第七話
わたしの知るロイは、物静かに広場に腰掛けていたはずなのに、外で遊ぶわたしたちよりもどこか忙しそうで。それでも話をしたかったから、少し意気込んで隣に座っていたのを思い出した。
でも、その時のロイはいつもとは違った。いつも通りを装っている、そんな顔をしていた。夕暮れのころだった。
『頼みって、空を飛んでほしいっていう?』
『いいや、これはそうだな……多分空を飛ぶより、ずっとお願いしたいことなのかもしれない』
『なあに』
『聞いていてほしいんだ、ぼくのこと』
それでも、最初のおねがいみたいにロイは無かったことにしようとはしなかった。どう受け止めるべきかわからず、悩みながらも『いいよ』と答えたのを覚えている。
『夕日、きれいだね』
『そう……なのかな。ごめん、気にしたことなかった』
『謝ることじゃないよ。でもさ、思うんだ。こうやってぼくらのずっと高いところで、たったひとり命を燃やしている』
燃えているみたいじゃない? そう言われた時、確かにそうだと思った。
『空ってさ、ほんとうにきれいだって思うんだ』
朝は綺麗かも、透き通っているから。昼はどうだろう、暑くてじめじめする。夜は怖い、暗いのは苦手。でも、ロイはそうじゃない。
『どういうところが、きれいなの?』
ロイのことがもっと知りたい、単純な好奇心だった。そんなわたしに気付いていたのかわからない。ロイはわたしをちらりと見ると、すぐに空に目をやってこう答えた。
『なんのしがらみもないところ』
『しがらみ?』
『うん。人ってさ、みんなこうなるべき、って思いながら生きてるじゃない』
『そうなのかなあ。あ、でもお父さんに怒られないように、って気を付けてるかも』
『そう。怒られたくなかったり、怒らないといけなかったり、やっちゃいけないことは気を付けたり、やるべきことはやらないといけなかったり。みーんな、そういうものを抱えてるんだ』
わたしよりずっと若かったはずのロイは、今のわたしが思い悩むようなことを抱えていた。そうだ、彼にはこんな一面もあった。それに引き換えわたしは何も考えていない小さな子供で。
『ロイはかんがえすぎだよ。もっとワーってはしゃいじゃえばいいんだ』
『そうだね。いっつも怒られたらお父さん怖いって、ぼくに泣きついてくるものね』
『……ちがうもん。忘れちゃえばなんてことないもん』
『おまじない、やめてみる?』
『だめ』
ロイはくつくつと笑う。だめ、顔が真っ赤になるくらい恥ずかしい。あの頃のわたし、どれだけお子様だったの。そんなわたしをお父さんみたいなやさしい目で見つめながらロイは、
『ぼくはね、ほんとうは本なんて好きじゃないんだ』
さらっと言った言葉は、わたしの中のロイがぱぁん、とはじけて消えるくらいの衝撃だった。実はからかってるんじゃないか、と思いながらおそるおそる『そうなの?』と尋ねると、『そうだよ』となんてない様子で返って来た。
ロイはやっぱり、すごい子なのかもしれない。
『じゃあ、何のために読んでいるの?』
『気を、紛らわせるためかな』
どういうことなんだろう。
『怖いんだ。何の為に生まれてきたんだろうって』
『お父さんはしあわせになるためって言ってたよ?』
そう言うと、ロイは苦い顔をした。悪いこと言っちゃったのかってドキリとした。でも、すぐに笑って『そうだね』と返した。
『ぼくは英雄、みんながそう言ってる』
『うん』
『そんなものになんて、なりたくなかった。って言ったらどうする?』
さあっ、と風が村の木々を揺らした。ざわざわと音を鳴らす、わたしと彼を取り囲んで、他のすべてを無かったことにするかのように。
そして、あの時のわたしはそんなことにまるで気づかなくて、何も考えずに答えてしまったんだ。
『やめちゃえばいいと思う』
『えっ』
『ロイはいつもがんばってるもん。少しくらい疲れておやすみしても、ヤニさまは許してくれるよ』
われながら何てことを、頭を抱えたくなる答えだ。
それでも、
『は、ははっ。あははははははは!!』
ロイは嘘みたいにお腹をかかえて笑った。ぽけーっと眺めているわたしに気付かず、むせるまでずっと笑っていた。
