第二十五話
ぼろぼろの体で寝返りを打つと、案の定全身に痛みが走る。それでも少年の手を取り、両手でそっと握った。
この手であの恐ろしい大男を倒したのか。
実感は沸かない。それほどまでに、あまりに幼くてか細い手だった。
「わたしね、怖かったの。こうして旅をしていても、終わりだって曖昧だし、その過程で何が待っているのかわからない。そんな旅に誰かを連れて行くって、結局はその人の人生を背負うってことじゃない?」
「じゃあ、何でぼくを……?」
「背負いたいって、思ったからかな」
軽々しく口にしていい言葉なのかはわからない。しかし、今のわたしにそれ以外の選択肢は選べない。
少年は泣いていた。目元からは涙がこぼれ落ちている。しかし、生気の抜けた瞳はなく、わたしを見据えていたのは強い意志を持った明確な拒絶だった。
「やめましょう。ぼくらが進むべき道は違う」
「確かに違う。でも、その道を一緒に歩くことはできるはずだよ」
「貴女、死にかけたんですよ……? 斥候に襲われて怖いとは思わなかったんですか?」
「怖いに決まっている。でも、退く気はないよ」
「退いてください。貴女には貴女の旅があるはずだ」
自分の方が年上だろうにね。親にわがままでも言ってるみたいだ。
しかし、彼の示す拒絶の根源がやさしさにあることをわたしは知っている。
「わたしね、やっぱり君に死んでほしくない」
「そういう運命は既に受け入れています。余計なお世話だ」
「余計なお世話で良いよ」
「貴女はぼくに立ちはだかる脅威を体験したはずだ。共に過ごしてしまえば、アレは何度だってやってきますよ」
「いいよ、それでも」
「おかしいですよ。何でそんな命を投げ打つ真似をするんですか!?」
少年はまくし立てるように続けた。
「大体、自分の身一つ守ることでせいいっぱいの貴女に何が出来るんですか!? いざ、貴女が敵の口車に乗せられて裏切ったならどうするんです!? ぼくの居場所がバレていつでも襲われてしまうじゃないですかっ!!」
「強くなるよ」
「強くなる……って。アレは優秀な手練れ――名のある冒険者であったり、国に選ばれた騎士等の戦力でないと太刀打ちできないんです。それぐらい恐ろしいバケモノなんです」
「それは怖いね。なら、ゆっくりしている暇はないか」
そう言って体を起こそうとしたところで、少年は強引にわたしを寝かしつけた。
「何やってるんですか……傷が開いたら死んじゃいますよ」
やっぱり思う。
この子は、空っぽなんかじゃない。きっと、自分に素直になれなくなっただけ。
「それは君もだよ」
「えっ」
「いずれ旅に出たら死ぬんだよ、わたしみたいにさ。君じゃどうにも出来なくなったら、君は誰の目にも止まらず死んでしまうんだよ?」
どの面を下げてこんなことを言ってるんだと、自分でも嫌になる。
やっぱりこんなの慣れない。でも、今この場で一番の大人はわたし。大人であるわたしが、この子を正しい方向に導いてあげないといけないんだ。
「君は、自分のことを命をかける価値は無いって言ったよね」
そう言うと、苦い顔で押し黙った。
「断言するよ。それだけは絶対にない」
「急にどうしたんですか?」
「君は、わたしの命を救ってくれたからだよ」
当てつけみたいにしか言えない自分の馬鹿さ加減ときたら。
ロイだったら、きっともっと上手くやれたのかもしれない。
「わたしはね、顔も知らない誰かのためになんて命はかけられない。世の中が平和になってほしいとは思っても、それだけのために命なんてやっぱりかけられない。だって、わたしは幸せで居続けたいから」
冒険者だったり、旅に慣れた人だったら、わたしの乗り越えた苦難なんてちっぽけなものかもしれない。それでも、確実に命の危機に晒された日はあって、その度に生きてて良かったって実感した。
見ず知らずの他人のために、あの苦しい思いをもう一度出来るかと問われれば、絶対に首を縦に振るつもりだ。
「なら、ぼくのことなんて――」
「そんなわたしが、君を守るって言ってるんだよ。英雄としてだとか、自分の運命だとか、そんなのどうだっていいんだよ」
わたしは、どうしたいのか。
君に、どうなってほしいのか。
