第13話 枕刀(まくらがたな)
第12話が長かったので二つに分けました。
天然痘に関する記述があります。苦手な方は飛ばしてください。
大阪旅行の真相に関係する回ですので、興味のある方はお読みください。
一方的に刺され、安眠妨害をされるなんて気が済まない。私が何をしたと言うのか。それは小さな怒りだった。だが確かに悪に抵抗する正義心だった。今考えてみるとこの出来事は、美鈴の持つ清明心による正義が行動に現れた初めの出来事だった。美鈴は自分の心に沸々と怒りが湧いてくるのを感じた。人を背中から刺すなど、己の正体を見せず害する、卑怯者のすることである。彼女の心は今にも恐怖よりも怒りが勝ろうとしていた。ここで美鈴に関して記す前に一つ注意書きをさせて頂きたい。刃物を持っている相手に立ち向かうことは、現実世界では推奨しない。逃げた方が良い。これはあくまで物語の中での出来事であり、読者諸君はどうか美鈴の真似をしないで頂きたい。美鈴は深く息を吸って、こう言った。それは彼女が16歳にして初めて口にした暴言だった。
「いい加減にしろ!」
そして左手で素早く背中に刺さるそれを掴んだ。それとは大阪の街中で美鈴の影に飛び移り隠れたそれである。ヨネによって長らく退けられていたそれは、今になってどうして再び美鈴の前に姿を現したのか。恐らく”浄霊”の話を聞き、存在が脅かされる感じた故、”浄霊”の前に美鈴をどうにか出来ないか、と考えたのだろう。なんとも小賢しい悪霊である。美鈴の掴んだそれは人の手のように柔らかかった。そして背中からそれを引き抜く。それは驚きのあまり何かを落とした。刃物が落ちたような金属音がした。美鈴は左手でそれの腕を掴んだまま、美鈴は振り返る。いつの間にか美鈴の寝室はどんよりとした暗い山中に変化し素足で地面に立っていた。そして眠っていたはずの彼女はそれと向き合っていた。すでに美鈴は夢の中にいた。
彼女は向き合うそれの姿を見た。それは美鈴と同じくらいの身長で、ボロボロの衣を着た、男だった。腕には赤いボロボロの切れ端を巻いている。山賊のような見た目をしていた。美鈴に腕を捕まれ、呆然としていた。自分が散々痛ぶった気弱そうな娘が、いきなり自分の手を掴んだのだ。それも素手で、である。美鈴は素手でこの男の霊体に触れたが、これは普通の人間ができることではない。この能力は霊触といって、超自然的存在を皮膚感覚によって知覚する能力である。見鬼と同じようにどの超自然的存在に触れられるか、どう感じるかは巫覡により差がある。気のように冷温を感じる者もいれば、美鈴のようにこの世の生き物そのものに触れているかのような感触がする者もいる。憑依を霊の重さや痛み、寒気によって感じ取る能力もこれである。
美鈴はこの男の顔を見て、恐怖のあまり息を呑んだ。思わず左手も離してしまった。顔中に豆のような瘢痕、が出来ているのだ。よく見れば男の手足にも瘢痕が広がっている。瘢痕を縫うように毛虫のように勢いのある眉、美鈴を殺さんとばかりに血走るぎょろぎょろとした大きな目、粘土で取ってつけたような不恰好な鼻と口があった。何日も風呂に入っていないような、赤茶けた肌に幾つもある煤のような汚れが男の魂のどす黒さの表れにも感じた。瘢痕とは天然痘の跡のことである。天然痘とは日本古来より度々流行し、多大な死者を出した感染性の高い病気のことである。これに罹ると12日程度の潜伏期間を経て、高熱後、体の各部位に発疹ができる。発疹は症状が重ければ瘢痕として生涯消えぬものとして残った。瘢痕により差別を受けたものもいた。彼らも病に罹りたくて罹ったわけではない。非常に悲しいものである。感染を恐れた昔の人々は赤い衣を子どもに着せたり、症状の緩和として発疹が瘢痕として残らぬよう、神仏に祈った。疫病神として崇める風習も存在したという。ただ昨今ではワクチンや予防法が確立され、根絶したと言われる病気の一つであるため、感染するリスクは大変低いと言える。
大変失礼ながら、美鈴は男の容貌に驚愕した。男は美鈴の様子を見て満足そうにニヤリと笑った。瘢痕が男の気味の悪さを倍増させた。身の危険を感じた美鈴はふと落ちた刃物のことを思い出した。男よりも先に刃物を奪取しなければ。美鈴は急いでしゃがみ、地面に落ちた刃物を掴んだ。それは枕刀だった。枕刀とは、別名守り刀と云う。古代日本では死者の魂を魔物や悪霊と云った闇界の存在から守るため、故人の胸元に置いていた。武家の風習から枕元に置く場合もあるようだ。現在も葬儀の際に枕刀を使用する宗派もある。最も真剣ではなく模造刀の場合が多い。男が持っていた、鈍く光った刀を手にした時、美鈴は体の芯からゾッとする悪寒を感じた。美鈴は脳裏にある言葉が浮かんだーーー”茨木童子”。
次の瞬間、美鈴はベッドで朝日に顔を照らされていた。
お読みいただきありがとうございました。
ノア先生の次回の更新をお待ちください。




