第十話
夕日も落ち、空が黒く染まり始めたころ。
透き通る青さは夜によって塗りつぶされ、息をひそめていた小さな光がふつふつと沸き上がった。それは深みを増すほどに産声を上げて、色とりどりの輝きを解き放つ。中にはその場に留まることをせず、線を描くように黒い海を泳ぎまわっていた。
ロイは空が好きだと言った。そんな彼はこの黒い世界を見て、胸を高鳴らせたのだろうか。それとも、やはり恐怖でそれどころじゃなかっただろうか。
まあ、わたしもそれどころじゃないんだけど。見上げた空を、草原に戻す。
「ふう、寝床を作らなきゃ」
夜という視界の悪さで開けた場所を歩くのは自殺行為だという。冷える季節だと魔獣はそう活性化しないらしいけど、完全に寝静まるわけではないそう。
とはいえ、人ひとりがちょうど良く寝付けそうな隠れ場は見当たらない。
「……困ったな」
たしか、冒険記でも似たような場面があったはずだ。本では水辺のある高地を探していた。水の流れるような音はする。音を探しながら辺りを見回していると、奥の方に草原を分断する大きな川が見つかった。川まで歩いてたどり着くと、そこは砂利道になっていて、水の流れも心なしか速かった。砂利道の上には獣が群れを作って歩いていた。そのうち何体かは水を飲んでいる。
「石が流れ着いてるってことは……たぶん、どこかに崖があると思うんだけど」
全部冒険記や地理学の本の受け売り。外れていたら、は考えない。
しばらく川辺を歩き回っていると、砂利道と斜面に伸びる草原という二つの道に分かれた。このまま草原を進んで高台になるとしたら、砂利道には岩壁があるかもしれない。そこに穴を開ければ――
その予測は的中し、砂利道と草原の間には段差が生まれ、先へ進むとごつごつとした岩壁が現れた。
「今日は、ここにしよう」
背負った荷物を地面に置くと、どさりと音がした。すっと体が軽くなる。
「よし」
壁に手をかざし、詠唱を唱える。
「メイク・ア・ホール」
岩壁がぼんやりと橙色に光ると、小さな傷が刻まれ、その後すぐに人ひとりが入れる程の穴をくり抜いた。荷物を引っ張って穴の中に入れる。そこまでやって、ようやく一息つくことが出来た。……よかった、成功した。
と思ったのも、つかの間。
体のあちこちから、チクチクと痛みが走った。次第に全身へと広がって、立っているだけでしんどくなる。このまま外にいるのは危ない、どうにか体に鞭を打って穴ぐらに入り込む。しばらく座り込んでいると痛みは引いた。代わりにじんわりと眠気がやってくる。
そこでようやく、自分が疲れているのだと知った。
「メイク・ア・ウォール」
なけなしの力で詠唱を唱える。地面から土壁が沸き上がると、穴を塞ぐように一面を埋めた。何も見えなくなったので小さい穴を開け、光の通り道を作る。とりあえず、最低限の準備は終わった。全部行き当たりばったりなのは良くないかも。でも、上手くいったならいっか。
そんなことよりも、眠たくて仕方ない。だめだ、逆らえな――
そこでわたしは意識を手放した。何も考えられなかった。
翌日。
体が痛い。目覚めたのは痛みのせいだと知る。体を丸めていたせいだ、窮屈で仕方ない。仰向けで寝られた家のありがたみを知った。次は、もうちょっと深く掘ろう。
そう言いながら、作った土壁の穴から外をのぞき込む。いきなり外に出てはいけない、というのも冒険記の教えだった。幸い周辺には何もいない、魔法で土壁を取り払う。すると新鮮な空気が流れ込んで、体を冷やした。
「さ、さむい」
そう言った直後、お腹の中が急に熱くなった。次にぐうと音が鳴る。そうだ、昨日隠し部屋を出てから何も食べてない。非常食は……
「だめだ、今使うのはさすがに……」
冒険記によると魔獣しか出ず、食料の調達が困難な地域もあるらしい。
非常食は本当に食べるものが無い時に使う。冒険記に口うるさく書かれていたのを思い出した。とはいえ、体も痛いし外を出歩くのはおっくうだ。
どうする?
「……やろう」
もう、困ったら助けてくれるお父さんはいない。今のうちに出来ることを増やさないと。今より過酷な場所はきっと来るはずだから。
穴ぐらを抜け出し、重くなった体を起こす。視界は明るい、日差しがちゃんと照らしている。体はやっぱりチクチク痛む、でも歩ける。せめて痛みを強く刺激しないように、気を付けてわたしは川辺へと歩き、水流に指先を入れた。
「冷たっ」
氷でも触ってるみたい。眠気も一気に醒めた。その時、
「あっ」
ちゃぽん。
水面から何かが飛び上がった、魚だ。
「メイク・ア――、あれっ。いなくなっちゃった」
おだやかな水流に戻った。水面の底には魚の姿がゆらめいている。飛び上がる様子はなさそう。どうやって取ろう……その時、
ちゃぽん。
魚だ。
「メイク・ア――」
また、水辺に沈んだ。ダメだ、魔法を打つ余裕がない。どうやってあの魚を捕まえよう。飛び跳ねて逃げる相手だ、少なくとも工夫は必要。
冒険記にも魚釣りだったり、魔法を使った狩猟の様子は載っていた。でも、釣り竿も無ければ、どんな魔法を使ったかまでは流石に記されていない。じゃあ、釣り竿を作る? 壁だったり穴を作れたんなら出来るかも――さっそく、詠唱を唱える。
「メイク・ア・つりざお」
川のせせらぎが聞こえる。
「あれっ……メイク・ア・つりざお」
川のせせらぎが聞こえる。ずっと、それだけ。それから何回か同じように魔法を唱えてみたけど、何も作られなかった。思わず肩を落とす。
そりゃあそうだ。釣り竿って、よくよく考えたら詠唱でどう言えばいいの。壁だったら『ウォール』だし、穴だったら『ホール』だった。全部魔法学の本の一例に載ってたからそのまま使えた、けど釣り竿は無理。多分、詠唱用の言葉に置き換えないといけないんだ。
「……どうしよう」
旅に出て二日目。早速、ピンチかもしれない。
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