1、エリートのプライドはガラスより脆い
【小惑星配送便】の三作目です。
今回は少しだけ長く(七話程度)なりそうなので、お付き合いお願いします。
*良ければ、前作【1】【2】の読了をお願いします。
白兎配送のメンバメイ支社オフィスには、高級な合成アロマの香りが漂っていた。地球の古い格式あるオフィスを模したという木目調のフロアで、満鷹瑛児は自身の完璧な仕立ての制服が怒りで歪むのも構わず、支社長のデスクを叩いた。
「なぜ、俺じゃないんですか!」
感情の昂ぶりに任せて放たれた声は、静かなオフィスに不快な波紋を広げた。満鷹はデスクの上のホログラム・ディスプレイを指差す。そこに浮かび上がっているのは、一ヶ月に及ぶ長期の専属定期契約書だ。
「小惑星ルテティアの採掘基地トップからの直接指名。総額二十五万クレジットの大型案件だ。白兎配送の看板を背負うトップクーリエとして、この俺が受けるのが当然でしょう。それを、なぜ……あの一介のアルバイトに回すんですか!」
支社長は、ディスプレイに表示された別の業務データから目も上げなかった。デスクの端に置かれたアンティークの時計がチクタクと規則正しい音を立てる。それが満鷹の焦燥をさらに煽った。
「顧客からの名指しだよ」
支社長は淡々と、しかし決定的な事実を告げた。
「『あのオンボロ船の、宇都宮くんに頼みたい』とな。先方は白兎配送のシステムではなく、彼という個人を指名してきたんだ。企業として、顧客の明確な要望を撥ね付ける理由はない」
満鷹の顔が、醜く引き攣った。
彼の脳裏に、四ヶ月前の忌々しい記憶が、インクを零したように広がっていく。
場所は同じく小惑星ルテティアの採掘基地。満鷹は当時、最新鋭の輸送船を駆り、大型の機材を届ける任務に就いていた。だが、そこでトラブルが起きた。ルテティアの貧弱なドッキングベイの設備と、採掘基地の責任者の泥臭い態度に腹を立てた満鷹は、彼らを「田舎の岩掘り」と鼻で笑い、ろくな確認もせずに接舷を強行したのだ。結果、機体の駆動系に不具合が生じて立ち往生した。
その時、たまたま近くの宙域でデブリ拾いをしていたのが、宇都宮遥だった。
宇都宮 遥は自分の乗る型落ちのオンボロ船から予備のジャンク部品を融通し、満鷹の代わりに配送を成立させた。ルテティアの連中にとって、満鷹の傲慢さは最悪の語り草となり、逆に遥の適当ながらも確実な仕事ぶりは「気のいい底辺の救世主」として深く記憶に刻まれることになった。
満鷹にとって、それはエリート人生で唯一の、そして致命的な汚点となった。人事評価には「顧客対応・要改善」という屈辱的な一行が刻まれ、内定していたはずの昇進ルートから無残に外された。
そして今、その汚点を作り出した張本人であるドブネズミが、自分が本来受け取るべき栄光と、奴にとって五ヶ月分のバイト代に届こうかという莫大な報酬を横から掠め取ろうとしている。
「あのドブネズミが……俺が築くはずだった信用を……」
満鷹の手が、デスクの上で固く握り締められた。爪が皮膚に食い込み、白い痕が残る。
彼の心の奥底で、乾燥しきった薪に一粒の不吉な火種が落ちた。
この時の満鷹は、まだ「殺意」などという大それたものは抱いていなかった。ただ、あの生意気なアルバイトの鼻をあかし、契約を途中で叩き潰して、自分のプライドを取り戻してやる。その程度の、陰湿な嫌がらせの計画が、彼の頭の中で静かに回り始めたに過ぎなかった。
***
宇宙は広いし、何より金がかかる。
呼吸をするたびに酸素税が引かれ、排泄物を出せば処理代が引かれる。地獄の沙汰も金次第というが、この宇宙の沙汰はもっとダイレクトだ。口座残高の減少は、そのまま生命維持装置の停止を意味する。
そんなシビアな世界で、二十二歳の大学生である僕は、愛機〈暁月の流星号〉のコクピットで久しぶりに大声を上げて笑っていた。
