第1章 2話『泡沫の記憶』
同じイヤホンで音楽を聴く。
特に興味は無かったけれど、態々借りてきたCDを移しているらしいから渋々付き合う。
「これが最近の流行りなんだって、どう?」
「あんまし良さがわからん。」
「やっぱり?そう言うと思った〜。」
自分でも無愛想な態度だとは思うが横目に見える少女は楽しげにしている。
しかし、どんな時でも楽しそうにしている訳ではない事を知っているのでその事実に昏い笑みを零しそうになる。
「まあ、私もおすすめされたから聞いてるけど正直あんまりわかってないんだよね〜。」
「これだって持ってないって言ったら俺が貸すよ、なんて言われちゃうし。」
そう言った彼女にはウォークマン(というらしい)が握られている。
どうやら少しお高めのようで、彼女の家庭環境を鑑みれば当然持ってないだろうなと思う。
「まあでもこうして君と同じイヤホンで音楽聴くの、やってみたかったからちょうど良かったよ。」
それは何ともまあ、ご愁傷さまとしか言いようがないけれどいい気味だとも思ってしまう。
自分の性根が善性では無いとは思っているが、最近その醜さに拍車がかかっている事を自覚して少し反省する。
「それで、実際にやってみた感想は?」
「う〜ん、口実が無くても私がこうするの、君は拒まないよね?」
そう言って彼女は僕の膝の上に座る。
信頼の証と受け取れば聞こえは良いが、彼女はこうして時折とても無防備に振る舞う。
「やっぱりこうしてると落ち着くな。」
僕の腕を取り自分の前に持っていく、すると僕は後ろから彼女を抱き締める形になる。
もし、わかってやっているのなら中々の小悪魔ぶりであるなと思う。
だから僕は、彼女の事をより強い力で抱き締める。
離さないように、離れないように。
「僕が君を拒む事なんて無いよ、この先ずっと。」
「…そう?ありがと。」
同じ苦しみを抱える者同士、健全ではないかもしれないけれど、それでもこの繋がりを断ち切る事は出来ないという確信があった。
「元気出た?」
「うん、暫く頑張れそう。」
この時がずっと続けば良いと思う。
「じゃあ、そろそろ行こっか。」
「うん。」
僕の膝から立ち上がった少女はこちらを振り返り手を差し出す。
少女の手を取って僕も立ち上がる。
「ねえ、好きだよ?」
「…僕も好きだよ。」
そう言って笑う彼女と2人隣を歩く。
ーー笑う?彼女は笑っていたのか?
ーー違う、彼女はどんな表情をしていた?
ーーわからない、彼女はどんな顔をしていた?
ーーそもそも、彼女って誰だ?
足元から全てが崩壊していく。
誰よりも知っている筈の自分がわからなくなる感覚。
当たり前に存在する常識に疑問を抱くようになる。
けれどそこにあるのは恐怖ではなく、焦燥感だった。
(これは、なんだ?)
(僕は一体、何をーー)
『ーーーーて。』
まるで水平線が見えない大海原で揺蕩うような感覚に陥った僕の鼓膜を少女と思わしき声が震わす。
聞き覚えがあるようでいて、それでいて何処か安心するような声。
(君はーーっ!?)
声の主を探ろうとして気付く、声が出ない。
それどころか何も見えない、聞こえない、感じない。
事ここに至って漸く自分の状況を理解する。
(これは、死だ。)
嘗て味わった、逃れようのない虚無を前に忘れ去ろうとしていた恐怖心が顔を出す。
何かが顔に触れたような気がした。
意識が浮上していく。
先程までとは違い今は見える、聞こえる、感じられる。
いつの間にか恐怖心は消え去り、微かな温もりだけが残されていた。
『ーーーきて。』
意識が覚醒するその刹那、再び少女の声が聞こえたような気がした。
「…夢か。」
勢い良く体を起こし周囲を確認すると安堵の息を漏らす。
自分で思うより疲労が溜まっていたらしい、窓からは夕陽が差し込んでいた。
****
乾きを覚えた喉を潤す為に井戸へと足を運ぶ。
拭いきれない倦怠感を取り繕う事も出来ないのか、何処か足取りは覚束無い。
そんなルクスの様子を見兼ねてか、それとも森の主を倒した影響からか、ルクスに声を掛ける人は後を絶たない。
「やったじゃねえか、ルー坊!」
「ルーちゃん、これお父さんと食べなさいね。」
「凄いなぁ、ルー兄カッコイイなぁ。」
しかし、そんな人達のおかげで本来あるべき姿の自分を思い出す。
意識を切り替える、苦しみに蓋をする。
自然と背筋は伸び、堂々とした足取りに変わる。
(いつも通り、いつも通りに…)
少し震える、柄杓を持つ手を握り締めて平静を保とうとする。
心を落ち着かせるのは狩人の必須技能だ、出来て当然、出来なければどうなるかは身をもって知っている。
知っている、筈なのだが。
(なんだこれ、震えが、止まらない…!)
