第三十六話
「おはようございます」
「うん、おはよう」
頭を上げて、眠たげに目をこするわたしを、エウレルは笑顔で出迎えてくれた。われながらワザとらしい演技だな。
「早速なんだけどさ、明日出発しようと思う」
「ぼくは今日でも……」
「それは流石にね。ぶりかえしたら大変だし、今日は安静にしよう」
そう言うとエウレルはしゅんとした様子で、「すみません」と謝られた。
気にしなくていいんだけどね。でも、わたしが同じ立場だったら間違いなく気にするので、深くは言わないことにする。
「その代わりといってはなんだけど、色々と教えて欲しいことがあるんだ」
「教えて欲しいこと?」
「うん。エウレルって、魔獣の気配探れるんでしょ?」
「……そういうことですか。でも、これは魔法を使ってるわけじゃないんですよね」
「そうなの?」
「はい。どちらかと言うと、気を張るに近いかもしれません」
気を張る? えっと、辺りを注意深く観察するとか、そういう話?
「ちょっと、ごめんだけどもうすこし詳しく聞いても良い?」
「すみません。ちょっとこれは感覚に近いのですが。ぼくは気を張り巡らせることで、周囲の気配を察知することが出来ます」
「気を張り巡らせる?」
「はい。自分の周囲をおよそ五メートルくらいだと仮定して、その中に何か不穏なものが混じった時は反応する。そのような形でしょうか」
頭ががくんと落ちるのがわかる。それが分かれば苦労はしないんですっ、とツッコんでやりたいところだけど、
「何か変なこと言いましたかね?」
「……ううん、大丈夫だよ。ありがとう」
あまりにも真面目な顔をするものだから、それは流石に悪いなと気が引けた。
それにエウレルが言うように、広い範囲で敵の気配がわかって、あらかじめ予測ができるのだとしたら、旅を進めるのがとても楽になりそうだ。
「ちなみに、不穏なものっていうのは、どういった感じなのかな?」
「そうですね……なんというか、チクッって刺されると言いますか」
「チクって刺される?」
「はい。自分の感覚を広く伸ばすんです。その感覚の中に何かが入り込んで、それがチクって来た時、それが魔獣だった……やっぱ、おかしいですよね」
苦笑いしておどけて見せるエウレル。でも、それって魔獣かどうかまでわかるってことだよね。
「ちょっと聞いていい?」
「はい」
「魔獣の時、チクッてするって言ってたじゃん。じゃあ、その広げた感覚の中に魔獣じゃないもの……例えば人が入って来た時とかは、どんな感覚なの?」
そう尋ねると、エウレルはうんうんと唸りながら、
「なんというんでしょうか。チクッとはしないんですが、あ、居るなって感覚になります。空気が少し変わったな、ちょっと熱っぽくなったなというか」
「それって、人がいっぱいいるところだと、やっぱり居づらかったりするの?」
「それはありますね。好き好んで人の多い場所は寄り付かないかもしれません」
魔法ではないけど、誰かが居るかを見なくてもわかる。そんな感覚。
正直想像も付かないけど、もしもこれが魔法で実現できたら――
「ちょっとさ、お願いがあるんだけど」
◇◇◇
「ほ、ほんとにやるんですか?」
「もちろん。……ひょっとしなくても、うまくいかないって思っているでしょ」
「そ、そんなことは、ないとおもいます。おそらく、ハイ」
そこまでわかりやすいと、さすがにへこむよ。言わないけど。
さて、今回の挑戦は、英雄のもの凄い肌感覚をごく普通の村娘でも再現できるのかチャレンジ。
エウレルの目がこの上なくざっぷんざっぷん泳ぎ回ってるけど、気にしてはいけない。たしかに人の家でやることではない。流石にそこはわかっている。でも、外に出るわけにもいかないんだ。壊れそうなものは自分たちのだけだから、どうか許してと願いつつ、詠唱を唱える。
「風を作れ」
手のひらに小さなつむじ風を生み出して、
「風を纏え」
次の詠唱で体の周りに纏わせる。……うん、涼しい。じゃ、ないんだよなあ。
がっくしと肩を落としたところで魔法は霧散。何かひらめけそうだったんだけど、これじゃない感が頭の中でモコモコと積もっていく。
「どうだった?」
「どうだった……と、言われましても。いや、まさかこんな魔法の使い方初めて見たと言いますか」
「えっ、何か変わったことしたかな?」
「だって魔法で風を作った後に、それを魔法で風を纏わせるなんて……ちょっと、初めてみました。そんなことできるんですね」
へえ、エウレルでも知らないことってあるんだなあ。何かものすごく気分が良くなってきたかもしれない。
「いやさあ、エウレルが言ってた空気が少し変わった、って感覚あるじゃない?
