第1章 22話『張りぼての世界』
頬を抓る、夢なら覚めてくれと。
目を擦る、映る全てが幻であれと。
頭を掻き毟る、収まらない頭痛を和らげようと。
耳を塞ぐ、けれど。
『巫光星さん、あなたは私を見てるんじゃなくて、私を通して違う誰かを、セイカさんを見てるのよ。』
既に姿は見えなくなったロシェルの言葉が残響となっていつまでも無くならない。
(消えろ。)
何時までも響き続けるその声を聞かないようにする為にルクスがとった行動は、地面に頭を打ち付けるというものだった。
(消えろ…。)
ガンッガンッと激しい音を鳴らしながらルクスは何度も、何度も繰り返す。
(消えろ…!)
額が切れてしまったからか、滴る血がルクスの視界を濁す。
だが、決して止まらない。
「消えろよ!」
段々と声は聞こえなくなっていったが、代わりに耳鳴りがするようになる。
声がしなくなった事でルクスは安堵するが、尚も頭を打ち付ける事をやめない。
「〜〜!」
「〜〜!」
ふと、誰かが何かを叫びながら近づいて来たのがわかる。
けれど、外界に触れる手段を持ち合わせていないルクスには何もわからない。
ルクスの世界にはルクスしか居ない。
だから、ロシェルが心配して戻って来てくれたなんて、都合が良過ぎる想像を膨らませるが直ぐに否定する。
(そんな事、ある訳ないか…。)
次第に薄れていく意識の中で再び声が響く。
『会いにきて。』
それは懐かしくて、安心して、燻っていたルクスに再び火を灯すような声だった。
****
あの後何がどうなったのかわからないけれど、気が付いたら見覚えの無い部屋に居た。
造りからして村の空き家、病床人を隔離する為の家だという事がわかる。
幾分か血が抜けたからか、冷静になった頭で考えればあの場に居たオリバーかウィルが運んでくれたのだろうと思い至る。
一先ず状況確認でもしようかと体を起こそうとして気付く。
(…起き上がれない。)
まだ無茶をした反動が残っているのだろうと推測を立て、大人しく横になったまま記憶を整理しようとする。
『巫光星さん、あなたは私を見てるんじゃなくて、私を通して違う誰かを、セイカさんを見てるのよ。』
途端にロシェルの言葉を思い出してしまい、跳ねるように飛び起きる。
胃から何かが逆流してくるのを堪え切れず、傍らにあった桶を手に取る。
とうに最後に食べた物など消化され切っているのか、胃液だけが吐き出される。
「…はあっ、はあっ、おえぇっ…!」
「はは…なんだよ…夢じゃ、ないのかよ。」
どうしようもなく暗い現実に、ルクスは乾いた笑いしか出て来ない。
乱雑に口元を拭い、もう一度横になろうとしたタイミングでノック音が響く。
音の主はルクスの返答を待たず、扉を開け侵入してくる。
「邪魔するよ。」
「お婆…。」
「!なんだいルクス、起きてたのかい。」
反応があると思っていなかったのか、少し驚いた後優しい笑みを浮かべ近づいてくる。
手には桶が抱えられている事からお婆が看病をしてくれていたのだとわかる。
「心配したんだよ、あんたは2日も寝たきりだったんだからね。」
「2日…ロシェは!?」
「自分の心配より他人の事かい…オリバーとウィルから事のあらましは聞いたよ。」
ルクスの言葉に呆れながらもお婆は手を止めない。
「星戦だったか、あの子にそんな試練が待ち受けているなんてね…これ、吐いたのかい?」
「…僕も、僕も行かなきゃ!」
「やめときな。」
未だに現実が見えていない、思考など無く感情だけで動こうとしたルクスをお婆は強い言葉で制止する。
「でも!」
「良いかい、あんたがあの子をどう思っていようとあんたは選ばれなかった、その事実は変わらないよ。」
「っ!」
