↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
英雄よ、空に眠れ  作者: 木戸陣之助
呪われし都

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
51/51

第五十一話

 斥候が浮かべた笑みは、少年の目にも映っていた。

 少年は確信していた。奥の手を隠している、と。だが、手掛かりがわからない。

 そんな事情を敵が待ってくれるわけもない。


(……これは)


 異変に気付いた時、少年の顔から血の気が引いた。

 眼前に映るのは底の無い大穴——廃ビルの跡地。その表面を全て覆っていたはずなのに、忽然と消えた人喰い花。

 少年はもう一度斥候を見直す。斥候は、頬が裂けるほどに口角を吊り上げて、いっそ絶頂にも似た恍惚とした笑みを浮かべ、地上を見下ろしていた。釣られて少年は足元に視線を落とし、


「……くそ」


 見失ったはずの人喰い花が大口を開けて少年を覗いていた。その瞬間を見計らったように、足元を支えていた触手はするりと引っ込む。宙に浮かされ行き場を失った少年に残されたのは、二度と出られない深淵に喰われる最期だった。


(死ぬのか)


 実に呆気ない。頭が真っ白になるとか、幸せだった日々を思い出すとか、そんな余韻は何一つ無く、ただ粛々と自分が底に落ちるまでを受け入れるのみ。

 逃げ場のない悟りの境地で、少年の心を満たしたのは恐怖ではない。


(最後の一瞬だけ我慢すればいい。そう考えれば、この結末は不幸じゃないのかもしれない)


 終わりという安心感だった。

 深淵を見つめながら少年は人生を総括する。死んだ方がマシだったと。

 気が付けばボロ屋敷のベッドで身を丸くし、ただ当てもなく天井を見上げるだけの毎日。頼れる人間も居ないので早々に飢えの苦しみが迫り、何かを食べないと死んでしまうので、数少ない記憶の一つである生活の知識を頼りに街道を徘徊し、獣を殺して、食って生き永らえた。

 残された記憶が正しければ、この力は英雄と呼ばれ、人から称えられるものらしい。

 しかし、現実はどうだろうか。ただ、道行く獣を殺し、路上で食用の雑草をかき集め、寝床もそこらの木を折って、記憶から見様見真似で作り上げた。ガラクタとまるで変わらない出来だった。しかし、物乞いできる相手も現れないので、ただひとり愚痴をこぼすこともできず、粛々と貧しさを耐える毎日。

 自分が不幸であることも知らず、誰かに教えられることもせず、ただ息苦しさを抱え、これが生きることなのだと誤解を強いられて生きて来た。


(幸せ、だったなあ)


 それでも少年に後悔は無かった。色味の欠片もないどす黒く塗りつぶされた人生の中に、たった一つ奇跡が起きたのだ。

 自分よりも頭一つ大きくて、黒い髪に黒い瞳、黒いローブと怪しさの塊でしかないのに、出涸らしの自分よりもずっと明るくて、この世界のことをあまり知らない。子供っぽさが垣間見えるのに、どこか世話焼きな若い女性。

 夢に現れた時は自分と変わりない子供であったはずなのに、その女性は夢で見た時よりもずっと大人びて見えた。


(この人なら、って思ってしまった)


 英雄の記憶を頼りに、その人物の名前は『アンジェリカ』という名だと知る。当時の英雄はアンジェリカとの思い出を大切にしており、魔王を倒すためだけの旅程で、星空を眺めながら彼女を思う姿が時折映し出された。英雄の知識は継承されるが、その時に抱えた思念も、直近であればわずかに受け継がれるのだ。そんな先代の英雄が過去を偲ぶ姿で夢に現れた時、少年は涙した。

 どうしようもない宿命を互いに背負っているはずなのに、片や誰かに愛され、片や人知れず飢えをしのぐ毎日。


『どうして、自分だけ』


 疑問を口にすることは少なくなかった。人は他人と比べる習性を持つ。少年も例外ではない。幸せな思い出を見せられてしまえば、嫌でも今と比べてしまう。意味が無いとわかっていても、根拠のないはりぼての希望だけが膨れ上がり、到達できない現実にまた空しさを覚える。

