第五話
本当はずっとこの隠し部屋で生活したいが、それは叶わない。
その理由は父にある。
父は物心付いた時から、わたしをずっと気に掛けていた。それこそ、村の子供達と外を走り回る時も、仕事の傍ら、わたしを見守れるようにしていたという。
そんな父のことだから、もし夜になった時にわたしの姿が見当たらなければ、血眼になって村中を探し回るだろう。ひょっとしたら、どんな手を使ってでも。
「戻らなきゃ……」
本を一冊読み進めて、出来るだけ多くの情報を頭の中に叩きこむ。それから家に帰って頭の中で振り返りする。本当ならロイのように紙に書く方が効率的にはいいけど、それはしなかった。前向きな理由ではない。
もし、バレてしまったらと思うと、怖くて仕方がなかったから。
結局、自分で急げと発破をかけたところで、最後の一歩を踏み出す勇気がなければどうしようもない。だからロイはひとりで――
「やめよう。これ以上、考えるのは」
人の目を掻い潜り、どうにか家に戻ることが出来た。まだ日も暮れてないので、父は帰ってきていないらしい。
「……よかった」
ほっ、と息を吐く。
急ぎで祈り、家の掃除を済ませ、夕飯の支度をする。父は夕飯は自分で作れると言っていたが、ある程度の炊事が出来ないと嫁には行けないと説き伏せて、どうにかこの役目を手に入れた。
ひとりで生きていくためには、自炊もできないといけない。この家ほど調理道具が整っていないとしても、少なくとも食べられる食材は選べないとやっていけない。
あの日以降、父とほとんど言葉を交わさなくなった。いや、厳密に言うならわたしから父に声を掛けることが無くなった。
それでも父の中ではわたしが、精神的に落ち込んでいる中、家事を担う健気な娘。そういう風になっている。
自分から距離を置こうとしているくせに、父に悪く思われたくない。結局は父に依存しているだけなのかもしれない。
「本当に、嫌になるな。わたし」
わたしとロイは違う。
わたしはどこまで行っても、結局辺境の村娘に過ぎない。絶対に外に出ると意気込んでおきながら、何一つ捨てられていないんだ。
自分の弱さに嫌気がさしていると、家の扉が開く音がした。汗だくになった父が帰って来ていた。
「おお。アン、今日も食事を作ってくれたのか?」
「……はい」
「いつもありがとうな、アン」
父の手がわたしの頭に触れた。ゴツゴツとした手がやさしく撫でてくれる。本当は嬉しいはずなのに、あの日からわたしはこの手が怖くなった。もしも、この手が自分に向いてしまったらと思うと体が震えてしまう。わたしを食べさせるために頑張っている手だって知っているのに。
父はそっと手を離すと、風呂に入ってくると言って、その場からいなくなってしまった。その背中は、年を重ねる度に小さくなっていってる気がした。
「わたしは、どうしたいの?」
家を出る前に、父と向き合う必要があるんじゃないか。
いや、いっそ誰の目にも触れられないうちに、今すぐにでも村を出るべきじゃないか。
取り留めのない考えが、ぐるぐると頭の中で渦巻く。こんな時、ロイならどうするだろう。ロイはどうやってこの村を出る決意をしたんだろう。
「……会いたいよ」
その願いが誰かに届くことは無かった。
◇◇◇
翌日、隠し部屋で日課の読書に勤しむ。無事、誰にも見られずここまで来られた、と思う。
今日は攻撃魔法だけでなく、地理学にも手を付けようと思う。ここ最近、本の文章を読み取るのに慣れてきたのもあって、読解が一年前より早く進むようになっている。難しい用語とかは相変わらずだが、文脈から最低限の補完はできるようになった……と思いたい。
「えーと、地理学は……」
地理学で学ぶポイントは主に三つ。
ひとつは気候。特に気を付けるのは主に嵐、豪雨、豪雪。どれも季節は違うけど、こういう時に外出するのは命知らず、らしい。嵐と豪雨はわかるけど。
ふたつ、地形。どうやらこの世界には危険地帯というものがあり、そこは普段の環境とは明確に違う特徴が現れるとのこと。ひとまず、ここからアクテリスまでの道中は無いので比較的安全……らしい。
みっつ、各国の情勢。地理学に当てはまるのか、とわたし自身思った。でも、高台であるか、そうでないか。だったり細かく見ると、発展している国とそうでない国はざっくり見分けがつくらしい。本当かなあ。
「でもさ、実際に見てないから、本当に合ってるのか心配になるよ。信じるしかないのはわかってるんだけどさ……」
もし、ロイも同じことを考えていたら。彼はどういう気持ちで旅に出たんだろう。わたしだったら、本当に一歩も踏み出せないかもしれない。なんて、気弱になったその時、あの言葉が頭に過る。
『空を飛んでみたい』
「……そうだよね。何を弱気になってるんだ、わたし」
ロイと約束したんだ、貴方の夢を叶えるって。彼の夢を知っているのは、わたしだけなんだ。
「よし、目的地はわかっているんだ。それまでに必要な道筋だけ調べればいいんだから」
意を決して、本の内容を頭に叩き込む。少しでも、彼の夢にたどり着けるように願って。
だが、この時、わたしにはもう時間が残されていないことを知らなかった。
全てを知ったのは二日後の朝。村人のひとりが青ざめた様子で、村全体に報せたのがきっかけだった。
「行商人が来ない。近い内に内乱が始まるかもしれない」
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