第1章 12話『薄氷の上』
力強く地面を踏み締める。
これから死地に向かうとは思えない程、心身共に晴れやかで、満ち足りていて、軽やかだった。
何が言いたいかというと、
「絶好調だ…!」
しかし、浮ついた状態では本来の実力を発揮出来ないと心底理解している為、現在わかっている情報を整理する事で心を落ち着かせる。
(一つ、化け物だろうが生物である以上必ず弱点は存在する、あれと比べれば見劣りするが森の主にだってあったんだ、そこを破壊すれば死に至る。)
(二つ、あの狼達の攻撃があれに通じるなら兄さんから貰ったナイフの刃も通る、狼の爪は森の主の皮も引き裂く、ならば通じない道理は無い。)
(三つ、あれの扱う律式は恐らく電気だ、そう仮定すれば目が無いのに生物の気配を感じ取れるのも、ロシェルを襲ったあの一撃も説明がつく。)
(四つ、僕の律式は星印を知覚する力が強ければ強い程不快感がある、多分、僕の律式は体内にある星印を周囲に放出する事で感じ取れるんだ。)
滔々と番号を付けて思考を整理する事で見出した勝機が仮初のものでないと確信して深く呼吸をする。
「…よし、やるぞ…化け物退治だ。」
対象が視界に映った事を確認すると、足を止め息を潜める。
狼達は撤退ではなく抵抗を選んだようで、そのタイミングで残存する狼が居なくなる。
既に優先順位を設定し終えているルクスは、自らの選択によって齎された死を前にしても動じる事は無い。
それどころか、成すべき事へ意識を向ける事で集中は高まっていく。
(…出来てるのか、これ。)
自らの保有する星印を周囲に散らす事で極限まで存在感を薄くする。
これによりルクスは、視覚だけでなく星印での感知までも困難にする事に成功する。
それを証明するかのようにルクスの肩に小鳥が止まり、寛ぎ始める。
(…出来てるっぽいな…さて、どうなる?)
試みが成功した事に気を緩める事無く目の前の化け物を観察し続けると、
ーー殺戮を終えた化け物と目が合ったような気がした。
(やっぱりそうだ!)
即座に身を翻しロシェルのいる方向とは別の方向へ駆け出す。
「まだ他の可能性もあるけど…奴が生物を捉えてるのは電気だ!その前提で進めていい!」
自らの推測が大きく外れていないと確信し思考を一つ先へ進める。
後ろからは化け物が凄まじい勢いで追いかけて来ている。
しかし、先程までとは違いその差は中々埋まらない。
「はっ!やっぱりあいつ…弱ってる!」
「狼達の攻撃は通じたって事だなぁ!?」
「グルァ!」
何処か弱々しさを感じさせる化け物の咆哮にルクスは笑みを浮かべるものの、直ぐに気を引き締める。
(ごめんな…でも。)
「無駄にはしないから!」
気合いを入れ直すように吠える。
連続した全力疾走により呼吸は荒くなり足は重くなる。
それでも思考は明快で、それどころか普段以上に頭が回る。
(弱っててもこっちの存在を捉えてるって事は、まだ足りない…!)
(弱点を探すか、或いは…って、やばっ!)
楽しさを覚える程巡る思考に熱中し過ぎたが故に、拓けた場所へ出てしまった事でルクスは焦る。
しかし、即座に思考を切り替えると覚悟を決め弓を構え狙いを定める。
「こうなりゃ一か八かだ!」
しかし、動揺がもろに影響したのか放たれた矢は明後日の方向へ向かう。
「う、うわあああ!」
冷静さを欠いたルクスは情けない叫び声を上げながら矢を乱射する。
どの矢も見当違いの方向へ向かい、化け物を捉えた矢も硬い鱗であっさりと弾かれる。
「なっ、なんで!くそおお!」
そんなルクスの様子に、化け物が嘲るような笑みを浮かべたように見えた。
速度を落とし、ゆっくりと一歩一歩焦らすように近づいてくる。
高い知能と残虐性を持ち合わせた化け物の振る舞いにルクスは、
「なんだ、やっぱり感情も読み取れるのか。」
直後、ルクスが再び一撃を放つ。
そして、その一撃は避ける素振りすら見せない化け物の体に深々と突き刺さった。
その一撃は、ルクスの兄ルーメンから授けられたナイフだった。
「グルルァァ!!」
痛みに喘ぎ、ルクスを恨みがましい目で見る化け物にルクスは笑う。
「痛えだろ、特別製だぜ?」
文字通り化け物に一矢報いはしたが、状況は依然としてルクス不利ではある為それだけ言うとまた駆け出す。
しかし今度は化け物が追って来ない、というより、
(僕を見失ってる…?)
