第三十八話
「エウレル」
「どうしました?」
わたしたちだけが取り残された部屋で、おそらく旧都では最後になるであろう就寝。暗闇に向けて声を掛けると、気づいてくれたエウレルは小さな声で返事をくれた。
「ごめんね、無茶言って」
「……本当ですよ。どうするんです? あの子、お家に帰さないと危ないですよ」
その通り過ぎた。勢いで言うものじゃないな、と反省。
「でも、連れていくよ」
付いたわがままは最後まで通す。たとえそれが、叶いっこないどんなにバカげた空想であったとしても。
「止める気は、ないんですね?」
「うん」
覚悟を決めた時、すべてが吹っ切れる物だと思っていた。でも、実際はそんなことはない。外に漏れているんじゃないかってくらい、心臓がうるさく跳ねて仕方が無い。しかも及び腰なものだから、今すぐにでも気のせいだって言い直したいくらいだ。
「お願いがあるの」
「聞かせてもらえますか」
「ありがとう。あの子のおかあさんはきっと、魔獣なんだと思う」
「ぼくもそう思います」
「あの子さ、おかあさんがどこに行ったのかわかるんだって。しかもさ、その場所は旧都の出口に近いんだって」
「信じるのですか?」
「信じるよ」
「……ぼくは、無謀だと思います」
きっと、この子はわたしの思いをくみ取ってくれている。そうだ、わたしは否定してほしかった。このどうしようもなく希望で満ちあふれた、嘘みたいな理想を。
「もし、全部嘘だったらどうするんですか?」
「逃げるよ。追いつけやしないくらい、全力で」
熱にほだされていないか。無理難題を出来ると思いあがっていないか。
よかった、まだ疑えている。信じ切れていない。だからこそ、言える。
「……殺して、先に進んだほうが安全だと思います」
「そうだね」
「ぼくがやりましょうか。いずれ、ぼくは旅を続けて、多くの魔獣を倒します。敵の一匹や二匹くらい、いくらでも――」
「だめ」
「何故です」
「わたしはね、信じているんだ」
「……何をです?」
「いつか、ここに住む人たちが目を合わせて暮らせる。そんな世界」
絵空事みたいな夢にエウレルは何も言わなかった。否定されなかっただけでもありがたい話だ。舞い上がって喋ってると思われてるかもしれない。でも、それでいい。
「うんざりしてるんだ。やりたいことを見つけたら、いちいち辛い思いの準備させられて」
もっとさ、好きに生きていいじゃない。なんのしがらみもなく、いろんなところに行って、誰かに会いに行ってさ。二度と会えないかも、帰れないかも。なんて、そんな悲しい思いは抱えずにさ。
「魔王とか、英雄とか。魔獣もそうだ。そんなもの、ぜんぶ無くなっちゃえ。怖いものなんて無くなっちゃえ。危ないものなんて無くなっちゃえ」
「……アンジェリカさん」
わたしの見たい空は、辛くて見上げるものじゃない。楽しくて、思わず見上げちゃうものだ。
◇◇◇
身支度は整えた。
ローブも着直して、鞄もちゃんと背負った。エウレルも準備万端。
「準備、できたかな?」
「はい、アンジェリカさん」
「うん!!」
「場所まで、案内してくれるよね?」
「もちろん!!」
凛々しく受け答える少年と、活気に満ちあふれた少女の声を背に、わたしは部屋の扉を開けた。
ざあざあと打ち付ける雨だ。相変わらずほとんど見えない視界の先を、建物との隙間を縫うように歩を進める。
引き受けたお願いから翌日。魔法の調整、旅の準備を終えたわたしたちは、ついに旧都脱出の旅に出た。
「ローブ、離さないようにしてね。はぐれたら探せなくなっちゃうから」
「わかった!!」
快活に答える女の子に、つい口がほころぶ。そして、向かう先を見据えて、もう一度気を引き締める。
「エウレル」
「はい」
「気配はどうかな。近くにいる?」
「ええ、前方に数体。真っ直ぐ進めば接触します」
「わかった。じゃあ、一旦止まって。しっかり捕まっててね――風を纏え」
わたしの詠唱に応じて、三人を取り囲むように風が吹きあがる。加速しろは接敵してからだ。強めすぎると視界を遮ってしまう、それだと本末転倒だし。
「よし、出来た。行こう」
掛け声に合わせて、三人の足音が路地裏の中でこだまする。しばらく進むと、少し開けた空き地にたどり着いた。心なしか光が差している気がする。だが、喜べる状況ではなかった。
うなだれるように散らばって地べたに座り込む人たち。五、六名だろうか。表情も見えず、髪がだらりと落ちて地面だけを見つめていた。
「いる?」
「……はい、全員です」
そっか。
「おかあさんは、いるかな?」
「ううん、いないよ。このまま真っ直ぐ進んで」
「わかった。誰かと目を合わせないようにしてね」
「うん!!」
「わかりました」
二人の返事を聞いて、先に進む。目を合わせないように、かといって無警戒にならないように。とんでもなく神経を使うな、ずっと続くと思うと先が思いやられる。
でも、やる。
内に誓った思いを糧に、わたしたちは道なりに進む。
空き地を抜けると迷路のような道がまた始まって、歩くにつれてまた薄暗くなってきた。進めば進むほど見えなくなって、似たような景色ばかりが延々と続く。光が届きずらいせいで本当に先に進んでいるのかわからない。焦らないよう自分に言い聞かせつつも、今すぐにでもこの迷路を抜け出したいのは変わらなかった。
「ねえ。外に出たいんだけどさ。もう少しかかりそう?」
女の子に尋ねた。
「うん……まだ、遠いと思う」
「わたしたちが来た時はこんなにかからなかったと思うけど」
自分でも言葉がきつくなっているのがわかる。余裕なくし過ぎだ。
「ごめんね。でも、こっちの道の方がずっと安全だから」
「そうなの?」
「大通りはあぶないんだ。渡ろうとした人たちはいっぱいいたけど」
「いたけど?」
「みんな、いなくなっちゃった」
「英雄は貴女の言うところの大通りを移動経路にしているとお聞きしましたが……」
「英雄さまくらいつよければ、へっちゃらだと思うよ。でも……」
「でも?」
女の子はそこで言い淀んだ。しかし、吐き捨てるようにハッキリと口にした。
「そんな人いるわけないもん。いたら、こんなつらい思いしてないよ」
何も言えなかった。
それきり、三人は無言のまま歩き続けてきた。心なしか、また光が差して視界が開け始める。
「もうすぐだよ」
女の子はぽつりとつぶやいた。そして、眩しいくらいに景色が輝きを取り戻す。
目の前に広がるのは、ただただ長くて、大きな陸橋だった。
「……見たことある? エウレル」
「いいえ……初めてです」
そして、橋から見下ろして現れたのは、延々と広がる灰色の地表。中心を十字に伸びた白い縞々が陣取って、辺りにはガラス張りの表面がごっそりとはぎ取られたような残骸が見られた。地面もめくれ上がって、亀裂はどこまでも遠く続いている。鉄柱らしきものもなぎ倒されていた。
そんな地獄のような場所で、雨に打たれて死んだように横たわる住人たち。
そして、そんな光景を見たからか、女の子は横でぽつりとつぶやいた。
「みんな、こうなっちゃうんだ。だれも喋らない、だれも見てくれない。みんな、みんなおかしくなっちゃったんだ」




