episode.ワルタルス -賢者の独白-
遠い昔、大切なものだったと失ってから気付くのは、幼さ故の未熟さによるものだと思っていた。
父を、母を。
契約精霊を、部下たちを。
皆を亡くした時に覚えた、焦燥感も後悔も。
全ては己の不甲斐なさ故なのだと思っていた。
こんな思いは二度とするまいと心に誓い、その時の最善の行動を取ってきたつもりだ。
……そう、つもり、だった。
事実、心が傷付く頻度は減った。
努力をすれば、経験を積めば、きっと苦い思いをせずに済む。
そう信じ研鑽を続けることで、後悔する回数は、確かに減った。
感謝の言葉を聞く機会も、増えた。
だがそれに比例するように、時折の後悔は、酷く、重く心に伸し掛るものとなった。
毀魔馬と、初めて対峙した時のことだ。
魔物は大きさに比例する傾向にある。
遠くから見ても山と見紛うばかりの大きさに、一人で対処する事は不可能と判断し、討伐を依頼して来た町長に願い出た結果、町民たちとの共同戦線が敷かれた。
幸いにも、魔物が多く出没する地域のため、性別問わず、戦士が多い町だった。
過去相対した魔物と比較した際に、過剰とも思える戦力の討伐隊が組まれることとなった。
当初は誰もが、すぐに終わる戦いだと、信じて疑わなかった。
しかし毀魔馬は大きさもさることながら、魔物なのにも関わらず、精霊術のような技を使う、他にはない個体だった。
また一角馬たちと比べても桁違いに賢く、一度見た連携や手口にすぐに対処をされた。
増援部隊も加わり、優秀な術師と数多くの戦士たちと三日三晩戦い通したが、全く先の戦況が見えずにいた。
そんな中、術師の青年が一人、捨て身の攻撃を申し出た。
一度は断ったが、戦士たちの疲労も大きく、二度目の進言の際に言われた言葉で、頷くこととなった。
「どうか、町をお守りください。私の娘も、そこにいるのです」
そう言って彼は勇ましく、その身を散らした。
彼のお陰で、毀魔馬を倒せたのだ。
彼以外の死者を出すことなく、五日目にして、ようやくのことだった。
一晩死線をくぐった者たちと共に泥のように眠り、町へと戻った。
待ち侘びた帰還に、戦士達と共に英雄だと持て囃された。
父たちのような英雄に、少しでも近付けたのだと、誇らしい気持ちになれた。
だがそんな中投げかけられた、幼い少女の問いが、浮ついた俺の心を、貫いた。
……今も、胸に刺さったままだ。
「ねぇ、けんじゃさま。
あたしのパパはどこ?」
幼さ故の、当然の疑問だ。
その後ろにいたのは、あの青年の、妻や、両親だろう。
慌てて子の口を塞ぎ、彼女たちは勝利と訪れた安寧に喜ぶ人々の影へと消えていった。
それ以降、その者たちの姿を見ていない。
追わなかったのではない。
後ろめたさもあり、追えなかった。
たった一人の犠牲で済んだ。
数字に表せば、一という、僅かな数字でしかない。
だがその一人にも、家族がいる。
一人でも犠牲を出せば、多数の喜びの裏で、悲壮な表情を浮かべ涙する人がいる。
そのことに気付かされてからは、同行者を、一切無くした。
そのうち、直接問題を抱えた集落と口頭のやり取りをすることも億劫になり、嘆願書が届いた集落を優先して回るようになった。
しかしそれだけでは足りないのは明白だったため、近隣の村から得た情報により集めた被害内容からあたりを付けて、該当する魔物を探し、討伐するようになった。
道中に遭遇する魔物は徹底的に排除し、集落を避け、魔物がいそうな場所に、率先して赴くようになった。
長年積み重ねてきた、経験と知識によって、己の身以外の犠牲を出すことなく、両親が守った世界の平和を、保てている気になっていた。
なのに、どれだけ集落を救っても、魔物を倒しても、胸に刺さった棘は、いつまでも抜けない。
時の精霊様には幾度と世話になり、その度に申し訳ない気持ちになった。
死にかけ気絶し、それでもまた目を覚ませた時には、まだかの御方に見限られてはいないのだと、少しの安堵と共に、重たい身体を起こした。
「いつまで、続くのだろう」
いつしか覚醒する度に、その言葉が脳裏をよぎるようになった。
いつしか、眠って目を覚ます度に、そう思うようになった。
そして、眠ることが……起きることが、怖くなった。
アリアにこんな役目を負わせる訳にはいかない。
優しい子だから、あんな視線を投げられれば、俺よりも傷付く。
王の器ではないからと理由をつけ、その椅子から遠ざかるためだと嘯いて、王都に近寄らなくなった。
あの子を守れるのだと考えれば、まだ、立てる。
大丈夫。
まだ、やれる。
しかし時の精霊様の御力は、本来やすやすと借り受けてはならないものだ。
そう分かっていながらも、頼る頻度が減らせないまま、何十年と時間が過ぎた。
暫くは最低限の巡回に留め、回復薬の研究に勤しもう。
幸い、世界中を周り新たに発見した薬草もある。
きっと、良い薬ができる。
そうすれば、救われる命が増える。
責められることも、きっと、減ってくれる。
願うように思いながら海辺のあの家へと戻る道中に、あいつを拾った。
首の切創に掌には小さいが貫通した痕。
それと、胸に大きく開いた刺創痕。
どう見ても、大罪人だ。
しかし太陽光を受ける度に色相を変えて輝く髪は、染めたようには見えない。
また、重罪人への魔王の模倣処刑許可は、俺の知る限りでは降りていない。
ならば此奴は誰だろう?
