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英雄よ、空に眠れ  作者: 木戸陣之助
英雄の死

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第九話

「もう、行くのか?」

「うん」

「……本当に、大丈夫か?」

「うん、連れて行きたいの。できるだけたくさん」


 外は寒いだろうからローブはしっかり身に着けた。

 旅に出ると伝えて三日後、いよいよ準備を終えたので荷物を詰めたかばんを手に取った。旅用とはいえ物を入れ過ぎたせいだろうか、ふくれあがって前かがみにならないとバランスが取れない。最低限にしたつもりなんだけど……そんなわたしをお父さんはとても心配そうに見守っていた。


『もし、旅に出る時はこれを使いなさい。必要な荷物は揃えたか? 旅は危険だから非常食もちゃんと携帯しておくように。それから――』


 この隠し部屋に入って半年が過ぎたあたりだ。小机の引き出しを開けると、一枚の手紙を見つけた。差出人はルーカスおじさんとミラおばさんで、ロイに向けたものだった。ちょっぴり罪悪感をおぼえつつも、好奇心から中を開くと、そこには心配を表す文章が何行もつづられていた。

 やっぱり二人ともロイをこの村でひとりにするのは心を痛めたらしい。おそらくいつか旅に出る時の手助けと用意したのかもしれない。ちなみに非常食はわたしとお父さんでおいしくいただきました、ごめんなさい。


「お父さんって、旅に出たことはあるの?」

「どうしたんだ、急に」

「前に世界のこと教えてくれたでしょ。世界ってとっても広いって言ってたから、お父さんも旅したことあったのかなって」


 そういうと、お父さんは目を丸くした後、


「そうだな……まあ、アクテリスまでだけどな」

「そうなの?」

「って、こんな話はいいんだ。お前は、自分の目で世界を見たいんだろう?」

「……そうだね」

「昔、俺の親父が言ってたよ。お前の見た景色が、お前の世界だって」


 言ってる意味は一生わからなかったけどな、と父は吐き捨てるように言った。でも、なんとなくその意味はわかる気がする。どう言葉にすれば良いのかはわからないけど。


「さて」


 お父さんも荷物をまとめる。準備が出来たらしい。わたしみたいに物で溢れた様子はなく、軽めのものしか持っていない。本当に大丈夫か尋ねたけど、親を心配するなんて百年早いと言われた。


「お前は今から、どこに行くんだ?」

「とりあえず、アクテリスかな」

「そうか。なら、エトアル街道を渡るといい」

「あれ、冒険記だとフェーン海岸からが良いって……」

「身をもって経験したお父さんと紙束、どっちが信用できると思う?」


 紙束って……からかうように笑って見せるお父さんに、つい苦笑いを浮かべてしまう。でも、確かにそうだな。


「ありがとう。せっかくだから、そっちにしようかな」

「そうだそうだ。まあ……」


 楽しそうに話を続けて、言い淀んだ。それから何か物思いにふけったあと、引き締めた表情をして、


「行くか」


 荷物を背負いながら、部屋の中で一番隅の本棚に触れる。すると、本棚はうめくような音を立てて、横にはけていった。目の前には人がひとり通れるほどの細長い通路が現れた。

 わたしとお父さんは細道を通りながら薄暗くなっていく道先を歩き続ける。

 しばらくすると、最初にこの場所に来た時と同じように真っ暗になって、わたしとお父さんの息の音がちいさく聞こえた。その間、お互いに言葉を発することはなかった。ただ、目の前に向かって歩き続けた。


 もう少し進むと、この音も一つになる。

 暗闇に一筋の光が差す。それは次第に開けて、


「……きれい」


 光の向こうには、一面を緑と白に染めた広大な景色が広がっていた。冷えた風が吹けば、つんと肌を突き、草原をやさしく揺らす。所々にぼろ布よりもずっと真っ白な雪が覆いかぶさって、キラキラと輝いている。

 村で見てきたどんな空よりも蒼々として、その中を大勢の鳥たちが自由を謳歌するように飛び去って行った。


「ロイは、あんな風に飛びたかったのかな」


 わたしの問いにお父さんは何も言わなかった。きっと、自分の意を組んでくれたのかな。改めてお父さんの気遣いに感謝した。

 振り返って、もう一度父を見る。やっぱり髪はぼさぼさだし、無精ひげで痩せこけている。それでも、お日様の下よりもずっと暖かい。


「じゃあ、行くね」

「……アンジェリカ」


 涙ぐむお父さんの手を取る。暖かい、離れたくない。


「また、会いに行くから」

「な、なあ。やっぱり旅はお父さんと一緒に――」

姿を隠せ(ハイド)


 自分に向けて手をかざす。橙色に輝く自分の体は、次第に広大な緑に溶け込んで見えなくなった。そして、わたしはそっとお父さんの手を離した。


「アンジェリカ!?」


 わかりやすくお父さんは取り乱した。それでも、わたしは決して振り返ることはしなかった。ただ、前だけを見つめてゆっくりと大地を踏みしめた。いつかちゃんと大人になって、もう一度会いに行く。それまでは、絶対に死にたくない。

 何度も、何度もわたしを呼ぶ声がした。引き返して、今すぐにまた甘えたくなった。

 それでも、ロイの夢を叶える。そんなわたしのワガママを果たすために、わたしはひとり歩き続けた。声が聞こえなくなるまで、歩き続けた。


「……お父さんっ」


 振り返る。誰もいなかった。

 枯れ木が立ち並び、もくもくと煙を揺らす村の姿があった。きっと、テロメアだかアルザスだかそんな名前の行軍が燃やしてしまったのかもしれない。

 冷たい風が吹いた。お父さんはもう行ってしまったのだろう。人の息も聞こえない。ただひとり、女のか細い吐息と若草の揺れる音だけが聞こえた。


「お父さん……お父さん、おとうさん、おとうさん!!」


 何度も、何度も呼んだ。それでも、大人になり切れていない女の声だけが聞こえた。聞きなれたはずのしわがれた声はどこを探しても聞こえなかった。

 

「あ、ああ……っ!! ああああああああっ!!」


 その場で泣き崩れて、わたしだけの声が聞こえた。

 わたしは、きっと、大きな一歩を踏み出したのだった。



第一章 終

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