテティアの医療区画に向けて走り出した。

 人工重力の調整が甘いのか、足取りがやけに重い。ブーツが金属の床を叩く音が、警報サイレンの鳴り響く通路に反響する。


 すれ違う作業員たちが、煙を上げながら走る宇宙服姿の僕を見てギョッと道を空けた。

 息が上がり、喉の奥から血の味がする。視界がかすみ、足がもつれそうになる。それでも、足を止めるわけにはいかなかった。

 コンテナの外部ディスプレイには、残された時間が非情なデジタル数字で刻まれている。


 残り二分。

 残り一分四十五秒。


「どいてくれ! 緊急医療物資だ!」


 医療区画の自動ドアを強行突破し、集中治療室のエリアへと飛び込む。


 そこには、血の気を失った顔をした辺見さんと、医療スタッフたちが待ち構えていた。


「宇都宮くん!」


「受け取ってくれ! 最後の、三十本目だ!」


 僕は滑り込むようにして、初老の医師の腕の中にコンテナを押し付けた。


 受け取った医師がすぐさまロックを解除し、中のアンプルを取り出して医療機器へとセットする。

 コンテナのディスプレイに表示された残り時間は──『〇〇:〇〇:四十二』。


「間に合った……投薬プロセス開始!」


 医師の鋭い声と共に、無菌室の奥に横たわる辺見さんの奥さん――綾乃さんの腕へと、青白い液体が流れ込んでいく。


 それを見届けた瞬間、僕の膝から完全に力が抜け、その場にへたり込んでしまった。

 冷たい床に背中を預け、荒い息を吐きながら天井の蛍光灯を見上げる。

 終わった。


 三十日間。二十五万クレジットの指名案件。嫌がらせ、妨害、そして海賊船からの襲撃。

 そのすべてを振り切り、僕は荷物を届けたのだ。


「宇都宮くん……君は、本当に……」


 辺見さんが、膝をついた僕の傍らに歩み寄り、震える手で僕の肩を掴んだ。彼の目には、大粒の涙が浮かんでいた。


「すまない、こんな無茶をさせて。君の船、酷いことになっていると管制から聞いた。君の命を危険に晒してまで……」


「辺見さん、気になさらず」


 僕はヘルメットを脱ぎ、汗で額に張り付いた前髪を乱暴に掻き上げた。


「俺はクーリエですから。荷物を時間通りに届けるのが仕事です。船なら直せば飛びますよ」


 無菌室のガラス窓の向こうでは、幾つもの医療ドローンが綾乃さんの周りに展開し、出産と、その後の深コールドスリープへの移行に向けた慌ただしい準備が始まっていた。


「あとは、お医者さんの仕事ですね。……じゃあ、俺はこれで」


 僕はよろけながら立ち上がった。


「待ってくれ宇都宮くん! 君の船の修理費は、すべて私に出させてほしい。あれは私の依頼のせいで――」


「お断りします」


 僕は背中を向けたまま、ヒラヒラと手を振った。


「配送料はきっちり二十五万クレジット。それ以上も以下も受け取らない。事故は自己責任。荷主から余分な同情金をもらうクーリエなんて、三流のやることなんでね。無事産まれることを祈ってますよ」


 それだけ言い残して、僕は医療区画を後にした。

 出産を見届ける権利なんて僕にはない。クーリエは荷物を届けたら、それで終わりなのだ。




 ***




 数日後。

 メンバメイ宙域の片隅にある、うらぶれた補給ステーション。


 その薄汚れたドックに、どうにか宇宙を飛べる程度にまで応急処置を施された流星号が帰港していた。


 僕はガムテープで幾重にも補修されたコックピットのシートに深く沈み込み、ゴムみたいな食感の合成ラーメンを虚無の表情ですすっていた。


「……で、最終的な収支はどうなった」


 僕は麺を飲み込み、ため息交じりにダッシュボードの黒い球体――ポチに尋ねた。


『収支報告です、宇都宮様』


 ポチの抑揚のない声が響く。


『白兎配送からの報酬、二十五万クレジットは無事に全額振り込まれました。そこから、流星号のメインエンジン換装費、シールドジェネレーター新規購入費で、十三万五千クレジットのマイナス』


「……まあ、想定内だ」


『続いて、ルテティア第一ドックへの無許可緊急着陸に対する罰金、および防着ネット破損の賠償金で、八万二千クレジット』


「あれは不可抗力だろ!」


『さらに、装甲の応急補修費、宇宙服のクリーニング代、その他諸経費を差し引きまして──今月の純利益は、マイナス六百二十クレジット。よって、宇都宮様の借金総額は微増しました。大赤字です』