焦燥感。
常日頃からルクスが感じている原因不明の感情は、普段なら抑え込めるのに何故か今はその兆しすら見えない。
まるで誰かに、目を逸らすなと言われているようで、慣れ親しんだ場所である筈なのにどことなく居心地も悪い。
揺れている水面に映る自分と目が合う。
よく知る自分の顔が別人のように見えるのはきっと、表情が違うからなのだろう。
(知らなきゃ、ならない…)
知らない事は恥では無い、寧ろそれを知ろうとしない怠惰な自分を恥じろとは母の言だ。
勢い良く柄杓を呷り、濡れた口元を拭う。
無理矢理にでも一歩踏み出せば自然と体は動き出す事は経験から知っている。
勢いのまま動き出した足は先程から脳裏を過る少女の下へと自然と向かっていた。
やがて少女を見つけたルクスは、人目も憚らず衝動の赴くままにロシェルを抱き締める。
「え、ちょ、ちょっと、ルクス!?」
沸き立つ周囲の視線を受け、恥じらいはするも拒絶する事はしない少女の甘さに付け込むようにルクスはより強く抱き締めその肩に顔を埋める。
「もう、どうしたの?」
困惑を滲ませながらもルクスを見るロシェルの目はどこまでも優しい。
何度か問いを重ねるも、ルクスに返答する気が無い事を察したロシェルはただその抱擁を受け入れるのだった。
「ごめん、いきなりこんな事して。」
やがて顔を上げ抱擁を解いたルクスから謝罪の言葉が漏れる。
それを少し寂しく思いながらも、そんな素振りは見せずにロシェルは応える。
「ホントだよ、びっくりしちゃった。」
「通り掛かる人皆生暖かい目でこっちを見てるし、凄く恥ずかしかったんだからね?」
「…ごめん。」
居た堪れない様子がありありと見て取れる青年の気を和らげるように少女は言葉を発する。
「そんなに謝らないでよ。」
「…それに、びっくりはしたけど、嬉しかったんだよ?」
「え?」
しかし、そんな少女の言葉は少年の気を和らげるどころか少年の心を騒めき立てるようなものだった。
少年の反応を見て自らの言葉の持つ意味に思い至った少女は慌てたように言葉を続ける。
「ル、ルクスが私を頼ってくれてって事!」
「ほら、ルクスって普段はどんなに苦しくてもそれを見せるような事しないでしょ?」
「ああ、そういう…」
「そうそう!」
どことなくぎこちない空気に気まずさを覚えたのか少女は言葉を重ねる。
「そ、それで、なんでこんな事したの?」
「私でよければ話、聞くよ?」
少女の優しさを受けて、ルクスは改めて自問する。
再び黙り込んでしまった少年を見る少女の目は、何処か諦念を孕んでいた。
(うん、間違いない、きっとそうだ。)
自問に自答する事ですっきりした様子の少年は笑みを浮かべて少女を見る。
少年の眼に少女の姿が映る。
「ありがとう、でも大丈夫。」
「迷惑かけておいてこんな事言うのは申し訳ないけど、もう答えは出たから。」
とびきりの笑顔でそう告げる少年に対して少女は何も言わない。
少年に何が必要か、自分の役割は何かを嫌という程知っている少女は、そこからはみ出すような事はしない。
例えそれが、自らが望む事でなかったとしても。
「心配かけてごめんね。」
果たしてその献身が実を結ぶ日が来るのか、それは定かではないが一つだけ確かな事がある。
それは、少年を想う少女の心に偽りは無い、という事。
「ホントよ、バカ。」
そう言って2人向かい合って笑うのだった。
