第四十二話
2026/11/02 アンジェリカのローブ色を灰→黒に変更しました。
◇◇◇
「これで、良かったんだ」
廃ビルの群れの一角、高層階の割れた窓の縁に足をかけながら、少年——エウレルはひとりごちた。
味方は居ない。否、先ほど失った。理由は明白だった、相談もなしに単独で動いたから。
少年は覚悟をしていた、嫌われる覚悟を。しかし、少年は知らなかった。その選択がどれだけの傷を負わせてしまうかを。大切な人が傷心して自棄になってしまうとは思いもしなかったのである。
そして、その覚悟自体がアンジェリカが最も心を痛めるものだと知らずに、悪癖から間違いを犯す。ひとり彼が見据える先は、別れたふたりの人影だった。
片方はぼろ切れのような衣服を着た小さな少女。遠目から見ても二つに結った黒髪が痛んだ気配はなく、服装を除けばみすぼらしさや生活の乱れは感じられない。
そして、少女の体にはうっすらと火傷のような跡が見え隠れする。自身が放った、光の剣によるものだった。
「……守らないと。でも」
問題は、もうひとりについてだった。
少年はその人物を直視することができずに、すぐに表情が沈んでいった。
黒色のローブを身にまとった黒い長髪の女性。彼女の顔には疲れが見えていた。
その理由を少年は知っている。
「ぼくのせいだ。ぼくなんかが、出しゃばったから」
ついさっきまで、少年は彼女と共に旅をしていた。彼女はわが身を顧みず、魔族の斥候を相手に少年を逃がそうとする大立ち回りをして見せた。そして、大きな怪我を負い、少年の持つ過酷な運命に振り回されたというのに、名前までくれたうえ、一緒に旅をしようと手を取ってくれた。
その他人に向けるにはあまりに眩しすぎるやさしさが、少年に取って唯一の心の拠り所であり、守らなければいけない光だった。だから少年は彼女の手を取った。彼女の旅を見守り、己の宿命に終止符を打つのだと心に決めた。
その拠り所を自分の手で曇らせ、失ってしまった。その罪悪感が胸の中でぐるぐると渦巻き、かつてやめるように促された自己否定が漏れ出る。
「それでもアンジェリカさんは、ぼくが守る。そうしなきゃ、ぼくの生きている意味なんて無いんだ。だって、ぼくは――」
英雄としての責務。彼女との約束。それさえ果たせればどうでも良かった。周りがどうなろうと、自分がどうなろうと。少年は本気でそう思っていた。
「まずは、あの魔獣とアンジェリカさんを分断させる。口車に乗せられている可能性も考慮して」
「――人の生活を盗み見って良くないと思うなあ」
後方からねっとりとした若い男の声がこびりつく。生理的嫌悪感を抱きながらも、少年は不快の正体を目で追う。内扉の隙間から漏れだしたちいさな光に行きつくと、ぎょろついた目がこちらを凝視していた。
ゆっくりと扉が開いた。姿を現すと、声の主は羽織を着ていた。少年は身構える。確信していた。十五メートル程離れた位置でも一目で判断が付く、あれは斥候なのだと。
斥候は人が歩くような素振りをして、袴から伸びた二本の触手で、一歩、また一歩と少年へ迫る。
着用する羽織からも五本の指が付いた手ではなく、半透明の白い触手らしきものが波打ちながら伸びている。宿敵を彷彿させるには十分すぎる異形であった。
「やあ、英雄」
「斥候、ですか」
「お会いできてうれしいよ。でも、寂しそうだねえ?」
「……何が言いたいんですか」
能面でも被ったかのような無表情から、おぼろげで、しかし刀身のように鋭い赤の眼光。気遣いにも取れる言葉とは裏腹に、そこからにじみ出る殺気は並みの戦士を容易にひれ伏させるほどの圧を放っている。