苛立たしげに手当たり次第に周囲に爪を振り下ろす様は癇癪を起こした子供のようだ。
これ幸いとばかりにルクスは化け物の姿を見つめる。
(何処だ…弱点、何処だ…?)
しかし、化け物は激しく動き回っている上に元々の視認性の悪さから弱点を見つける事は出来ない。
「くそっ、今ならいけるか…?いや、今しかない…!」
そして、焦れたルクスは一つの過ちを犯す。
「…感じろ!」
理が歪む感覚がする。
それと同時に化け物が落ち着きを取り戻しこちらを見る。
「なんだよ、星印は感知出来るままかよ!」
「グルルルァァ!!」
こちらへ迫る化け物を尻目に、ルクスは脳みそを全力で回転させる。
(どうするどうするどうする?)
(逃げるか、確かに星印を感知してるならさっきの技術で出来るかもしれない、でも。)
「ここまで来て逃げれるかよ。」
今のルクスにあるのは、ただ、矜恃だった。
「…あ!もしかして、いけるかも。」
そう言うとルクスは逆に、自分の存在を主張するように全力で律式を発動する。
それを挑発と捉えたのか化け物は一層激しく嘶くと速度を上げる。
「グルオオオ!!」
「そう、そうだ、俺はここだ!」
受けて立たんとルクスも大声で叫ぶ。
両者の距離はぐんぐんと近づいていく。
勢いそのままに化け物は攻撃を仕掛ける。
しかし、
「グルァ!?」
「デコイだよ…!」
まるで見当違いの場所に振り下ろされた爪はただ地面に深く突き刺さる。
それにより出来た致命的な隙を逃さぬようにルクスは一気に距離を詰めると化け物に突き刺さったままだったナイフを握る。
「星印を散らして存在感を無くせるなら!逆に星印を集中させて誤認させる事も出来るよなあ!」
「俺の、勝ちだああああ!」
「グルルァァ!」
叫びながら握ったナイフを深く深く突き刺す。
痛みに悶える化け物に勝利を確信するも確実にとどめを刺す為に突き刺したナイフで切り裂く。
数多の犠牲を出し、環境を変えてしまう程の脅威が遂に討ち取られそうになったその刹那、化け物が咆哮を上げた。
「グルルルゥウアアア!!」
「!!」
咄嗟に回避行動をとったルクスだったが、左腕の肩口から肘にかけてざっくりと裂けていた。
「やろう…っ!」
「グルルァァ!」
敵もまた、矜恃を持ち合わせていた。
「まだ…くたばらねえか、そうだよな。」
「グルルゥ…。」
「この程度でやられるんなら親父が負ける訳ねえもんな。」
傷を負った利き手が動かせるか軽くナイフを握り確かめる。
幸い痛みは殆ど感じず、違和感はあるが問題は無い範囲だとして無視する。
苦し紛れに放った一撃で負うにしては大き過ぎる傷。
現状ルクスが優位に立てている様に見えるが、それは虚勢の上に成り立つハリボテに過ぎない。
脚は重く腕は震え、呼吸は荒い。
しかしそれでも、ルクスは自らが優位であると示すように叫ぶ。
「どうした!俺はまだまだ、元気いっぱいだぜ!?」
「グルァァ!!」
だが、ギリギリなのは化け物も同じ。
互いに満身創痍、次の一撃を決めた方が勝利するとお互い理解しているが故の膠着。
ルクスは自らの発言を思い出していた。
『しかも恐らくこいつは比較的生まれたばかりだ。』
(そうだ、こいつは戦闘経験が浅い、生まれ持ったものだけで周囲一帯の生物に勝ち続けて来た。)
(だからこそその油断を突けた、それに…。)
化け物はいつでも動けるような姿勢ではあるが、何処か余裕そうにルクスの方を見ている。
それは正しく強者の余裕。
ルクスに負ける事など微塵も考えていない様にルクスは苛立ちを募らせる。
(まだこいつは俺の事を舐めてやがる。)
「目にもの見せてやる…!」
流れる雲が月を隠す。
暗闇の中で対峙する両者の緊張が高まっていく。
流れる雲間から再び月が顔を見せる。
「シッ!」
先に動いたのはルクスだった。
先程と同様に星印をデコイとして用いる。
しかし今度は、その数が違った。
「グルァゥ!?」
視覚の無い化け物からすれば、突然目の前に大軍が現れたように感じただろう。
そして同時にルクスは自身の体内の星印を散らす事で存在を希薄にする。
度重なる律式の行使、それに応じて必然的に星印の消耗は激しくなる。
この世界の普遍的な法則。
星印を保有していない存在は必ず死に至る。
星印の保有量が少ない状態での活動は、それこそ酸素の無い状態での活動に等しい。
現にルクスは視界がぼやけ、頭痛が襲い、碌な思考が出来ていない。
文字通り、命を削りながらもルクスは、
(知ったこっちゃねえ!)