****
「まず一つ、ハッキリしてるのは僕の記憶は完全なものじゃ無いって事だ。」
そう独りごちる少年は森を歩いていた。
考え事をしたい時、独りになりたい時によく少年は、こうして森を歩く。
「そもそも僕は1回死んでる筈だ、時折聞き覚えの無い常識があるし。」
思い浮かんだ言葉をそのまま口にする事で、自らの脳内を整理しやすくする。
そういった思考の仕方は母から学んだものだ。
「…そうだ、母さんが言ってた。」
「確かあの時は…」
まだ7歳になったばかりの頃、幽霊を見たとロシェルが騒いでいた時期があった。
独りで居るのが怖いからかずっと誰かと一緒にいて、僕は幽霊なんて信じてなかったから馬鹿にして笑ってた。
幽霊なんている訳がないと、そんなものを信じてるなんておかしいと。
今思えば、随分と視野が狭かったと思う。
(…後でロシェには謝っておこう。)
行き過ぎた僕を見兼ねた母さんが言った。
『読み書きすら出来ない、知らないのにどうして幽霊が居ないなんて言えるの?』
当然僕は反発した、稚拙な言葉で精一杯に。
しかし、母は容赦なく詰めてきた。
『ルクス、貴方には知らない事の方が多い、それはわかりますね?』
『ならば聞きます、お金の数え方は?畑の耕し方は?狩りの仕方は?ほらね?何も知らないでしょう?』
『いいですか、世界は未知で溢れています、私でもその全ては知りません。』
『否定するのは簡単です、ですがそれは自らの可能性を狭める行為でもあります。』
『貴方は可能性に満ちています、否定するのではなくまず一歩、踏み出す事が大切なのです。』
『よろしい、では今貴方がすべき事がわかりますね?』
…特に理由は無いけれど、自然と背筋が伸びる。
深く呼吸をして息を整える。
(そうだ、可能性を狭めるな、あらゆるケースを想定しろ、一歩を踏み出せ。)
思考の沼へと沈んでいく。
そもそも僕は本当に死んだのか?気の所為じゃなくて?いや、確かに経験として痛みを、虚無を感じた事は覚えている、これが偽りである事は考えづらい、であるならば本当に一度死んだものとして考える方がいい、となると次の問題は記憶の欠落だ、15年間ルクスとして生きてきた常識とは別の常識が僕の中にある事から前世の記憶がある事は間違いない、でもそれにしては足りていないものが多過ぎる、単なるエピソード記憶の喪失だけじゃなく関わりのあった人物に関する記憶まで無くなっている、筈、なんだけれども…。
「ふう。」
供給が滞っていた脳へ酸素を送り込むべく息を吸う。
吸って、吸って、大きく吐く。
(…問題は、あの夢だな。)
状況を整理する事で新たに見えた問題に頭を抱える。
(取っ掛かりが無さすぎる。)
あの時微かに、でも確かに感じた温もり。
蓋をし続けて来たけれど抑えきれなくなった焦燥感。
(この2つが無関係だとは思いたくは無いけど…)
自分という存在が根底から覆されるような感覚を思い出し、ふと母の言葉が再び脳裏を過る。
それは今すべき事、即ちロシェルへの謝罪を済ませたルクスへ母が言った言葉だった。
『良い子ねルクス、ちゃんと謝れて偉いわ。』
『ふふ、そんな訳ないじゃない。』
『良い?確かに知らない事は多いかもしれない、でもね。』
『母さんは貴方を愛してるわ、それだけは確かよ。』
少し潤んだ瞳を拭う。
胸に去来する温もりを確と感じる。
「そうか、そういう事か。」
記憶の中に存在する母の面影と、どこか別の誰かの面影が重なって見えた。