あれを再現したくてね」
「ま、魔法でですか?」
「うん」
そんな仰天しなくても。死活問題なんだからね、こっちだって。
「それはちょっと難しいのではないかと」
「えっ、やっぱり難しいの?」
「はい、流石に。だって、それって感覚を広げるってことですよね?」
「まあ、感覚に頼る以外にも、とりあえず敵の気配に気付ければいいんだけど」
「うーん、そんな魔法は聞いたことがないですね……」
「昔の英雄さんとかって、似たような悩み持ってなかったのかな?」
「少なくともそのような記憶は見たことがない。おそらくぼくと同じように感覚が優れていたのかもしれないです」
くっそお、何かヒントでももらえればと思ったけど。
それは流石に難しいか。でも、英雄の誰もがそんな魔法は使ってこなかったってことか。
ん?
「じゃあ、色んなところで気配が見つかった時ってどうしてたんだろう?」
「それは、まあ基本的にはそう言った場所には寄らないことですね」
「もし、どうしようもない状況で囲まれた時は?」
「基本的には倒す。処理が間に合わない時はありますが、そこは甘んじて受ける。耐えて、敵がいなくなるまで倒し続ける、のようなイメージですね」
「えっ、噛まれたりしないの? 牙とか刺さったら大変じゃ」
「ああ、それなら大丈夫です。英雄の使命を与えられた者は特別な力を手に入れます。その力のおかげか、魔獣に襲われた程度では怪我にはつながらないですね。大量だと話は変わってきますが」
それ、凄いな。魔獣の攻撃殆ど効かないってことだよね。噛まれても跳ね返すみたいな感じだろうか。それ、凄いな――
「あ」
「どうしました?」
「ちょっと、ひらめいたかも」
跳ね返す……ことは無理でも、やってきた攻撃をはじくことは出来るのでは?
思いついたままに、詠唱を唱える。
「風を纏え」
さっきの詠唱で、風を纏うイメージが付いたから、一部を端折ることに成功。この状態で纏った風に意識を向けながら、
「加速しろ」
すると、体を覆う風は威力を増し、密室に突風をまき散らした。床に置いた荷物は吹き飛ばされて散乱。それからすぐ、視界は風に覆われて見えなくなってしまった。
……これ、ちょっとマズかったりする? でも、凄くチャンスな気がする!!
「エウレル、何でもいいからこの風に物入れてもらえる!?」
「……この突風にですか? 道ばた――しか――ですが」
エウレルの声がちっさい。風のせいか、びゅうびゅううるさいもんな。でも、それだけ強い風が纏えてるなら、
「なんでもいいから、おねがい!!」
敵の攻撃がはじけるかもしれない!!
その瞬間、ガシャン。と鈍い音がうるさく響いた。背筋が凍る。慌てて魔法を解いて辺りを見回した。やはりというか、床には鞄の中身があちこちにばら撒かれていた。そして、壁にぶつかったのだろうか。何か硬くてゴツゴツした破片が床の上で散らばっていた。
「やっちゃった……?」
気分が良くなりすぎた。……エウレル、ひょっとしなくても怒ってるよね?
おそるおそる顔を覗いてみる。そんなわたしに気付いたエウレルは、わなわなと体を震わせて、
「すごいです。すごいですよ、アンジェリカさん!!」




