第五十話
あの斥候をころすには、どうすればいい。
花の形を模した斥候は旧都の遺跡そのものを根城にする巨大な敵。神の剣で焼き殺せたなら一番手っ取り早いが、水竜に目を付けられるのは御免被りたい。ので、接近して殺すのが得策と判断する。では具体的にはどう動く。とりあえず、切り刻んで反応を確かめてみるか。室内でやり合った時は手ごたえは感じられなかったが、今の段階でどう反応するのか試したい。
傷付けられたのはせいぜい、神の剣を解き放った時くらいか。
水竜の怒りに触れる可能性はある。しかし、ためらう必要があるのか。焼き殺すのであれば、気の赴くままに振る舞えば良いではないか。いっそ何も考えずに最大出力を出してしまおう。最悪、あの水竜を打倒した英雄も存在する。記憶を辿れば一度なら屠れるはずだ。
相手はあの魔王が放つ斥候、殺さない訳にはいかないのだ。
(……何を考えているんだ)
少年の自我はまだ健全であった。だからこそ、この使命が持つおぞましき深淵を知る。一度覗き込んでしまえば、二度と戻れないほどの闇を孕んでいるのだと。
アンジェリカを守りたいのか。ただ闘争を求めているのか。
濁る。
人外を相手取り、次々と猛攻を沈め、敵を切り刻むほどに、少年は痛感した。神の剣を握り締める。手に馴染んで仕方が無い、自身の宿命が生み出した黄金の一振り、振るえば振るうほど研ぎ澄まされる。
余計なものはいらない。自分自身に諭されるような、嫌な感覚。捨てろと言われるのは、——目を向けようとして、自我がそれを止めた。
「ギィオオアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
斥候の絶叫が一帯に轟くと、花弁の下より無数の触手が現れ、少年の小さな体を貫かんと迫る。執拗な攻撃の連続をひらりと避けて、むしろ少年はその触手の上を渡り、本体へと走った。
命の火花を散らす中、戦いに身を委ねる自身が色濃く表れる。剣と触手は激しく接触し、鍔迫り合いの音が小気味良く鳴る。そのうえで、自身に誓った誰かを守るという覚悟がノイズとなって、より判断を鈍らせる。
孤独。
英雄としての使命が更なる殺意を呼び起こし、より強固な力へと最適化を目指す。そこに自分が打ち立てた覚悟は全て異分子として排除されているようであった。
少年は恐怖した。大口はもう眼前にまで迫っている。いつでも葬れる。しかし、今の自分で終わらせたらどうなる。
そんな先の見えない展開を想像し、少年の動きが一拍止まった。
「隙、だらけえええええええええええええええ!! あぶないんだよおおおおおおおおおおお!!」
心配を装う嬉々とした奇声、視界でゆらぐうすら影。違和感に引き寄せられ、少年は顔を上げた。
斥候が居た。廃ビルで激戦を繰り広げた人並サイズの斥候だった。それが飛び掛かっては、伸縮自在の首を伸ばし、ズラリと揃えた鋭利な歯をむき出しに襲い来ていた。触手の表面から体を形成し這い出たのだ。
少年はほんの一瞬、思考停止した。血の気が引いていた。
問題は見た目ではない、数であった。
(——くそ)
数にして、およそ千。少年の目を通して見るなら、同じ姿をした化け物が視界を埋め尽くし、その全てが伸縮する首を使い、殺しに来ていた。
眉根を寄せ、少年は右手に持つ神の剣で薙ぎ払う。風圧は雑兵の多くを吹き飛ばした。しかし、
「捕まえたあっ」
打ち漏らした数体が少年の小さな体に次々と跨った。栄養のいきわたっていない細身に化け物の口が突き立てられ、ずぶりと柔肌が抉り取られる。アンジェリカが仕立てた白の防寒着も破られ、じわりと血がにじみ出る。
