第二十二話
申し訳ございません。
2026/09/15 一部情報付け足しにつき、間に新話を追加しております。
◇◇◇
大男の拳が振るわれると、アンジェリカの体はくの字に吹き飛び、岩壁にぶつかった。崩れ落ちるように地面に突っ伏すと、次第に血だまりが広がっていった。
「嘘付キ」
大男の裂けた目尻からは、大粒の血が滴り落ちる。口角を三日月に吊り上げる様は、傍から見ても化け物と呼んで差し支えない。
実際にその通りだった。
この男を催したものは人間ではない。魔王が放った斥候、英雄の命を狙う怪物である。
拳にこびり付いた血を払うと、斥候は首をバキボキと鳴らしながら、うつ伏せで動かなくなったアンジェリカへと一歩、また一歩と近づく。
「死ヌ、イケナイ。悲シイ。私ハ、教エル、ホシイ、ノデス」
そう言いながらも、アンジェリカをローブごと掴み上げ、
「美シイィ」
潰れて血だらけになった顔をご機嫌な様子で眺めた。
血だらけになった素顔。若い女性のあどけなさも、生きて帰るという誓いも、何もかも赤に染められてしまった。
そんなアンジェリカの頬から、斥候はこびりついた血を指で掬い取ると、血に塗れた指を口に含んで、舌で舐めまわし始めた。
「人ノ血、オイシイ」
首をゴリゴリと動かしながら何度も指に舌をはわせた。
次にアンジェリカの口からたらりと血が零れた。斥候はそれを手に取り、ニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべながら、再び舐め取った。
鉄の味を堪能した化け物は、ぶるぶると身を震わせて、
「血、オイシイ。英雄、血、オイシイ。英雄、コロス。英雄、コロス」
口角を吊り上げた。斥候の頬は赤らんでいた。
斥候は好物を食すかのように、何度も何度も手に付いた血を舐め取ろうと舌を伸ばす。
「ンエ?」
血の味がしない。そう思ったのか、斥候は何度も舌を出して血を舐め取ろうとした。しかし、届かない。感触が無い。
ふと、前を見やる。
小さい体をした少年が居た。
麦色の髪はくすんでいて、小さな体は枯れ枝みたく瘦せ細っている。そんな今にも折れてしまいそうなか弱い少年が、幽鬼の如くこちらへと歩み寄ろうとしていた。
そして気付く。足元に自身の舌が転がり落ちていたことに。
途端、激痛が斥候の全身を駆け巡った。斥候は耐えられず、その場でのたうち回り始めた。
「ぼくの恩人に酷い真似をしてくれましたね」
「あな、あなあなあなた、ハ、ダレ、イダイ、イダイ」
驚愕に満ちた顔で口から血を垂れ流す斥候に、少年はゴミでも見るような目で見下し、
「ずっと貴方が探してた英雄ですよ。そんなこともわからないのですか? ひょっとして、魔王が遣わした出来損ないか何か?」
英雄と名乗る声。鼻をすする。英雄の匂い。戦場の匂い。
血なまぐさい鉄の匂い。
「オマエダアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
斥候は一瞬で激高し、目にも止まらぬ速さで少年の前へ接近。作り上げた手刀で彼の胸を貫こうと手を伸ばし――
「ハハッ、オワリイイイイイイイイイイイイイ!!」
交錯。そして、血飛沫が舞う。
華々しく飛び散る様を見て斥候は歓喜の声を上げ、
「終わりって、何が?」
「ハェ?」
斥候が振り向けば、少年は手に持った何かを後ろへ放り投げた。じっと目を凝らす。黒袖を纏う腕。そして、自身の肘から流れ出るおびただしい血流。
斥候は、肘からその先を失くしていた。
「こんななまくらじゃ、ぼくは倒せませんよ」
「ギィアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
雄たけびと共に斥候の背中が隆起を始める。途端、黒服を突き破って新たに二本の腕が姿を見せた。骨が砕ける音が辺り一帯に響くと、脚部が肥大、獣を彷彿とさせる足に変化。少年が切り捨てた筈の腕は再生していた。
