第三十五話
おそらく皆が寝静まったころ、眠れなかったわたしは冒険記を読みふけっていた。明かりは部屋に備え付けの『すいっち』というもので付けたり消したりできるらしい。
女の子はそういって、壁から飛び出た突起物を押すとぷつんと消えた。だから今はほとんど暗闇も同然で、炎の魔法で付けた明かりを頼りに本を読んでいる。
小さな火は蝋の上でゆらゆらと揺れる。燃えさかる炎ではない。それでも気は使った。間違ってしまえば、この部屋もあの火の海に変わってしまうかもしれないから。
「……ちょっと寒いな」
窓のない部屋なので、外がどうなっているかはわからない。雨音だけが延々と続くものだから、言葉にできない不安が駆り立てられる。
扉の隙間から外の様子を確かめよう。そう思って扉の取ってに何度か手を掛けようとしたが、結局止めた。
「姿を隠せ、使えばいいのにね」
そうひとりごちてみたが、気乗りはしなかった。エウレルを放っておけなかった。のだと思う。自分のことながら、いまいち整理が付いていない。
「やっぱ、生きるのって大変だ」
先のことを考える。なんて、村に住んでた時は考えなかった。
きっとお父さんが全部やってくれていたんだと思う。わたしは家事手伝いはしてたけど、今にして思えばそんなもの支えの一つにもならない。
それなのに、お父さんは笑ってありがとうって言ってくれた。
「どうしてなんだろう」
教えて、と縋ってもお父さんは来てくれない。そんなものわかり切った話だ。
そして、その当たり前を知るまでに十八年も掛かってしまった。バカだなあ、と反省しつつ、現実に戻る。
旧都を越えた先には、トウオウ山という大きな山岳地帯があるらしい。豪雪が舞い続け、冒険記の上巻を思い出す限りだと、特に吹雪が厄介なのだという。視界を遮って、住み着いた魔獣と戦ったりするらしい。
そんな場所で本当に生きられるの? と正直怖くて仕方ないけど、ここを通り抜けない限りはアクテリスにたどり着けないみたい。
「今のところ、ここが一番しんどいところだよね……」
旧都ももちろん大変なんだけど、少なくともこのトウオウ山はハーランド達でも三週間くらいは掛かっている。コリアテ村からエトアル街道、そして街道からアクテリスまでの距離はだいたい同じくらいなんだけど、半月時間が余分に必要な理由はこの山越えが理由になりそうだ。
そう考えると旅先のスタートはあまり良いとは言えない。エウレルは体調を崩してしまったし、わたしは戦力としていまいち心許ない。
「攻撃魔法のレパートリーを増やす? うーん、なんかもっといい方法が……」
ふと、考える。
そういえば、エウレルは魔獣に見られている。と言っていた。それって、気配か何かがわかっているからだよね。英雄だから凄いんだって勝手に思い込んでたけど、魔法を使って何か応用できたりしないんだろうか。
「魔獣に気付く魔法……それがあるだけでも、やりやすさは変わるかも」
活路かはわからない。でも、少なくとも一番負担の掛かる場面は解決する。そう思うと、どんよりとした気が少しだけ晴れた気がした。
「こうなったら、明日エウレルに聞いてみよう」
そう意気込んで、目を閉じる。落ち着けたお陰か、冴えていた頭はゆっくりと眠気に覆われた。それからしばらくして、わたしは眠りに付いたのだった。
◇◇◇
目が覚めると、部屋は明かりが付いていた。寝床にエウレルは居ない。慌てて辺りを見回すと、自分の鞄を探ってるエウレルの姿があった。顔色は……うん、だいぶ良くなってる。
良かった、本当に良かった。のしかかっていた重しが全部取れたみたいな、ようやく溜まっていたものが吐き出せた感じ。何だかんだ気を張ってたんだな、わたし。
一方エウレルは、わたしが起きたのに気付いた様子はなく、荷物探しに没頭している様子。せっかくなので寝たふりをしつつ、そっと観察してみる。
「えーっと、えーっと」
悩んでいるみたいだ。鞄を物色しては、どっとため息を吐いている。
「ないか。うーん、やっぱり借りるしかないのでしょうか」
借りる? 何をだろう。
「英雄の記憶が正しければ、旧都を抜けた後はトウオウ山ですよね……より防寒に特化した衣類を仕入れたいのですが、近くに街があったかどうか」
やっぱり極寒なんだ。もうちょっと準備して行けば良かったな。寝泊まりできる村があれば作って渡せるんだけど……それでもちょっと時間掛かりそう。
「あとは、武器ですよね……魔獣を倒せるような剣さえあれば」
うんうんと頭を悩ませながら、壁にもたれて足を畳んだ。膝の前で両手を組んで顔をうずめると、
「はあ、ぼくってほんと役立たずだよなあ」
ん?
「せめて、ぼくが居る間はアンジェリカさんを守るって意気込んで旅に出たのに……って、何を言っているんだ。大事なのはこれからだっていうのに、はあ」
また、大きなため息がした。ひどく落ち込んでしまっているらしい。
声を掛けるべきか悩む。英雄とはいえ小さな子だ。自分の身は自分で守るつもりだから、そんなに心配はしてほしくない。とはいえ、今は寝ていると思われてるだろうし、うかつに出ちゃえば今後本音は聞けないかもしれない。
前に出るかどうかでためらっていると、またエウレルがぽつりと呟いた。
「ネセストリア……遠いなあ」
ネセストリア? どこかの国だろうか。うずめた顔はまだ沈めている。
何か目的でもあるんだろうか。少なくとも、上巻には出てこなかった地域の名前だ。
「ザルツ帝国の関所を越えて、レーヌ港から船に乗る。それから、地底洞窟をわたってウェンバルト大陸。これで半分……先人たちはこの経路を渡り切ったのか」
全部知らない地名だった。レーヌ港はレーヌ大陸のどこかなのはなんとなくわかるけど、別の大陸まで移動するってことだよね。どうやらエウレルの旅は相当長い道のりのようだ。
そっか。まだ、旅は続けられるんだ。
だけど、うずめた顔を上げたエウレルを見て、わたしは自分の甘さを思い知る。
「先は長い。それでも、ぼくは――」
研ぎ澄まされたような鋭い目をして、
「命に懸けてアンジェリカさんを守る。そして、全てが終わった後は、必ず魔王を倒す」
エウレルの決意を前に、心の中であらためて誓う。
絶対に彼を死なせるわけにはいかない、と。