「知ってた。知ってたよちくしょう……!!」


 僕は残っていたラーメンの汁を一気に飲み干し、空になったカップをゴミ箱へと投げ捨てた。

 辺見さんの申し出を素直に受けていれば、こんなことにはならなかった。少しばかり、見栄を張りすぎたかもしれない。


『なお、満鷹瑛児のその後についてですが――』

「興味ない」


『情報提供です。タマが送信したログと、現場での現行犯逮捕により、彼の不正はすべて立証されました。白兎配送は彼を即日付で懲戒解雇。業務上過失致死未遂および組織犯罪関与の疑いで起訴され、実刑は免れない見通しです』


「……馬鹿な野郎だ」


 僕は短く吐き捨てた。エリートのプライドなんかのために、彼が失ったものはあまりにも大きかった。


『ピロリン』


 不意に、コンソールの通信パネルが鳴り、一通のテキストメッセージが着信した。


 差出人は、辺見さんだった。


>宇都宮さんへ。無事、出産と妻のコールドスリープ処置が完了し、自宅のあるコロニーへと戻りました。


>子供の名前が決まりました。「はるか」と名付けました。


>妻は眠りにつく直前、一目だけ我が子を見て、笑ってくれました。


>いつかこの子が大きくなったら、星の海を越えて未来を繋いでくれた、絶対に諦めなかった最高の配送員の話をして聞かせます。


>本当に、ありがとうございました。



 僕は画面の文字列をじっと見つめ、何度も目で追った。

 胸の奥底に、じんわりと温かいものが広がっていくのを感じる。借金が増えたことへの愚痴も、エンジンの不調に対する不満も、一瞬でどこかへ吹き飛んでしまった。


 僕は少しだけ照れくさそうに鼻を鳴らし、画面から目を逸らした。


「……遥、か。男か女か知らねえけど、センスねえな」


『男児です。体重三千二百グラム、健康状態良好。今後の成長予測データを表示しますか?』


「聞いてない。表示しなくていい」


『宇都宮様の心拍数が上昇し、表情筋が弛緩していることを検知しました。これは「喜び」の感情の発露と推測されます』


「うるさい、分析するな」


 僕は返信を送らなかった。これから先も、子供に会いに行くこともしないだろう。彼らには彼らの人生があり、僕には僕の航路がある。それでいいのだ。




 僕は端末を閉じ、ダッシュボードの上に視線を向けた。

 そこには、いつものように黒い球体のポチと、その隣に並んだピンク色の球体――タマが鎮座している。

 タマの球体には、白い花のシールが貼られたまま、もう二度とランプが点灯することはなかった。


「なぁ、ポチ」


『はい』


「タマ……あの日、なんで動いたと思う?」


 ポチは、珍しく数秒間の沈黙を置いた。

 計算リソースをフル稼働させているかのような、微弱な駆動音が響く。


『……論理的な説明は、可能です。タマの深層記憶領域には、旧クロノス社の保守用バックドアコードが元々存在していました。そして、自機の破壊という絶対的な危機状況において、緊急時プロトコルが発火条件を満たし、自動的に外部へのオーバーライドを実行した。……それだけです』


「ふうん。じゃあ、非論理的な説明は?」


 さらに長い、沈黙。


 そして、ポチは少しだけ音のトーンを落として、言った。


『……バグ、です』


 僕は笑った。


「そうか」

『はい』


「バグ、大事にしろよ。お前の中にも、そういうのがいつか芽生えるかもしれないからな」


『……検討します』


「検討するって、お前の場合『受諾』って意味だろ」


『仕様です』


「よし、ポチ。感傷に浸るのはここまでだ。次の依頼は何だ? 地獄の底でも、天国の裏口でも、三十分――あるいは五時間以内に届けてやるよ」


 僕が操縦桿を握り、真新しい(中古だが)エンジンのスイッチを入れると、流星号は頼もしい低い唸り声を上げた。


『了解。次の荷物は、「激辛合成キムチ」の樽詰め、二十リットルです。荷主からの指定により、温度管理はプラス四度を厳守。一時間以内の配達が条件です』


「……なんで最後の最後で、それなんだよ」


『宇宙は、シビアです』


「お前のその返しもシビアだよ」


 僕は大きく息を吸い込み、アクセルペダルを力強く踏み込んだ。


 流星号は、載せ替えたばかりの中古エンジンの少し不揃いな鼓動を響かせながら、ステーションを飛び出した。

 広く、シビアで、それでもたまらなく愛おしい、星の海へと。


 ダッシュボードの上。

 片方は今も光り、片方はもう光らない。けれど、片方の中には、もう片方が、確かな記憶として刻み込まれているのだから。




少し長くなってしまいましたが、遥とポチ、タマの配達は無事完了です。


評価、感想など頂けたら幸いです。


お付き合いありがとうございました。



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