頭をよぎる、両親と共に写真に描かれていた人物を思い出した。
そんな馬鹿な。
何百年も前に死んだはずだ。
疲弊した心の中で、思い至った該当人物を否定する言葉が響く。
しかし、この人物が誰であれ、助けなければ。
それが、賢者と呼ばれるものとしての、義務だろう。
酷い重症なのにも関わらず、息があることを確認すると、海の中から拾い抱え上げ、家へと戻った。
あの時、あいつに出逢えたことは、僥倖と言えるのだろう。
人と関わりを持つことの大切さや、悩み苦しむことで強くなれることを学んだ。
いや、直視しようとせずに逃げていたそれらの事実を、再認識させられた。
かけがえのないものを遠ざけ、大切な存在を作らずにいた。
そのせいで俺は生きる理由を見失い、生きることが億劫になっていた。
人々を助けるのは、両親の遺言を守る、ただそれだけの義務感からのものとなっていた。
誇るべきものがいつからか、己の名が示す通りの枷となってしまっていた。
何十年、何百年と繰り返してきた、ただの作業と成り果てていたそれらの行動は、あいつが関わることで、また意味を持つ行為となっていた。
アリアたちと、久しぶりの邂逅も果たせた。
遠ざけることで守っていたつもりになっていたが、酷く心配をかけた上、悲しませていたことを知った。
それらの事実から、ただ逃げていた自分の不甲斐なさに辟易した。
常識外れなことをいとも簡単にしてのける。
複雑怪奇なことを、やすやすと解決してしまう。
なのに時折、子供でも理解できるようなことが分からないと首を捻り、悩み、落ち込んでは立ち上がる。
全く先の行動が読めない、変なやつ。
散々煩わされ、振り回された。
もう二度と、こんな大変な思いはしたくない。
こいつが一人前になり、拾ったものとしての責務を果たした暁には、行動を別にしなければ、命が幾つあっても足りない。
心労によって長い寿命ですら、縮んで老けてしまいそうだ。
……そう、思っていた。
なのに道を違えた今、あの喧騒の日々が、どれだけ眩く愛おしいものだったか気付く。
尻拭いも気苦労も、うんざりする程かけられた。
後始末に奔走させられるたびに、これが最後だと注意をしてきた。
それでも、決して短くない時間を共に過ごしたのは、凝りもせず、飽きもせずに、人と関わり合おうとするあいつの強さが、羨ましかったからなのだろう。
俺が、諦め、手放してしまったものだから。
自分が傷つこうと、頑なに抱え続けたあいつなら、俺が成しえなかったことをしてくれると、期待したからなのだろう。
他力本願にも、希望を託したかったのだ。
共にいることで、失ったものを、投げ出したものを、取り戻したような幻想を見てしまった。
それを手にしたのは、俺ではないのに。
俺の中は、空のままのはずなのに。
あいつが傍にいること、それだけで、心が満たされてしまっていた。
ため息ばかり吐いていたような毎日なのに、ふと気付くと、今の静寂が、痛々しい程に悲しいものに思えてくる。
自分の行動にだけ責任を取ればいい、気楽な生活が、無性に寂しいものに見えてくる。
永遠に失ったものではなくても、関係が切れれば、会わなければ、亡くしたものと同様に、己の手からは零れ落ち、そのうち消え、喪うのと同等の気持ちにさせられるのだと、ようやく気付いた。
幼さ故ではない。
単に、俺が馬鹿で、愚かだっただけだ。
涙を流すようなことはない。
ただ、現実を認識することで、鼻の奥が、じんと痛む。
その程度のものだ。
俺が感じているこの胸の痛みを今、あいつは感じていないことを願う。
幸せであるように。
不幸せでないように。
できることなら、孤独でないように。
もう二度と会えないだろう、家族と同じくらい、もしくは、家族よりも大切なひと。
願わくば、お前の未来が、輝かしいものになるように……
そしていつかまた、再び、俺たちの道が交わるように……
そう強く、心から願うからこそ、遠く離れた異次元の、この世界の片隅で。
神にでも精霊にでもなく、あいつ自身に直接この願いが届くように祈る。
その名が示す、明けの明星が輝く、この夜明けの空に。