「…あの子がどんな思いでその選択をしたのか、少しは考えてやりな。」
ルクスの身を案じてロシェルはアルケイデスを選んだのかもしれない。
その可能性はルクス自身考えなかった訳ではない、しかし知っているのだ。
「違う…違うんだよお婆…!」
「何が違うって言うんだい…そもそも、2日前に既にロシェルは旅立ってる、あんた今の状態で追いつけると思ってるのかい?」
「それでも…行かないと…!」
尚も食い下がるルクスにお婆はやれやれと首を振るとハッキリ宣言する。
「とにかく、今のあんたを外に出す訳にはいかない、ご飯は持ってきてやるから頭を冷やしな。」
「待っ…ぐぅっ。」
踵を返しその場を去ろうとするお婆に追い縋ろうとするも、額の傷が痛み動きが止まる。
その間にもお婆は歩みを進め外から閂を掛ける。
事ここに至って漸くこの可能性を危惧して自室に運ばなかったのだと気付く。
「出して…出してくれよ…!」
弱々しく扉を叩くも外からの反応は無く、1人きりの空間に虚しく木霊する。
部屋の中は最低限人が生きていける設備があるだけで、今のルクスにとっては何も無いに等しかった。
『巫光星さんーー』
「黙れえ!」
何か考えていないと永遠にあの言葉が脳内を反芻する。
どうにか気を紛らわせようと部屋を物色していると再びノック音が聞こえる。
「ルクス君起きてる?入るよ。」
「邪魔するぞ。」
「失礼しま〜す。」
お婆からルクスが目を覚ました事を聞いたのかオリバー、ウィル、フタバの3人が訪ねて来た。
「良かった、思ったよりも元気そうで。」
「あれくらいでくたばるとは思ってなかったけどな。」
「聞いたよ〜、物凄く無茶したんだって?」
そう口々に話す3人は、不自然な程いつも通りの態度を崩さない。
「ロシェルちゃんの事は、残念だけど仕方無いよ。」
「ああ、ルクスが弱いから選ばれなかったとか、そういう話じゃ無いと思うぞ。」
「うん、ロシェルちゃんなりにルクス君の事を大事に思ってるって事だよね。」
ピシッ、と亀裂が入る音が聞こえた気がした。
思い思いにルクスを励まそうとする3人に精一杯の笑みを浮かべて応える。
ちゃんと笑えているだろうか。
「…ありがとう。」
「…あ、あんまり長居すると良くないよね。」
「そうだな、まだ調子は万全じゃ無いだろうし。」
「そ、そうだね!」
慌てた様子でそう告げると部屋を出ていく。
後に続いてルクスも部屋を出られないか試みるが、失敗に終わる。
心配はしているのだろうが、閂だけはしっかり掛けて扉越しに別れの言葉を聞く。
「偶に様子見に来るからね。」
「早く元気になれよ。」
「ルクス君じゃあね!」
またしても誰も居なくなった部屋でルクスは1人心を落ち着かせる為に深呼吸をする。
だが、それから先は何か考える暇もない程ひっきりなしにルクスの元へ来客が訪れ始めた。
「ルー坊、今度ロシェルちゃんに会った時に惚れ直して貰えるよう精進しないとな!」
「…そうですね、頑張ります。」
笑みを浮かべる。
亀裂が深まる。
「ルーちゃんこれ食べて元気になってね、ロシェルちゃんもきっと頑張ってるわ。」
「…頂きます、僕もそう思います。」
笑みを浮かべる。
亀裂が深まる。
「ルー兄!ロシェル姉と早く会えるといいね!ロシェル姉も待ってる筈だよ!」
「…そうだな、そうだといいな。」
笑みを浮かべる。
亀裂が深まる。
「ルクスや、前に2人が選んだ道を塞ぐような真似はしないと言った事を覚えておるかの?」
「…はい、覚えてます。」
「今は進む道が別々かもしれん…だがの、願わくば再びその道が交わって欲しいと思っておる。」
「…そう、なりますかね。」
笑みを浮かべる。
亀裂が深まる。