『え、おかしなこと言ったかな』
『あはは、あははははっ。いいや、そうじゃないんだ。はあ、ふう。ダメだ、笑いが止まらないや』
『ロイがたのしいならいいと思う、うん』
ロイが楽しそうだったからよかったけど、あの頃のわたし、もう少し良い返しを覚えるべきと思う。
しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻したロイは、憑き物が取れたような顔をして、
『最初ね、父さんと母さんにこの村に置いてかれたとき、ぼくは二人を恨んだんだ』
『うらむ……ご両親とけんかしたの?』
『いいや、していないよ。していないというより、できなかったんだ』
じっと見つめていたからだろうか、ロイの表情がほんの少し曇った。でも、すぐに元のさっぱりした顔に戻って、
『今、こうしてアンジェリカとお話するみたいにさ、もっと自分に正直になるべきだった。喧嘩をするくらい、もっとふたりと話をすればよかった』
『けんかしないって、良いことだと思うけど』
『そうでもないよ。ぼくはぼくのことを知ってほしかったのに、最後まで父さんと母さんに気ばかり使っていた』
寂しそうに言うけど、わたしにはそれがよくわからなかった。
『むずかしいことはわからないけど、それは、とてもすごいことだよ。だってわたしは、いつもお父さんに心配されているから』
『そうなの?』
『うん。だって、道端で転んだらお父さん物凄い勢いでわたしを助けにきてくれるの。でも、お父さんいつも疲れているんだ。本当はお父さんの方がずっと大変なのに』
わたしは、あの頃のロイみたいに何もかもを背負うことなんてできない。
十八になった今だって、たかだか村から一歩出ようとするだけで震えが止まらない。それでも、ロイはわたしよりずっと子供のころから、ちゃんと自分の運命と向き合っていたんだ。
『ロイはすごい。わたしにできないこと全部できるし、わたしの知らないことも全部知ってる。でも、それは全部がんばったから。だから、ロイはとてもすごい人なんだよ』
『そっか。アンジェリカがそう言うなら、きっとぼくは凄いことをしたんだろうな』
『そうだよ。だから、ロイはしあわせになるべき』
なんだ、わたし。ちゃんと伝えられていたんだ。
『話を聞いてくれて、ありがとう』
くすぐったそうに笑うロイに、合わせて笑うしかできなかった当時の自分。
あの時のロイはわたしをどう思っていたのかは知らない。それでも、わたしはロイが少しでも苦しみから解放されてくれればと願っていた。
『だから、最後のおまじない』
ロイがあの時のわたしに向かって手をかざすと、わたしの体が、じんわりと橙色に輝く。
『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』
「好きだったの」
全部、思い出した。
嫌なことがあったら、全部忘れさせてくれた。お父さんに怒られた時も、怖かったから忘れさせて、そう頼み込んだのを思い出して。辺りを見回してもロイはどこにも居ない。
ロイは最後までわたしのことを気に掛けてくれていたのに。
「……アンジェリカ」
止めどなく涙があふれる。どうしてこんなにも残酷なことをさせてしまったんだろう。もっと、もっとわたしには出来ることがあったはずなのに。
もっと責められるべきなのに、どうしてかお父さんは何も言わずにわたしを抱きしめてくれた。ああ、こんなにも暖かい、ずっと怖いって思っていたのに。
そうだ、子供の頃に叱られた後はこうやって必ず抱きしめてくれていたのも、大人になった今までずっと忘れていた。ロイに、こんなひどいことをさせてしまっていたなんて。
「ごめんなさい、お父さん。お父さんは、わたしのことをずっと愛してくれていたんだね」
泣きじゃくるわたしの背をやさしくさすりながら、お父さんは力強く答えた。
「当然だ、お前は俺の娘なんだから」
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