「お世話になった人には、やっぱり幸せになってほしい。そうじゃないと、わたしだけが幸せみたいでやっぱり苦しい……っ」
「……アンジェリカさん?」
「ずっと本音を隠されたままで、知らない内に守られて、それで気づいたら全部無くなってて!! いろんなことを知った時にはもう遅くて――」
好きだって気付いた時には、彼はもういなかった。
お父さんと別れた時、わたしはお父さんが背負っているものに気付いてやれなかった。二人を悪者にしてしまったのは、わたしだ。
そうやって、わたしはぬくぬくと今を生きているんだ。
「いやだよ。もう、誰かがいなくなっちゃうのは。そんなの、寂しいよ」
本当は気の利いた言葉でも言えたら良かったんだろう。
この子の抱えた傷を癒せればよかったのに、結局やってることは、いつものように好き勝手言って人を困らせるだけ。
そうだとしても、わたしは彼を導かなきゃいけない。
「……ぼくの代わりなんて」
「今は、君が良いの。そうあって欲しいの」
少年はうつむいた。
「わがままですよ」
「言っていいよ。わたしも聞いてあげる」
それから膝をついて、わたしの腕に顔をうずめた。
「ぼくは、ひとりじゃなくていいんですか」
「当たり前だよ。君は、ひとりじゃないといけない人じゃないよ」
「……怖いんです」
「なにが?」
「だいじなものを失くしてしまうのが、です」
「ほんとうに、それでいいの?」
「失うくらいなら、最初から無くていい。そう思ってしまいます」
そっか。
君が本当に怖かったのは、無くしてしまうことだったんだね。
「わたしは死なないよ」
「……だからっ」
「ちゃんと世界中を旅できるように強くなって、旅を終わらせる。それに、お父さんとの約束だってあるしね」
もう一度会えたなら、大人になったわたしでお父さんとお話するんだ。
無茶ばっかりの旅だからひょっとしたら怒られるかもしれないけど、それでもわたしは自分で見た物をちゃんと伝えて、お父さんには世界って広いんだってことを知ってもらいたいんだ。
そして、お父さんにもう一度ありがとうって言うの。
だから、
「君も生きるんだよ。辛いこともいっぱいあるけど、それだけじゃないってこと、ちゃんと君が証明するんだよ。わかった?」
わたしの言葉に少年は何を思ったのかは知らない。
それでも、少年は「わかりました」と答えると、わたしをじっと見据えた。
「……ぼくに、名前を付けてくれませんか」
「名前?」
「今のぼくには名前がありません。両親から何と呼ばれていたかも思い出せません」
「わたしが付けていいの?」
思わず尋ねると、
「アンジェリカさんに、付けてほしいんです」
少年は力強く答えた。
確かにね。少年って呼び方、少し他人行儀っぽいし。
それに、彼の旅も背負うと言ったんだ。名前を付けてあげるというのは、その言葉を示すのにふさわしい行為で――
「あ」
ふと、ひらめいた単語がある。たしか、冒険記に出てくる主人公を助ける人の名前なんだけど、読み進めていた時から響きが良いと思ってたんだ。
「エウレル、なんてどうかな」
「エウレル……ですか」
「冒険記に出てくる人の名前なんだけどね、なんていうか。困ったら主人公を助けてくれるんだ。でも、そういうのを求めているんじゃなくって、その」
うう、人に名前なんて付けたことないから、良い名前かもわからない。
少年はというと、きょとんとして固まってしまったし、やっぱり名前変えた方が――
「いい、名前ですね」
「えっ」
「エウレル、わかりました。今日から、ぼくの名前は……エウレル」
そう言うと、少年——エウレルはにこりと笑って、
「立ちふさがる敵はぼくが倒します。貴女の身はぼくが守ります。だから、ぼくをお供に付けてもらえますか」
膝を付いて、わたしの手を握った。
ほんとうにさ、こういうところでも君は君なんだね。つい笑いがこみあげてしまった。
はあ、傷が痛むなあ。
「ぜひ、よろしくおねがいします」
でも、こういうものなら悪くないか。
第二章 終
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