第四十七話
「……あのう、キョウコさん」
「なあに?」
「その、よければ、娘さんのお名前を教えてもらうことってできますか?」
「娘の名前?」
きょとん、とした顔でキョウコさんが首をかしげる。
「その、本人に聞いてみたんですが、名前なんてないって言われまして。せっかくここまでしてもらって名前も知らずに行ってしまうのはちょっと、と思いまして」
「ああ、そういうことですね」
事情を正直に伝えると、キョウコさんは納得したようにぽん、と手を打つ。その後、隣の女の子に目を向けて、
「貴女はどうしたい?」
「お名前教えたいっ!! だって、おかあさん助けてくれたもん!! それに大変だったのに、あたしをここまで連れて来てくれたし!!」
「そっか。なら、自分で伝えなさい」
わかった!! と元気よく言って、女の子は前に出る。
「あたしの名前は、未来!! 改めてよろしくねえ、アンジェリカお姉ちゃん!!」
満面の笑みを浮かべるミライちゃん。そっかあ、ミライちゃんって言うんだなあ。
「……よかった」
「どうしたの? お姉ちゃん」
「よがっだよおおおおおおお!! ほんとに、ほんとによがっだあああああ!!」
「えっ、なんでお姉ちゃん泣いてるの?」
「だって、だってええええ。このまま仲良くなれずにさよならなんて、いやだったからあ。うわあああああん」
今までの苦しかったことが全部吹き飛んだ気分だ。
人前で泣くのが恥ずかしいとか、もうそんなものどうでもいい、こんなの喜ばなきゃ損だよ。
「ごめんねえ、お母さんから怪しい人には名前を言っちゃダメって言われてたんだあっ」
「謝ることじゃないよ。こんな危ない場所だもの、当然だよっ」
良かった。これで思い残すことは無くなったと思う。
「それにしたって、怖くなかった?」
「うん、最初はとても怖かった。おかあさん、たまに居なくなっちゃうから、探さなくっちゃって。でもね、お姉ちゃんが守ってくれたから、その後は怖くなかったよ」
そうは言ってくれるけどさ、親元から離れるって相当勇気いるよね。しかも旧都みたいな、いつ襲われてもおかしくない場所をひとりで探し歩くなんて。やっぱりひとりにさせないで良かった。
「あれ、ミライちゃんに助けられた時、わたしに襲い掛かって来た魔物って」
「その、私です。申し訳ございません」
「ええっ、大丈夫なんですか!?」
「この場に居る限りは問題ありません。絶海の湖を維持するには五年に一度市街に出向き、ある調整をする必要があるのですが、浄化された場でなければ、魔獣に至る病が発症して自我を失うのです。本能は買えないので役目は果たせるのですが、道中に出くわしてしまった場合は……こうなってしまいますね」
「えっ、魔獣化って病気なんですか!?」
旧都にいる人たちは、みんなそうなっていたよね。……ひょっとしてわたしたちも?
「その心配はありませんよ」
「あっ、その」
「魔獣に至る病は、この旧都を漂う瘴気のせいなのですが、現代の人類は耐性を持っている。少なくとも私達のように特殊な環境で常に身を置いていない限り、蔓延することはないでしょう」
顔に出ていたのかもしれない、気を使わせちゃったな。それにしても、魔獣になってしまうのが病気って、ちょっと信じられないよ。
「ええっと、一つ質問良いですか?」
「どうぞ」
「旧都の外にも魔獣が居て、怪鳥だったり、獣だったりいろんな種類もいるんですが、それは――」
「……それは、本当の話ですか?」
キョウコさんの声色が変わった。
さっきまで穏やかだったのに眉間にしわを寄せて、張り詰めた空気が場を満たす。
「どこでその事象を目撃したのです?」
「いや、その色んな場所で。私はコリアテ村っていう辺境から来たのですが、そこからエトアル街道を渡って、旧都に行き付くまでには何回も応戦していますね。あと、街道と旧都の間に掛けられた桟橋があるんですが、そこで水竜っていうとんでもなく大きな化け物が居て、襲われないよう目を合わせずにここまでやって来たんです」
「なんてこと……水竜が、ですか」
「知っているんです?」
「ええ、水竜はかつてカザリスに加護を与えた聖獣と呼ばれる存在。繁栄もすべては水竜が恩恵を与えたから、という伝承も存在します」
「でも、エウレル――えっと、英雄の子なのですが、彼が言うには魔獣になってしまったって」
そう言うと、キョウコさんは目を覆って、天を見上げた。
「本当の話ですか?」
「彼はそう言ってました。中には直接戦った英雄も居て、とんでもなく強かったって」
「……そうですか。もし、貴女の言うことが真実であるなら、事態は一刻を争うかもしれないですね」
「おかあさん、何かあったの?」
「ええ、ちょっと困ったことがあってね……」
何か、とんでもないことに巻き込まれようとしている?
そりゃあ、エウレルを守る為に斥候とだって戦う気でいるけど。でも、なんかキョウコさんの話を聞く限り、そんな次元じゃなさそうだ。いっそ悪寒が走るような何かと強制的に向き合わされているような、そんな恐ろしさ。
その証明、にはならないかもだけど、キョウコさんは目を瞑って何かを考える素振りをしてから黙り込んで動かない。少なくとも余裕はなさそうだ、わたしはわたしで言えることも無いので、沈黙が終わるのを待つしかない。
「えっと、大丈夫です? わたしじゃあとても出来ないような何かが待ち構えている、とかですか?」
「というより、おそらくこれは貴女にしかできない。私の推測になってしまいますが」
わたしにしか、できない? どういうこと?
「……背に腹は代えられません、か」
何かを悟ったかのようにキョウコさんは少しだけ沈んだ顔をした後、すぐにキリッとした表情に切り替わった。
「アンジェリカさん。私にこのようなことを頼める道理はないのですが、どうしても貴女に託さなければならないものが出来てしまいました」




