幕間 コン活のすゝめ(い)
ここからしばらくタイトルを幕間として更新して行きます。
これはほぼ同じ時系列における別人物の出来事を記したもので、外伝の一部です。
今後も必要に応じ幕間を挟みます。
その夜、美鈴が人知れず二つ目の能力、霊触を発揮したことを星たちは気づいていた。いや、星たちだけではない。夜空に輝く星々の合間には闇が広がり、光と闇を覆うように大きな宇宙が広がっている。つまり、美鈴に目を向けているあの世を構成する三界に存在する全てのものが、彼女の巫覡としての成長を観察していたのである。
では一体何の為に彼らは美鈴を見ていたのか。美鈴を守護する神仏にとっては彼女を守るために見守る必要があっただろう。いずれ美鈴を巫覡として使いたいと考える神々は2つの目的があるように思える。1つ目は美鈴を間接的に保護する為である。巫覡の状況によっては、その未熟さゆえに解決不能な事態に陥ることもある。よって今、美鈴を加護している神仏の手に負えない状況に万が一陥った際、自分達が助け舟を出せるよう、星々のように昼夜遠くから見守っているだろう。2つ目は神々の道具として美鈴が一定の素質を身につけた時、自身の巫覡として美鈴を使う、すなわち彼女に降りる為である。”降りる”とは人間の高位に位置する神々が巫覡の合意の下で巫覡本人の肉体に憑依する、という意味である。ちなみにここでいう”神々”とは宇宙界と光界の神々のことである。
では、三界の神々の、美鈴に対する一瞥は、果たして全てが柔和なものだろうか。答えは否である。”一瞥”と表記したのは、三界の神々の生涯は人の何十年の生涯に比べ、何十億年もしくはそれ以上と途方もなく長いものが多い。彼らが美鈴という巫覡を見つめる何十年は、彼らにとっては一瞬の出来事であり、瞥見に過ぎない。何度生まれ変わっても変わらずに向けられる彼らの深い愛情の眼差しを、我々はすっかり忘れてただこの一世の”加護”と捉えている。なんとも切ないものである。それゆえ”一瞥”と表記させていただいた。さて、本題に戻ろう。柔和でない目を向ける三界の神々は誰か、これは闇界の神々である。巫覡を狙って取り憑き、悪用してこの世、特に人間界で闇を広げる為である。巫覡の心に灯る光が完全に消え、神仏の加護を失うのを、彼らは待っている。瞳孔と虹彩が真っ黒になり、魂が黒く染まる。その時、闇界の一員になるのだ。闇堕ちした巫覡たちは変わらず浄霊や予知能力といった、人知を超えた魔法のような力を持っていることがある。そんな巫覡のうち、女性の巫女を時に彼らはこう呼んだーーー”魔女”と。
”魔女”といえば、魔法を使う怪しい女性たちを想像する。使い魔として黒猫やヒキガエル等を従え、怪しい薬や呪文、儀式で人を誑かしたり呪ったりする。全年齢対象では記述し難い儀式も含まれるゆえ、詳細は割愛する。なぜ”魔女”と呼ぶようになったのかは諸説ある。例えば、薬草学に長け、魔法のように人々の病を癒した人々を”魔女”と呼ぶようになった、という説がある。他にも、女性の巫覡のうち悪魔と契約したり妖しい術を使ったりするものを”魔女”、あるいは”黒魔女”と呼び、逆に悪魔契約や妖術を使わない女性たちを”白魔女”と呼び区別していた、いう説もある。昔の西洋でも光界と闇界の熾烈な巫覡の取り合いが起きていたのかも知れない。昔から現在まで相変わらず、と言うべきだろうか。美鈴の住む平成の日本も例外ではなかった。時代を問わず、闇界の神々は眷属や呪物、悪霊等を使い、彼らの”魔女”を手に入れようと考えた。人の寿命は短いから若い方が良い、できればある程度力が大きくなってから”収穫”したい。そう思い、何人かの巫覡が集まる青龍高校に目を付けた不届き者が1人いた。たった1人か、と思った読者もいるかも知れない。この不届き者を侮るなかれ。狡猾で自らの手を汚さずに、確実に”魔女”を手に入れる。自らの手に入らぬものは、他の”魔女”や闇界の存在を使い必ず始末する。どんなに長い年月を掛けようとも。彼奴は実力主義の闇界でそのようにして確かな地位を築いてきた。これは女の姿をしており、自らを妲己と名乗っていた。ちなみに妲己とは一般的に中国殷王朝末期の紂王の妃を指し、この女性は残忍な刑罰を好んだ悪女とされる。 人前では大抵、若く艶やかな女の姿をしており、時に9本の尻尾を持つ狐の姿をとることもある。
お読みいただきありがとうございました。
ノア先生の次回の更新をお待ちください。




