第四十四話
わたしの名前を知っている……?
思わず女の子に目を向けると、ふふんと笑って自慢げに胸を張って見せた。だめだ話に付いていけてない、何がどうなってるの?
「説明足らずで申し訳ございません。まず名乗らなければならないですよね。私はこの『絶界の湖』を守護している、名を京子と申します」
「キョウコ……さん? わたしはアンジェリカって言います。よろしくお願いいたします」
聞いたことのない名前だ、とりあえず頭を下げておく。
キョウコと名乗る女性は、凛とした声で「ご丁寧に、ありがとうございます」と言うと、わたしの顔をみて困ったように笑ってみせた。
「色々とお聞きしたいことがあるかと思いますが、ひとまず腰掛けてお話しませんか? 長旅でお疲れでしょうし」
「……ありがとうございます。でも良いのでしょうか? その……わたしは旅人なので、あまりきれいな身なりをしていないのですが」
落ち着けたからか急に恥ずかしくなってきた。長旅だったし、そりゃあ休む時は汗を拭き取るとか服の汚れを落とすくらいはしてきたけどさ。やっぱり気になってしまう。汚れがついていないか、匂いがきつくないか。あとは、やっぱり匂いがきつくないか。うん、すごく気になる。
きれいな人を前にしてるからっていうのもあるんだろうな。何かものすごくこの場にいるのが申し訳なくなってきた。
つい体が一歩引こうとしたその時、キョウコさんはやわらかく笑って、
「何の問題もありません。遠慮なくお座りください」
「おはなし、しようよ!!」
キョウコさんは屋根下の椅子を手差しして、どうぞと言った。うう、ここで断るのもさすがに気が引ける。仕方ない、浅く座ってあとできれいにしよう。
おそるおそる用意された席に腰かけた。キョウコさんと向かい合う形だ。一方、女の子はキョウコさんの隣に座って、
「おかあさん!! もう、探したんだからね!!」
「ごめんね。心配かけちゃって」
「あんまり外に出ちゃだめだよっ。あぶないんだからね」
「そうね、ありがとうね」
キョウコさんは女の子の頭をやさしく撫でた。うれしそうに顔をすりすりしている。なんだろう、ほっこりするなあ。
お母さんが生きていたらこんな時間もあったんだろうか。物心ついた時にはもう亡くなっていたんだよね。その話をしてくれたお父さんが沈んでいたのを思い出す。
「でも、お元気そうでよかったです。その、キョウコさんのことをずっと探していたので」
「……そうですね」
神妙な顔をするとキョウコさんは立ち上がって、その場に膝を付いて深々と頭を下げた。
「この度はご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません。この子に付き添ってくれたのですよね? 本当にありがとうございます」
「いやいやいや、頭上げてください。そんなにまでしなくても……」
「私にとっては命の恩人も同然。この危険な旧都を子連れで渡り歩くのはさぞ大変だったことでしょう。どうか、どうかお礼をさせてはいただけないでしょうか」
お礼って……でも、自分の子が危ない目にあってて誰かに助けられたって考えたらこうなるのは当たり前だよね。とはいえ、気まずいものは気まずい。
「ええっと、そうだな……じゃあ、おねがいするのでお座りいただけませんか。ちょっと色々と教えてもらいたいこともあるので」
「……わかりました。私でよければなんなりと申しつけください」
そう言うと再び立ち上がり、向かいの席へと座り直す。なんかもう所作の一つ一つにきれいさを感じる。こんな状況じゃなかったら見とれてたかも……いけない。こうしている間もエウレルとはぐれているんだ。早く見つけ出さないと。
「……その、仲間を探しているんです」
「それは、英雄の命を背負った少年のことですね?」
「知ってるんですか!?」
「ええ。この場に居る限りですが、私は旧都で起きた出来事は全て把握しております」
「じゃ、じゃあエウレルは……」
早く見つけないと。いくらエウレルとはいえ、こんな危ない場所でひとりは――
「魔王の手先——斥候と戦っているようです」
「斥候!? なんでっ」
「英雄の宿命でしょう。彼は見えない敵を相手に、常に命の危機に晒されている」
「そんな……」
斥候ってあいつのことだよね。大きな体をした、あの目が赤く染まった……だめだ、思い出しただけで気分が悪くなる。また、あんな恐ろしいやつと戦っているっているってこと?
「い、行かなきゃ……」
荷物をまとめて先を急ぐ。その前に腕を掴まれた。キョウコさんが止めていた。
「いけません」
「どうして!?」
「行ってどうなるというのです。相手は英雄を討つために魔王が放った刺客。その様子だと、その恐ろしさは存分に思い知らされたのではないですか?」
そうまで言われて、ようやく自分の手が震えていることに気付く。でも、行かないとエウレルが危ない。こんなの放っておけるわけが――
「貴女は私の恩人です。みすみす死地に行かせるわけにはいかない」
「でも、エウレルがっ」
「どうか、どうかお改めを」
キョウコさんはじっとわたしを見据えて離さない。絶対に通さない、無言の訴えが痛いほどに突き刺さる。
でも、引くわけにはいかなかった。わたしにだって大事な旅があるんだ。約束があるんだ。厚意を無碍にするのは嫌だけど、それだけはダメなんだ。
「このままだとエウレルはひとりぼっちになってしまうっ」
あの子の味方はわたしだけなんだ。だから、
「この旧都を、死の淵へと変えたのが魔王だと知ってもですか」




