第八話
見て見ぬフリをしていた。
わたしを包み込んでくれた体が、本当は折れてしまいそうなほどに細々としたものだと。
先に行ってしまった貴方もまた、抱きしめてあげないといけないくらいに幼かったのだと。
そんな貴方達に、わたしは正しさを求めてしまった。強さを求めてしまった。自分がそうありたいのなら、自分の足で立ち上がって、自分の力で証明しないといけなかったのに。
「お父さん」
「どうした? アン」
「ごめんね」
「謝られるようなことはしてないさ」
「でも」
「いつも、アンはお父さんを迎えてくれたじゃないか」
しわがれた声は、自分のことなんてお構いなしに寄り添ってくれた。
いつも貴方に背を向けていたのに、どうして貴方はそんなことが言えるんだ。
「ねえ、お父さん」
「どうした?」
「わたし、旅に出る」
抱きしめられる力がぐっと強まった。お父さんが何を思っているのか、手に取るように、痛いほどわかってしまった。
「わたしね、ずっと甘えてた。お父さんがロイのことを忘れろって言った時、なんでこんなに酷いことを言うんだろうと思った」
「……撤回するつもりはない」
「いいよ。わたしがお父さんに間違ってるなんて、言う資格無い。だって、わたしはずっとお父さんに守られてきたから」
「それの何が悪いんだ」
「悪いよ。だって、わたしはもう十八なんだもん。いつまでも、お父さんに甘えてちゃいけない年なんだよ?」
「そんなことは無い。お前は生まれてから死ぬまで俺の娘だ。だから――」
「わたしね、誰かに何かを与えたことなんて、一回だって無かったよ。全部みんなから貰って生きてきたの。だから、今のわたしじゃお父さんの気持ちなんて一生わからないの」
「そんなもの、知らなくたっていいっ。アンジェリカ、お前はずっと俺と!!」
「駄目よ」
「どうして!?」
「だって、わたしは何も知らない。お父さんのことも、ロイのことも、コリアテ村のことも……この世界のことも」
知識を得れば理解したことになるわけじゃない。それは、文字を読み進めて頭の中に埋め込むだけの、うわべをなぞるだけの作業だ。
おそらくだけど、お父さんのことを本当に理解できるようになるのは、もっとわたしがこの広い世界を見て、体験して、色んなものに触れたあとなんだと思う。
こうして抱きしめてくれるのも、これが最後かもしれない。顔を見せてくれるほどの愛嬌はない人間になっているかもしれない。いっそ、お父さんが最も嫌う人間になっているかもしれない。
「『空を飛んでみたい』。それがロイの夢だった。だから、わたしは彼の夢を叶える旅に出る。きっとそれがたくさんの人に認められたものじゃなかったとしても」
「ふざけるな、アイツはもうどこにも居ないッ!! お前、魔女にでもなるつもりか!? 絶対に許さんぞ。俺はそんなことをしようものなら、手足を折ってでも止めてやるッ!!」
「それなら、這いずってでもわたしは外を出るよ」
「口だけなら簡単に言えるッ。何か悪いものにでも中てられたのか!? 誰だ、まさかルーカスとミラか!? あの外道め、うちの娘を。絶対に――」
お父さんはこんな時でもお父さんをしてくれるんだね。
「今のわたしを見てよ!!」
自分でもびっくりするぐらい、大きな声が出た。ぬくもりをそっと突き放して、お父さんの顔がくっきりと映った。頬はこけて、無精ひげが生えている。髪だってぼさぼさで、今にも倒れてしまいそうだ。そんなお父さんが、泣いていた。
初めて見たよ、そんなわけないって今なら絶対わかるのに。
「アンジェリカ……」
「きっと楽しいだけの旅じゃない。辛いこともたくさんあると思う。それでも、わたしは旅に出る。誰かの為なんかじゃない、全ては自分のために」
わるい子でごめんなさい。だから、これは最後のわがまま。
「おねがい、お父さん。わたしは自分の力で大人になりたい」
鬼のように怖い顔はくだけて、張り詰めた空気がすうっと抜けていった。
気持ちが伝わったかはわからない。でも、今目の前で泣いているお父さんを怖いとは思わなかった。
「……本気、なのか?」
「うん」
「頼み込んでも、ダメなのか?」
「ダメ」
ごめんね。
「大人になったわたしで、ちゃんとお父さんに認めてもらいたいんだ」
「アンジェリカ……」
「絶対、また会いに来るから。お父さんがどんなところにいても、必ず会いに行くから」
子供のように泣きじゃくるお父さんを、今度はわたしから抱きしめる。冷たくて、暖かった。手放してはいけないと思った。それでも、そっと放した。
「約束しろ」
「なあに?」
「絶対に、お父さんの元に帰ってくること。お前がどんな道を歩んでも、お前の帰る場所は俺が絶対に守ってやる。そうでなければ、絶対にここから出さない」
本当に、お父さんはどこまでもお父さんなんだな。思わず、笑ってしまった。冗談で言ってるんじゃない、とたしなめられたけど、それもやっぱりらしさで溢れていたから、また笑ってしまって。
「やっぱり、お父さんには勝てないや。わかった、約束する」
そう言うと、お父さんは渋々といった様子で、頑張れよ。と言ってくれた。
つられて涙があふれて、いてもたってもいられずに、もう一度お父さんに身を預けた。お父さんは何も言わずにやさしい手で、頭をそっと撫でてくれた。
「大丈夫だ。何があっても、お父さんが守ってやるからな」
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