「見ろよポチ! 三十日で二十五万クレジットだ! これを受ければ、あの銀河スマイル金融への借金元本を一気に削れるぞ。今夜は合成じゃない本物の肉か、あるいはまともな味のするスープが食えるかもしれない!」
コンソールの上に浮かび上がった、白兎配送からの特命依頼書。そこには、僕の未来を一時的にバラ色に変えてくれそうな数字が並んでいた。
『反対します、宇都宮様』
助手席のダッシュボードに固定された、薄汚い黒い球体から、いつものように抑揚のない合成音声が返ってきた。僕の優秀にして冷酷な相棒、自律型配送支援AIのポチである。
『ルテティア採掘基地の提示した条件を論理的に分析してください。毎日十三時に人工惑星メンバメイのラボで集荷、十八時までにルテティアへ配達。遅延許容時間はゼロ。これを三十日間連続で行う契約です。通常航行で五時間かかる航路に対し、与えられた時間はきっちり五時間。つまり、トラブルによる猶予は一秒たりとも存在しません』
「いや、計算が甘いなポンコツ。流星号の限界巡航速度を維持して、デブリ帯のショートカットを使えば、片道四時間半まで縮められる。つまり、毎日三十分の貯金ができる計算だ」
『その計算は、本船のエアコン故障、および冷却系の深刻な劣化を完全に無視しています。限界速度での連続運用は、エンジンを自らフライパンにして卵を焼くようなものです。宇都宮様の楽観指数は、現在、全人類の統計上位〇・三パーセントを記録しています。これは、歴史的に見て「天才」か「ただの馬鹿」のどちらかにしか見られない数値です』
「お前の中で、俺がどっちに分類されてるかは聞かないでおくよ」
『賢明な判断です。真実を知ることは、時に生存意欲を低下させますので』
「冷たいねえ。仕様変更で少しは優しさを搭載してくれよ」
『仕様です』
僕はため息をつき、ダッシュボードのポチのすぐ隣に目をやった。
そこには、もう一つの球体が固定されていた。鮮やかなピンク色の塗装はあちこち剥げ、白い花のシールが頼りなく貼られたままの、動かないAIユニット。前回の命がけの配送で、僕たちの仲間になり、そして静かに眠りについたタマだ。
彼女のコアは深刻な損傷を負い、今はもう自発的に喋ることも、ランプを灯すこともない。ただの、よくできた金属のオブジェのようだった。
だが、ポチが複雑な軌道計算を行ったり、僕に辛辣な冗談を飛ばしたりする瞬間、ほんの一瞬だけ、ポチの黒い表面のインジケーターが、タマのほうへ向かって微かに明滅するのを、僕は知っていた。
「タマなら、きっと『はるかさん、いってらっしゃい!』って言ってくれてるはずだぜ」
『非論理的です。彼女のメモリは現在スタンドバイ状態であり、宇都宮様への応援行動を出力するリソースは割り当てられていません』
「知ってるよ。でも、そう思ってた方が、このゴムみたいな味のラーメンを喉に通しやすいんだ」
僕は手元に浮いていた、空になった合成ラーメンのカップをゴミ箱に放り込んだ。そして、もう一度画面の「二十五万」という数字を見つめる。
リスクは百も承知だ。三十日間、一度のミスも許されないシャトルラン。固定ギアの自転車でブレーキを持たずに坂道を下るような、狂気の沙汰。
だが、ここで引けば、来月の酸素代のために僕のどちらかの腎臓が裏市場に並ぶことになる。選択肢なんて、最初から存在しないのだ。
「よし、ポチ。行ってやろうじゃないか。地獄の底でも天国の裏口でも、時間通りに届けてやるよ」
僕は迷いを振り切るように、人差し指で画面の「受諾」ボタンを強く押し込んだ。コンソールが緑色に光り、契約成立のシステム音が鳴り響く。
〈暁月の流星号〉は、久しぶりに本気のエンジン音を上げた。機嫌がいいのか、それとも悲鳴なのか、僕には判別できなかった。