しかし、少年の表情に恐怖の色は無い。むしろ、水面のように研ぎ澄まされていた。
「あの子たち、仲良さそうだねえ。お友達?」
「知らない人です」
「お友達とはぐれちゃったんだねえ。どおしてなんだろうねえ、けんかでもしちゃったかなあ」
「手を出したら殺します」
「なかよしが一番だと思うよお。取り持ってあげよっかあ?」
「手を出さなければ、お前の仲間を見逃します。手を出せば皆殺しにします」
「物騒な言葉を使うなあ、今回の英雄さんは。よくないよお、若いのにそんな危ないことしちゃあ」
「問題ありません。若くして散る予定ですので」
「そんなかなしいこと言っちゃいけないよお。しくしく」
軽口こそ叩きあうが、殺伐とした空気は火種を求め、より一層張り詰める。
互いの視線が交錯し、少年の手がぴくりと動いたその時、
「だから、お友達といっしょにお空に連れて行ってあげようねえええええええ!!」
斥候の首が伸びた。目にも止まらぬ速さで距離を詰める。開かれた口が少年目掛けて突っ込むと、少年は涼しい顔で横に避け、すぐさま黄金色の光を生み出し、右手へと集約。光は剣の形を成すと、少年はそれを伸びた首目掛けて縦に振り下ろした。
が、するりと太刀筋は避けられ、伸縮自在の首は部屋中を駆け回り、数々の支柱に纏わり付いた。
「暴れるのはよくないよお。この柱、壊すとすぐにこの建物崩れちゃうからねえ」
「それは困りますね」
「いーっぱい人が死んじゃうよお。ほんとうにそれでいいのお、英雄なんでしょお」
「……デタラメを」
少年は腰を落とし、居合の構えを取る。寝かせた光の切っ先がゆらめく。斥候はその軌道にならって顔をぐねぐねと揺らす。ぎっと光を睨みつけ、次の挙動を待っているようだった。
見に徹する斥候を前に、少年は唱えた。
「神の剣」
居合の構えのままに。
閃光は解き放たれ、瞬く間に廃ビルの一室を覆った。眩しさから斥候は目を逸らす。隙を見た少年は低姿勢で斥候に接近。そのまま何度も切りつけ、最後には首を撥ねた。
ごとり、と落ちた首は床に転がる。その目は相変わらず少年をぎろりと睨みつけていた。気味が悪いとその場を去ろうとした。
「……終わっていない、と」
去る前に、止められた。
立ちふさがるのは、先ほど首を落としたはずの斥候の触手。わらわらと姿を増やすと、柱の隙間を縫いながら風を切るような速度で五月雨に迫り、次々と地面を貫通。喰らえば即死の一撃ばかり。並の人間であれば当然死んでいる。しかし、少年は最小限の動作で身を引き、翻し、かがみ、避け続ける。
(攻め手が欲しい。しかし、触手が邪魔ですね)
次の手を仕掛けようと策を練る。が、矢継ぎ早に襲い来る連撃が止まる気配はない。その間に斥候は落ちた顔面を首に接着させ、がっぱりと開けた口が迫る。
「――ッ」
空を噛んだ、通り過ぎたのは少年の真横だった。頬からうっすらと血が垂れる。触手より遅いので避けられた、だが無警戒ではいられない。接触した柱の表面はくり抜かれ、歯型と思しき跡がくっきりと付いていたのを、少年は見逃していなかった。
「……しつこいな。しかも、ぼくの剣で切れないなんて」
少年はいたって冷静であった。先ほどまで見せていた年相応な伏目の名残はなく、ただただ冷徹な目で敵を調べ上げる。いくつかの仮説を頭の中で回し、次の動向を探る。
そして少年は、この場における自身の順応の速さに、内心うんざりしていた。指で数える程度の接敵経験しか持ち合わせていないのに、このわずかなやり取りで敵の距離感や行動パターンの多くを掴めていたのだ。
使命の為に生かされている。皮肉にもその仮説を自分自身が証明していた。




