第六話
『ねえ、ぎょうしょうにんさんってどういう人なの?』
『行商人はな、世にも珍しいもの、便利なものを手に入れて商売をするために世界中を旅してまわっているんだ』
『せかいじゅう?』
『そうだ、このコリアテ村よりずーっと広い。コリアテ村なんて、世界に比べたらこんなだ』
両手をわーっと広げたあと、小ぢんまりとしたものを指でつまむ仕草。あの時、父は世界の広さと村の狭さをこんなふうに教えてくれた。
『ところで、どうしてこのコリアテ村に行商人がやってくると思う?』
『うーん、みんなにいろんなものおすそわけするため?』
『あっはっは、それもあるかもしれんな。でも、それ以上にはっきりとした目的があるんだ』
『ごめんなさい。おとうさん、わたしにはわからないみたい』
『そうか。せっかくなんで覚えておくと良い。コリアテ村には貴重な石がたーくさんあるんだ。毎年でもこの村に来たくなるような、すーごく貴重な石たちが』
そんなこともあったな。
自慢げに語る父の話をワクワクしながら聞いていたっけ。
「――ジェリカ」
これは、誰の声? おぼろげで聞き取れない。
「アンジェリカ、起きなさい!!」
今度はくっきり聞こえた。そうか、さっきのは夢だったんだ。
にじんだ景色が次第に鮮明になって、ようやく父の顔がはっきりと映った。
「逃げるぞ!!」
「え?」
「テロメアがアルザスに進軍を始めたらしい。さあ、急げ!!」
ぼろ布の寝間着のまま腕を掴まれて、強引に家の外へと連れ出された。扉が開くと、そこには急かされるように荷造りを始める村人たちの姿があった。中には扉に捕まって離れようとせず、家族で引き剥がそうとしている人もいた。
「良かった、まだ来てないか。でも、もう時間が無い」
父に腕を引っ張られ、ずいずい、と体が父のもとに引き寄せられる。
ちょっと待って。わたし、まだ何も準備が――
「何を悠長なことをしている!? 早く行くぞ」
「待って!!」
自分で言って、どきりとした。
ぐるぐると先のことで思考が巡る。父はわたしを見ている。落ち着け、冷静になれ。
わたしは姿を隠せの魔法が使える。でも不安は多い、人に見せてはいけないし、何よりわたしは一度も人に魔法を掛けた事が無い。
「アンジェリカ、何してる!?」
言いなりになるつもりはない。でも、父の手をここで振り払うのは絶対に嫌だ。いつか離れることになるとしても、こんな形じゃない。ちゃんと、最後まで向き合うんだ。
「……見つからない方法がある」
「何を――」
失いたくないなら、覚悟を決めろ。
「私達の姿を隠せ」
想像に全神経を委ねて、父と自分に手をかざす。すると、橙色の光がわたし達を包み、父の姿が風景に解けていった。
「アン、アンジェリカ!? どこに――」
良かった、成功した。
困惑する父の腕を握り返し、ここに居ると伝える。一体何が、と動揺が声から漏れ出ているが、今それを気にしている余裕はない。
「絶対、誰にも他言しないで。あと、わたしのお願い以外に声も出さないで」
「どういうことだ、これは一体……」
「手を離して欲しい、どこにも行かないから」
「アン、お前はいったい――」
「お願い、お父さん。わたしを信じて」
そう一言だけ伝えると、掴まれた感触がすっと消えた。わたしはロイの家の跡地へ向かい、床のくぼみを掴んで隠し部屋へのフタを引き上げた。
「入って」
「アン、何を」
「死にたくないなら、早く入って」
唾を飲み込む音を最後に、それからすぐに刺すような静けさがやって来た。後は中に入るだけだ。
その時、ズゥゥン、と地響きみたいな音がこだました。村の離れにある森からだ。音の鳴る方を向くと、鎧を着た兵隊の群れが見え隠れした。父も気づいたのだろう、声にならない声が小さく聞こえた。
「入った?」
「ああ、入った」
「じゃあ、フタ閉めるね」
わたしも急いで階段を下りて、入り口のフタを閉じた。
「真っ暗になるけど、うっすら光が見えると思う。そこ向かって真っ直ぐ進んでっ」
「ここは……何処なんだ?」
「そのまま真っ直ぐ進んで。もうすぐ扉が見えるから、そこを開けて」
「……わかった」
真っ暗な道を光を頼りに進む。
その間、互いの息がした。安心する。でも、油断してはいけない。
「何か掴んだ、扉だと思う」
「ゆっくり、音を出さないように開けて」
「分かった」
音が出ないように、扉がゆっくりと開かれる。
「ここだよ、ここが誰にも見つからない場所」
ようやく辿り着いた、わたしの命綱。
「これは、本? 全部本なのか? こんなにたくさん……」
「まずは中に入って。あと、念のため扉は閉めるね。バレたら終わりだから」
そう言って父を部屋の中に入れて、音を立てないよう扉を閉めた。
そして、ちょうどのタイミングで魔法の効力が消え、父の顔がじわじわと映り始めた。
「アンジェリカ!? 急に見えるようになったっ。まずい、頭が追いつかない。これはどういう状況で」
「声を潜めて。ひょっとしたら、外に漏れるかもしれないから」
「あ、ああ。でも、何が何だかわからない、この村にこんな場所があるなんて……」
「まずは、部屋の奥に行かせて。そこで、事情を説明するから」
そう言って、隠し部屋の奥へと進む。ぎっしりと整列された本棚たちを追い抜いて、壁際の本棚までやって来た。そして本棚に挟まれた通路の奥へと進む。これで、外に声が漏れることはないはずだ。
「……ここまで来れば、大丈夫だと思う」
「アンジェリカ……」
とまどう父の手を握る。今まで恐れていたのが嘘みたいに、ふるえて冷たくなっていた。
「ここは、ロイの家族が残した隠れ家だよ」
「……それを、なんでアンが知っているんだ?」
「偶然見つけた。一年前に」
父は目を見開いて、伏し目がちになった。
「あの日から、わたしは誰も信じられなくなった。だから、わたしはロイとの思い出にひたろうとしたの」
「……忘れろと言ったはずだ」
「お父さんは、お母さんのことを忘れろって言われて、忘れられるの?」
そう言うと、父は苦い顔をして何も言えなくなった。せっかく育ててくれた親にこんな顔をさせるなんて、わたしは本当に出来の悪い娘だ。
「ごめんなさい。でも、わたしの気持ちを知ってほしかった。偶々知っている誰かがいなくなったんじゃない。わたしは、わたしなりに彼を――」
ずっと忘れていたのに、どうして思い出したの。
そんなことを思ってしまうくらいに薄情なわたしが、こんなことを言う資格なんて無いのかもしれない。それでも、わたしはもうこの気持ちを無かったことにしたくない。だから――
『アンジェリカ、頼みがあるんだ』
その時、わたしはまた、忘れていた思い出をひとつ思い出した。




