第四十一話
ぼろ切れみたいな服を纏って、二つに結った不自然にきれいな黒髪。良い生活をしているようには見えない、エウレルとは違う小さな背中。
頼っていいわけがない。背負わせちゃいけない重荷なんだよ。それなのに、なんで。
「おかしいよ。ねえ、なんでみんなそんなに強くいられるの? あんなにしんどいことがたくさんあったのに。わたし、わからないよ」
「……こっちのセリフだもん」
「えっ」
「みんなさ、ほんとうはとーってもつらいのに、がまんしていたんでしょ? あたしのために」
「それは……ちがうよ。これは、わたしが決めたことだから」
これは全部わたしのせいなんだ。甘いから、未熟だから。それだけ――
「お姉ちゃんが決めたことは、全部お姉ちゃんがどうにかしないといけないことなの?」
「そうだよ」
……それが大人としての責任だから。
「それっておかしくない?」
そんな矜持はあっさりと切り捨てられた。堂々と言い切る背中に目が逸らせない、思わず息を呑んだ。
「本当にそうなんだったら、何かを決めるなんてしない方がいいじゃん」
「それは……でも、そうしないと前には進めないから」
小さな背中は語る。
「あたし、何もしてないけど毎日つらいもん。ひとりってさ、さびしいんだよ。隣に誰かいてもさ、誰も見向きもしないでいなくなっちゃうの。目も合わせてくれない。声もかけてくれない。振り向いてもくれない」
つらい、つらい毎日だったのだろう。
「それを助けてくれた人が、どうしてつらい思いなんてしないといけないの?」
何も言えなかった。わたしには、質問の答えを持ち合わせていなかった。
しかし、目の前の女の子は、堂々と背中で語った。
「あたし、お姉ちゃんに声かけたこと後悔してない。悪いかな、って思っても、悪いことだと思ったことは一度もない!! お姉ちゃんはさ、あたしに話かけたこと……その、ずっと後悔しているの?」
思い出す、この子の声に耳を傾けたときのこと。
言われるがままに路地裏を突っ切って、本当なら真っ直ぐ進むべきだった道からそれてしまったのが、事の始まり。
言われたことを守れなかった、のはその通りだと思う。運が良かったのかもしれない。けど、結果的にエウレルは元気になったし、その間に雨風だってしのげた。新しい冒険記だって読ませてもらったし、はじめてエウレル以外の人とお話できた。
わたしだってずっと寂しかった。誰かに見つかってほしくて。誰かと言葉を交わしたくて。ひとりになりたくなくて。
「そっか」
そんな毎日にわたしは後悔した? 旅なんて始めなければよかったって、心の底からそう思った?
答えは、決まっている。
「ううん、していない。後悔なんて、これっぽっちもないよ」
辛いものばかり見せられて、ほんとうにだいじなものを見失っていた。この世界はあまりに過酷だから、自分を守るので必死すぎたんだ。
ようやく霧が晴れた気がした。
「ほんと!?」
「うん」
「よかったあ!! やっぱりさ、いっしょにいるのにお話しないなんてさびしいよ」
「……そっか、そうだね」
そうか。わたしたち、話をしているようでしていなかったんだな。
この子のこと、知っているようで知らなかった。かわいそうな子って勝手に決めつけて、守らなきゃって思い込んでた。でも、本当はわたしなんかよりもずっと強くて、ちゃんと寂しさと向き合ってきたのかもしれない。
「ねえ、ちょっとさ。聞いても良い?」
「いいよ!!」
「ここまで来るのに……その、すごく大変だったと思うんだ。それでもさ、途中でやめようって思わなかったの?」
「それは思ったよ。やっぱり、みんなたいへんそうだったし、悪いことしちゃったなって」
「悪いこと?」
「うん。あんな風に人が化けものになっておそいかかってくるなんて、見たこともなかったんだ。あたしの時は何を言っても返事が来なかったから……そういうものなんだろうって思ってたの」
……これはもう、答えを言われたようなものだと思う。それでも怖いとは思わなかった。
わたしは今、この子と話が出来ている。顔を合わせることは出来なくても、言葉はちゃんと通じあっている。
「ごめんね。むしろ、危ないことに巻き込んでしまったんだね」
「ううん。確かに怖かったけど、あまり心配してなかったんだあ」
「……どうして?」
「だって、お姉ちゃんたちが守ってくれたから」
どうして。
「やさしいお姉ちゃんたちが元気じゃないなんて、そんなのいや!! ぜったい、ぜーーーーったい、いやなんだもん!! だから、元気になるまであたしが元気になるのっ。だから……」
どうしてこういう時に人の顔が見れないんだろう。
――いいや、そうじゃない。今考えるべきことは出来ないことを悲しむことじゃない。言葉だけじゃなくて、もっと他にあったはずだ。気持ちを伝える方法が。
人の顔を見るだけが全てじゃない、本当に大切なことは。
「ありがとうね」
そう言って、後ろからそっと抱きしめた。
「お姉ちゃん?」
「元気になったよ。ごめんね、ちょっと悲しくなっちゃって」
「もう、大丈夫なの?」
「うん。もう、歩けるよ」
腕を解いてその場で立ち上がる。さっきまでもう動けないと思っていたのに、心なしか体が軽くなった気がする。
「こんなところで、止まっちゃだめだよ。ぜったい、後悔するよ」
「そうだね。ちゃんと、エウレルとも話をするよ」
「そうしよ!! きっと話せばわかるから」
「ちゃんとお母さんも見つけようね」
「うんっ、うんっ!!」
転んだら休んでもいい。分かり合えなかったら話せばいい。わかったような気にならないで、ちゃんと向き合うんだ。
そうやって先を歩いていると、ついに陸橋の最後が見えてきた。現れたのは相変わらず廃墟と化した街並み。高く伸びた建物にはガラス窓が相変わらずたくさんで、表面がはがれて中がむき出しなものも少なくなかった。地面も変に盛り上がっているせいか、亀裂が走っている。傾いた鉄柱もたくさんあった。
中に入れば、行き倒れた人もきっとたくさんいるんだろう。その人たちはやはり魔獣で、きっとまた胸が苦しくなるんだろう。
それでも、
「エウレル、ごめんね」
われ先に突っ走るのが玉に瑕だけど、大切な仲間だから。
ちゃんと謝ろう。そして、ちゃんと迎えに行く。