「今は未だ難しいかもしれんが、今一度ルクスが立ち上がる事が出来れば、ロシェルも考えを改めるかもしれん。」
「正しい視点を持ち続ける、ルクスなら出来ると信じておるぞ。」
「…ありがとう、ございます。」
笑みは浮かばない。
粉々に砕け散った音が聞こえる。
「ところで、何か欲しい物はあるか?こんな部屋にずっと居たら退屈じゃろう。」
「本が、欲しいです…この本棚がいっぱいになるくらいの本が。」
「あいわかった、準備させよう。」
そう言い残すと村長は部屋を後にする。
閂を掛ける音がして誰も居なくなった事を確認するとルクスは独り言つ。
「…これなら、独りでいるのと変わんねえじゃん。」
「ならいっそ…。」
当然その言葉に返事は返ってこない、それが一層ルクスの孤独を深めた。
****
夕飯を持ってルクスの元へ訪れたお婆は、慣れた手付きで閂を外し扉を開ける。
しかし、扉を開けた先にあったのは壁だった。
どれだけ力を込めて押そうと壁はビクともしない。
よく見ればその壁が本棚の裏側である事がわかる。
「なんだいこれは…ルクス!あんたの仕業かい!」
「お婆…うん、俺がやったよ。」
何者かによる悪意では無く、ルクスが自ら行った事だとわかり安堵するも、だとすれば何故このような事をしたのかがわからない。
「どうしてこんな事を!」
「少し、独りに成りたいんだ。」
「だからって、態々こんな…一言言ってくれれば皆自重するだろうに…。」
「それじゃダメなんだよ。」
知らず知らずの内にルクスを苦しめていたのかもしれないと反省するものの、話し合う事もせず強硬手段を取った事にお婆は不満の声を漏らす。
「相手の善意で成り立った世界なんて張りぼてでしかないから、だから僕は自分の意思で自分だけが干渉できる世界を創る。」
「ルクス…。」
「もう、誰かに頼ったりしない…それに、僕はこれ以上誰かを嫌いになりたくないんだよ。」
あまりにらしくない、けれど心からのルクスの叫びを聞いて、お婆は何も言う事が出来なかった。
確かにルクスという少年はいつも元気で前向きという訳では無い、寧ろ他人より傷付きやすいし、落ち込みやすくはあった。
けれど、ルクスの傍にはいつもロシェルが居た、だから元気だった、前を向けていた、その事に漸く気付いた。
しかしその少女はもう居ない、居ないのだ。
「…ルクス、ご飯はここに置いておくから、ちゃんと食べるんだよ。」
「…。」
ルクスからの返事は無い。
お婆は長年その成長を見守って来た、孫のように思っている少年に対して何も出来ない事に無力感を募らせる。
それでも、何もしない訳にはいかないのだと、ロシェルが居ない今唯一ルクスを救えるかもしれない人物の元へと足を運ぶのだった。
****
ルクスは誰も居ない空間で、ただ自堕落に生きていた。
否、今のルクスは生きているとはお世辞にも言えなかった。
もう何日も何も口にしていない、少しだけ寝ては起きてを繰り返す。
ただ呼吸をしているだけ、緩やかな自殺をしていると言ってもいい惨状。
自分はここまで弱い人間だったのかと自嘲しようとするも喉が掠れて笑い声すら出ない。
不意に、扉を叩く音が聞こえる。
今まで何度もこうして家の前まで誰かが訪ねて来てはいたが、ルクスが無視を続けると去って行くという事を繰り返していた。
しかし、今回はどうも諦めが悪く叩く音が鳴り止まないどころかどんどん大きくなっていく。
痺れを切らしたルクスが文句を言おうと立ち上がった所で声が聞こえた。
「ルクス!親父さんが!グリームさんが死んだって!」
「……は?」
それは、平時のルクスであっても耐えられるかどうかわからない、今のルクスにとってはあまりにも辛く苦しい報せだった。