むき出しになった真紅の瞳は魔獣を彷彿とさせる。
否、男は魔獣ではない。魔王が率いる一族、魔族であった。
「コロシュコロシュコロシュコロシュウウウウウウウウウウウウウ!!」
人語がくずれた叫び声を上げ、四肢で地面を蹴った。
蹴り上げた地面からは土埃が舞い、瞬く間に少年との距離を詰める。右手——もとい、右足が少年の右腕を掴もうと迫る。その寸前で、少年は身を翻した。が、背中に付いた剛腕は少年を捉えていた。隙の生まれた左腕をわし掴みにし、握りつぶそうとした。
「――輝く剣」
ぼそりと、少年が呟いた。
瞬間、掴んだはずの剛腕はだらりと、少年の腕にぶら下がって垂れた。
黄金色に発光した右腕による一振りが、剛腕を切り捨てたのだ。眩い光を斥候は忌々し気に睨みつけ、
「エイユウ、ッギィイイイィアアアアアアアアア!!」
「静かにしてください。耳に響くのです」
少年の右腕が輝きを増すと、斥候の四肢や背中に生えた腕は丸ごと切り落とされ、胴体のみに分断された。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァゥ」
地面に野垂れた斥候の口から血が零れ落ちる。笑顔はない。苦悶の表情で体を這わせ、もぞもぞと動く。逃げようとしていた。
だが、二本の足が立ちふさがる。斥候が見上げると、そこには冷たい目を向けた少年が居た。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァゥ」
「グル、ジイ」
「ヤ、ダ……」
「マ、マッテ。イキ、トトノエル、カラ。ゴハッ、ハアハア」
息をきらし、うわごとのように言葉を連ねる。
「死にかけると、自分が殺めた人間の命乞いを真似て生き延びようとする。本当に気持ちが悪い」
真上から見下す少年を前に、斥候は同じ台詞を吐いた。何度も吐いた。
その言葉を聞く程に、少年の中でくすぶった怒りは業火の如く膨れ上がった。
「輝く剣」
怒りに呼応するように、少年の右腕は眩しい輝きを放つ。思わず目を逸らしてしまう程の強烈な発光を前に、斥候は同じ台詞で命乞いをするしかなかった。
「お前だけは殺す。絶対にゆるさない」
「マ、マッテ。イキ、トトノエ――ぎぇ」
振り下ろした光の剣戟は、斥候の巨体を真っ二つに切り裂いた。
斥候の体は眩い光に包まれると、体が崩れ、塵へと変わる。終いには一陣の風に吹かれ、消え去った。
その様を一瞥した後、少年は急ぎ足でアンジェリカの元へと駆け寄り、そっと手をかざした。
「癒しの神」
少年が詠唱を唱えると、アンジェリカを包み込むように黄金色の光がぼんやりと輝き始めた。
直後、アンジェリカの顔からあふれた血がみるみる引き始めた。斥候にやられて陥没した顔面もゆっくりと回復し、最後には傷一つないあどけない少女の素顔を取り戻した。布地からうっすらと見えた擦り傷も消え失せていた。
「……巻き込むつもりなんて、なかった」
それでも、少年の心は晴れなかった。
こうなって欲しくなかったから、遠ざけようとしたのに。そんな後悔が少年の胸中をうずまいて、その場にへたりこんでしまった。
「全部、ぼくが甘かったからだ」
この力があったから恩人である彼女を救えた。
なんて、思うことは出来なかった。
この力のせいで恩人を傷つけてしまった。
そうとしか、思えなかった。
「本当に、ごめんなさい」
何度も声を上げて詫びた。しかし、意識を失ったアンジェリカが何かを言えるはずもなく。少年の胸中は罪悪感で満たされ、
「やっぱり、ぼくはひとりになるべきだ」
また、孤独という闇に閉じこもってしまった。
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