音を消し、気配を消し、星印すらも消し、ルクスは駆ける。
化け物までの距離は目測で5m、デコイに気を取られルクスに気付く様子は無い。
(所詮はこいつも畜生!知能がお粗末だ!)
ルクスが駆ける。
化け物までの距離は目測で3m、手当たり次第に爪を振り回すがルクスに届く事は無い。
(ヤケになってやがる!こっちだ間抜け!)
ルクスが駆ける。
化け物までの距離は目測で1m、懐へ潜り込むと先程と同じ箇所へナイフを突き刺そうとする。
(いける!いけるぞ!)
「…は?」
しかし、突き出されたルクスの左手には、ナイフが握られていなかった。
そして、その致命的な隙を待っていたかのように、化け物がこちらを見た。
ルクスの犯した決定的なミスは幾つかある。
まず、自身の傷の深さを気分の高揚、つまりアドレナリンによる作用で軽度なものだと誤認した事。
次に、化け物の見せる余裕が慢心や若さ故のものであると決め付け、化け物の知能を低く見積もった事。
最後に、短時間で積み重なった成功体験によって全能感にも似た絶対の自信を得てしまった事。
どれもそれ単体であれば対処は可能であっただろう。
だが、それは同時に起こってしまった。
結果として、
「ぐぶっ…!」
化け物の尻尾による視界外からの一撃をもろに横腹に喰らう事となった。
「ごはっ…!」
吹き飛ばされたルクスは遠く離れた木に叩き付けられ体内の酸素が強制的に吐き出される。
視界がチカチカと明滅し、目が回る。
事ここに至って化け物は微塵も余裕など見せず最大限の警戒を持ってルクスの方へ近づいてくる。
(や、ばい、なん、とか…。)
立ち上がろうと試みるも手足は自分のもので無くなったかのように言う事を聞かない。
その間も化け物はその歩みを止める事はしない。
「グルァ、ガウッ!」
不意に、足を止めると化け物は短く鳴く。
それはまるで、ルクスに対して敬意を表するかのように見えた。
「ふ、っざっけんな…!」
しかし、ルクスはそれを受け入れる事が出来なかった。
「なんでそんな…そんな人間みたいな…!」
両者の間に確かにあった、生物として根本の強度の差。
その差を受け入れ、覆す為にルクスは必死の思いで知恵を働かせ、後一歩の所まで迫った。
だからこそこの化け物の行動は、ルクスにとって御し難いものであった。
「…ずるいじゃんか…!」
死の淵に立たされた事で、ルクスの本心が漏れる。
そしてそれは、度重なる挫折を経て尚、前を向こうとしていたルクスの偽らざる本心だった。
「グルルゥ…!」
「くそっ、悔しいな〜…。」
化け物が爪を振り上げる。
ルクスは全身から力を抜く。
ルクスの胸中にあるのは後悔の念だった。
(あ〜あ、こんな事ならロシェルにーー)
「諦めるのはまだ早いんじゃないか?」
化け物が爪を振り下ろす刹那、聞こえた声を掻き消すように剣戟音が鳴り響いた。
「…え?」
軽々と化け物の一撃を受け止めた青年が、何事かと顔を上げるルクスを見て笑いかける。
「もう大丈夫、ちょっとだけそこで待ってろ、少年。」
その姿はまるで、英雄の様だった。