焼かれるような痛みに少年の視界が明滅する。叫び声を上げようにも喉も食われているのか声が出ない。ただ、痛みだけが濁流の如くなだれ込む。それでも、勝ち誇る化け物の笑みだけはくっきりと目に焼き付いた。
(死ぬ。このままでは――)
薄れゆく意識の中、少年の取った行動は。
(神の剣)
痛みを生み出す先へと、伸ばす一筋の閃光。刺す感触から内へと入り、最大出力で解き放つ。
斥候の群れは立てた歯を離すと、眼前で苦悶の表情を浮かべた。途端、口から光を天へと向けて吐き出した。身体の中で暴れる莫大な輝きは、肉壁によって眩い程度には削減された。しかし、熱量に耐えきれず最後には灰となって風に消えていった。
「癒しの神」
よろけながらも、ぼろぼろの体で立ち上がった少年は、虚ろな目で回復を詠唱。傷口はみるみる塞がり、無傷と遜色ない元の地肌を取り戻した。
死に損なった一体は、風化した体を這わせて、触手の表面へと潜り込もうとする。しかし、活気を取り戻した少年は首元を掴み、無理矢理触手から引きはがして、
「貴方が本体ですね?」
「――ぎいぃ、そんなことないかもよお。分身はいくらでも作り出せるから、ねっ」
言葉の通りに触手からは人並サイズの分身体がぞろぞろと現れた。しかし、どれも苦悶の表情を浮かべている。傍から見れば死に体にも見える。
「その言葉に嘘はなさそうですね。ですが」
ずぶり。
今度は少年が斥候の腹に神の剣を突き刺した。
体を震わせ、口から血を噴き出しながらも奇声を上げる斥候を、鼠の生態でも確かめるように無機質な瞳で観察する少年。その横で分身体は形をくずし、灰となって消えた。本体である巨大な花弁も土気色に色褪せていた。
これが斥候の本体なのか、そう思わせるような証拠が揃っていた。しかし、
「油断は禁物ですからね。いい加減学びました」
「ぐぅ、くしょっ、くしょおおおおおおおおっ」
少年は、言葉で神経を逆なでする裏で思考を巡らせていた。
気にしていたのは英雄の記憶の中にあった。当時の英雄が交戦したなら、確実に屠っている。しかし、この斥候は今もこうして生き永らえている。その事実が、敵に時間を与えていると知っても尚、判断を鈍らせる。
しかし、殺すわけにはいかない。この死にぞこないにも使い道はある。
少年はそう判断した。
「答えてください。他の斥候は何処にいますか」
「ひい、たすけて。ころさないで。しにたくない、しにたくない」
「それがお前が殺してきた人間の最期ですか。やはり斥候というのは趣味が悪い。さあ、答えを吐きなさい」
「あつい、あついよお」
突き刺した剣を引き抜きにかかる。ゆっくりと、刺し傷の痛みができるだけ長く続くように。
「いだい、いだいいだいいだいいだい!! やだあ、ねえ、どうなってるのこんなのおかしいよお。ばけもの、こわい!! たすけでぇ!! みんな、おかしくなっちゃったああああ!! みんなにげてえ!!」
「やはり、斥候というのは、味方の居場所を知らないのか?」
それなら、さっさと殺してしまうべきだ。
取り逃がして、アンジェリカに何かをされてはたまったものではない。
少年は、もう一度斥候の顔を覗く。目元からは血を垂れ流して、うわ言のように命乞いを繰り返す。その語彙が多ければ多いほど、その斥候は多くの命を奪ってきたことになる。
「時間は無い。早く合流しなければ」
少年は覚悟していた。もう二度と彼女に顔向けできなくとも。せめて、立てた誓いを果たすために、陰からアンジェリカの身を守るのだと。英雄の使命を果たすこと、彼女の命を守ること、この二つでしか自分の価値は生み出せないのだと。
少年は光の剣を強く握り締め、
「……これで、終わりです」
その言葉の締めを聞いて、斥候はにやりと笑った。