 希望が絶望に変わるのに、そう時間は要さない。例外なく、少年はさらに生きることが苦しくなってしまった。

 それでもしばらくは耐えた。しかし、エトアル街道は名ばかりの街道。行き付く先は辺境の小さな村か他国への国境のみ、人が訪れることは滅多に無い。奇跡を待ちわびて、月日を重ねる度に空しさだけが募った。平常心が喰われてしまうほどに。


(もう、全部捨ててしまおう)


 絶望した少年はぼろ家の扉を開け、崖際にまで足を運んだ。水平線の上で夕日が煌びやかに輝いている。今すぐにでも人を殺してしまいそうな目で一瞥して、その一瞬全てで未練を断ち切り、穏やかさを孕んだ笑顔の仮面を張り付けて、ゆっくりと瞳を閉じた。吹きすさぶ風に心地よさを感じる間に、一歩踏み出そうとした。

 その時だった。不意に腕を引っ張られ、強引に引き寄せられた。正体を探る暇もなく、されるがままに、少年はそのまま地べたに倒れ込む。

 自害ですら邪魔されるのか、と光を失った虚ろな瞳が映したのは、いつか夢に現れたあの黒髪の、しかし夢で見たよりも成長した女性の姿。


(この日から、全てが始まったんだ)


 声を掛けてしまった。すぐに後悔した。

 英雄という決まり切った最期を抱えた自分自身が、そうさせた。今すぐにでも無かったことにしようとしたが、寂しさを埋めたいという欲は止まらずに暴走を続ける。何の奇跡か、話を聞いて欲しいという要望に彼女は答えてくれたのである。

 そして、彼女の事情を聞いたうえで身の上を話した。彼女が追っているのは、いずれ死ぬ宿命を負った亡き人の面影でしかないと。自分が英雄で、いつ死んでもおかしくない存在だから、誰よりもわかっているのだと。

 彼女は激昂した。そんな風に言うなと怒鳴りつけた。今にして振り返れば、当たり前の話だ、とエウレルは自嘲する。それでも、自分に興味を示してくれた稀有な存在を、みすみす死地に追いやりたくなかった。


(なんで、今になって思い出すんだろう)


 そんな少年に、彼女——アンジェリカは歩み寄り、抱きしめてくれたのである。

 少年は、彼女がそんなことをした理由を知らなかった。

 少年の記憶に抱擁の感触は残されていなかった。

 少年には、誰かに大切にされるという記憶が残されていなかった。

 少年には理解が出来なかった。

 いずれ死ぬであろう未来を抱え、その通りに死んでいった人間の為に、いつ死んでもおかしくない世界を渡り歩こうとする彼女が。

 終わりのない旅で、何も得られないかもしれないというのに、旅を続けると決意した彼女が。

 そんな命がけの旅に、他人でしかない自分に一緒に行こうと言ってくれた彼女が。

 だから、知りたくなった。何がアンジェリカを突き動かすのかを。

 そして、いつしか惹かれるようになった。

 あんな風に生きてみたい、と。あんな風に夢を語ってみたいと。

 小さな夢を持った。


(でも、全部終わりだ)


 失敗した。

 英雄の力で彼女のすべてを守れると息巻いた。

 自分が身を呈していれば、人を救えると本気で思っていた。

 とんだ思い上がりだった。

 少年にはもう生きる気力が無かった。いち早く死にたかった。路上で斥候に襲われて殺されるくらいでちょうど良かった。大切にされることが申し訳なくて仕方なかった。突き放された時は、そんなものかと納得した。

 でも、そんな後悔もこれでおしまい。


(やっとだ。やっと楽になれる)


 もう少し、幸せでいたかった。

 そんな小さな後悔を胸に抱え、少年は目を閉じて。


 閉じた瞳の向こうで、一筋の光が走った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。