第9話 剥離(はくり)
義行は職員室の隣に位置する、生徒指導室で美鈴の話をひと通り聞くと、美鈴と美鈴の保護者と自身で三者面談を行いたいと言った。美鈴は義行の提案を受け入れた。義行は「橘さんの担任の梶原|先生にも、三者面談をする、ということを伝えておきますね。この後、橘さんの両親に電話をしますので、伝えておいてください」と言った。それから「大丈夫です、きっと上手くいきます」と謎の言葉を掛け、美鈴の下校を見送った。その晩、義行は百合子に電話を掛け、明日の午前中に義行と百合子、美鈴で三者面談を行うことになった。
翌朝、美鈴と百合子は生徒指導室で義行を待っていた。美鈴はブレザーについている、小さな埃を払い、椅子に座り直した。百合子によって丹念にアイロンがけをされた、折り目が整ったスカートの上に組まれた手は、少し湿っていた。余りに順調に事が進むので、事態の好転を期待する一方、逆に失敗するのではないか、という不安があったのだ。美鈴の不安は百合子にも伝わっていた。始業開始のチャイムが二人の間に静かに鳴った。それと同時に、義行が走って生徒指導室のドアを開けた。
義行はまず、名刺を母百合子に渡し、二人に自己紹介と面談の時間を割いてもらった礼を伝えた。名刺には次のように書いてあった。
"青龍高等学校国語科 特別指導部顧問 交野義行”
なお、個人の特定を避けるため、学校法人名・連絡先等は省略した。百合子は自分の名刺を義行に渡し、それから、「あら、部活動の顧問もされているのですね」と言いながら、義行の名刺を美鈴にも見えるよう、百合子と美鈴の中央机上に置いた。
「はい、そうです。本日は部活の顧問として、橘さんの件でご相談したい事があり、面談のお願いをいたしました」義行は百合子の名刺を自分の右斜め前に置いた。
美鈴は義行の名刺をまじまじと見ていた。と、いうのも、義行を含む教職員が名刺を持っていることを、彼女はこの時初めて知ったからである。担任の梶原先生も、碇先生も持っているのだろうか。そんなことを考えながら、彼女はまたある事に気づいた。名刺が2枚重なっていたのである。
義行は美鈴の熱心に名刺を観察する様子を見ていた。それから美鈴が2枚重なっていたことに気づいた時にちょうど、名刺を2枚重ねて渡してしまった事に気づいた。それから、申し訳ないと頭から爪先まで全身でビクビクしながら、「大変失礼いたしました。名刺を2枚お渡しするつもりが、重ねて渡してしまいまして・・・。あの、失礼します」と言って、美鈴と百合子の間の名刺を両手で2枚に分け、並べた。
もう1枚の名刺にはこのようにあった。
”NPO法人 あかきこころ(旧清明会) 九州支部青年育成部 交野義行”
美鈴はこの時、なんだか胡散臭い名前の団体だな、と1ミリほど思った。この疑念を1ミリにとどめたのは、美鈴の中にある義行の人間像は決して変な宗教にのめり込み、嘘をつくような人間ではなかったからである。百合子は2枚目の名刺に驚いた様子で、「”清明会”、ですか・・・」と呟いた。
「ご存知なのですか。」
義行は百合子の発言を意外に思い、羞恥のあまり机上に置いていた目を百合子に向けた。
「ええ。先祖が所属していた、と曽祖父から聞きました」
「そうですか。実は清明会は先の大戦で大変な政治的圧力を受け、解散しました。その後、"あかきこころ(旧清明会)"として再結成したのですが、昨今のお上は会計に大変厳しく、数年前からやむなくNPO法人化する事になりました」
「そうなのですね。色々あったとは聞いていましたが・・・」
「はい。そこで現在は運営本部、事業継承部、青年育成部そして十束剣に分けて活動しています」
「十束剣」百合子は考えるように、義行の言葉を繰り返した。
「はい。ひいお爺様が清明会にいらしたなら、組織の中心が十束剣だったことはご存知ですね。昔とは違い、彼らは太政官制の位階も持ちませんし、組織内での絶対権限もないです。ただ」
義行はそう言いかけて、一瞬、悲しそうな顔をした。それからこう続けた。
「・・・彼らが命を懸け、依頼をこなすことは変わりません」
彼の背後の窓から見える青い空は、その哀愁に応えるかの如く、冷たく澄んだものだった。
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