第三十一話
ゆるやかな階段は延々と続いた。
気が晴れてようと、沈んでいようと関係は無いらしい。雨音も階段を叩くことを忘れずに、光の薄いこの場所は、暗くどこまでも沈むような空気を満たし続けている。
落ち込む度にいつも思う。自然は、人のことなんて見やしないのだと。
「アンジェリカさん。その、あまり気を落とさないでください」
「……そう見える?」
「ちょっと、声が沈んで聞こえたので」
「……ありがとうね。大丈夫だから、気にしなくていいよ」
負け惜しみだった。本当は前に出て、人を導かないといけないのに。それが出来ていない自分、現実を知らずに危険に片足突っ込んで、ひとりで落ち込んでいる自分。
そんな自分が嫌だから、せめて前だけは向いて起きたい。
それしか出来なかった。他に気を配っている余裕はなかった。
「エウレルはさ、落ち着いているよね」
「そんなことは……ただ、必死なだけです」
ひかえめに笑って見せて、前に進む彼の背が遠くに感じた。勇者だからじゃない、わたしが幼すぎるだけだ。それなら、
「ねえ、エウレルはさ」
「はい」
「落ち込んだり、気持ちが沈んだ時、どうしてるのかな」
なんで守るべき相手に教えを乞うんだ。そんなつまらない意地が反発する。それを腹の中に収めて、できるだけ平静を装った。
わかっていたはずじゃないか、いつまでも子供ではいられないって。決めたじゃないか、いつまでも守られてばかりは嫌だって。
わたしの問いにエウレルはしばらく口を閉ざしていた。雨音と足音だけがうるさいくらいに響いて、いろいろな懸念が頭の中で駆け巡った。癇に障ったなら謝らないと。いっそ、答えなくてもいいとすら思った。
次第に空が暗くなってきた。
曇り空が邪魔したとて、陽の光はこの人気の無い旧都を照らしていたらしい。不注意に見上げることはしないけど、わずかな光すらもいずれ消えてしまうと思えば、より孤独感は増していく一方だった。
それにしてもひどく長い階段だと思う。高い建物は相変わらず敷き詰められているし、雨が止む気配もまったくない。心なしか足がふやけて感じられる。長靴で雨水は入らないはずだが。
もしも魔獣がいなかったとしても、流石にこんな湿気だった廃墟に何日もいられるのは耐えられなかったかもしれない。
「アンジェリカさん」
「どうしたの?」
「……今日は、この辺りで休憩しませんか」
か細い声だった。それだけじゃない、目がとろんとしている。慌てて額に手を当てる。熱い。そこで、はっとする。
「いつから、体調悪かったの?」
「はは、すみません。ちょっと……」
だめだ、答える余裕も無いらしい。ふらついたエウレルの体を支えながら顔色をのぞき込む。心なしか唇の色も薄い。
せめてどこかに移動しよう。どこか寝泊まり出来る場所——辺りを見回した矢先、わたしの手の中から滑るようにその場に崩れ落ちた。
「だいじょうぶ!?」
「ごめんなさい……足、引っ張っちゃって」
「そんなことないよ!? 今、雨宿り出来る場所探すからね!!」
しっかりしないと。とりあえず、どこかに――
その時、ふと赤い何かがわたしに照準をあわせた。
『通りがかるものに目を合わせてはいけない』
忘れていた。
それはわたしと目が合うと、ものすごい速さで足音が迫って来た。それだけでわかった。
あれは魔獣だ。自分でも背筋が凍るのが分かる。
近づく足音を前に頭を必死に回す。
戦う? ダメだ。エウレルを放っておけない。
逃げる? それも同じだ。抱えて走れる体力は無い。
どうする。どうする――
その時、脳裏に過ったのは、白い髪を束ねた大男の吊り上がった笑み。
恐怖で何もできなくて、ただただ逃げるしかできなくて、それで――
何をした。
「私達の姿を隠せッ!!」
わたしとエウレルの体は橙色に輝くと、そこから景色と同化して何も見えなくなった。背負っている感触をたよりに、建物の壁に張り付いて息を殺す。
直後、物陰から黒い毛に塗れた魔獣が、口を開いて飛び出した。勢いあまって他の建物に突っ込むと、そこから体制を立て直して、舌を垂らしながら辺りを見回す。
魔法を止めてはいけない。心臓がばくばくと音を鳴らす中、魔獣はそんなわたしの恐怖なんて興味の一つもなさそうに、辺りをうろついて離れようとしない。
本当なら魔法で焼き払いたい。だが、天候の悪さが邪魔している。どうする、このままアレが諦めるまで待つ? でも、エウレルはどうする。早く安全な場所で寝かさなきゃ
「こっちに来て!!」
人の声がした。どこから? 雨音でわからない。
「何してるの、早く!! 喰われちゃうよ!?」
魔獣が来た方からだった。声を頼りにわき目で探すが、暗さのせいでその先が見えない。
エウレルの教えをやぶったからこうなった。そうである以上、この旧都は魔獣に囚われていると考えても良い。そのうえで、人の声が聞こえた。
魔獣が化けたものだったらどうする? 本当に信じていいの?
でも、このまま隠れるだけじゃ、エウレルが危ない。
決めなきゃ。決めるんだ、アンジェリカ。
「ひょっとして死ん」
「生きてる!! ねえ、あなた人間なの!?」
その問いに、声の主は、
「うん!! あたしは人間だよっ。だから、こっち来てっ」
会話が通じる。やるしかない。
「……エウレル、ごめんね」
覚悟を決めて、わたしは路地裏に突っ込んだ。




