第十三話
旅にでるということに綺麗な何かを見ていた。
きっとそこにたどり着くまでにたくさんの困難が待っているのかもしれない。でも、そこを乗り越えていけば、きっとその何かにたどり着けるはずなんだ。そう思っていた。今でもそう思っている。
でも、その乗り越えるという言葉の中には、決して見えることのないたくさんの痛みが包み隠されているのだと知った。
「はあ、はあ」
死ぬことが怖くなってもお腹はすいた。
お腹がふくれても寂しさは残った。
寂しさは思い出で埋めようとした。
埋めようとしたものは、死ぬことの恐怖で置き去りにされた。
そんな毎日が待っていた。これも所詮、困難と呼ばれるものの一つでしかない。誰かに話したことで全てを伝えられるわけもなく。それでも、この二本の足で大地の上に立ち、命の鼓動を鳴らしている限りは、向き合うことを定められているのかもしれない。だから、そんなものから逃げるように歩いた。先を急いだ。振り返っても何もないから。アクテリスに行けば、こんな苦しさから解放されると信じて。
道中、魔獣が現れた。魔法で燃やした。怖くなって泣いた。それでも、飢えは耐えられなかった。草原を走り回る小動物を小石で射抜いた。焼いて食べた。生きられたことに感謝した。それから、空を見上げた。
「きれい……」
青空は、ちっぽけなわたしを無限の広さで包み込んでいた。生まれた時から今に至るまで、ずっと。そうして生きることに必死なわたしや、他の色んな生き物たちを、何を語るでもなく延々と見届けている。ロイは、そんなところも好きだったのだろうか。答えてくれる人はいない。ただ、彼の足跡を追って、空を飛ぶという夢を叶えるだけ。
それでも、あの空の中は、この踏みしめる自然よりもずっと穏やかな場所なんだ。そう信じてしまいそうなくらいには、どこまでも透き通っていた。
「行かなきゃ」
歩いた。冷えた風が重い荷物を揺らした。
歩いた。曇り空が不安を煽った。
歩いた。打ち付ける雨が、ひどく体を冷やした。
息を潜めた。豪雨は歩いてはいけないと知った。
戦った。魔獣とは何度もめぐり合わせた。
息を潜めた。身体は執拗に休息を求めた。
歩みを止めた。生きる為に魔法を学び直した。
戦った。逃げ出したくなる恐怖は、次第に警戒へと研ぎ澄まされた。
戦った。磨いた魔法で飯を調達した。
戦った。磨いた魔法で何度も敵を倒した。
それら全てを語り切れるほどに、雪原はどこまでも広く、何度もの月日が巡った。
「はあ、はあ……」
息が聞こえる。自分のだけだ。高揚しているのがわかる。
なぜなら、景色が変わったからだ。
延々と続いた雪原を超えた先には看板がぽつん、と立てられていた。道中、何度も本を読んだからだろうか。何を書いているのかがわかった。張り詰めた何かが、すとんと抜け落ちるのがわかった。
「ここが、エトアル街道……」
目の前には一本の道があった。ぬかるんだ地面とは違って、成形された石が敷き詰められた人の手が加えられた道だった。草原のように吹き抜ける風音はなく、ひっそりとした空気で満たされていた。
背負っていた鞄を地面に置き、地図を取り出す。エトアル街道はコリアテ村とアクテリスの中間。あと半分進めば、目指していたアクテリスにたどり着く。
「やった……、やった!!」
がんばったの。ねえ、ロイ。お父さん。わたし、ひとりでここまで来れたよ。
魔獣とか怖いものがいっぱいやってきたけど、全部倒したよ。
がんばって、ひとりで生きてきたんだよ。
だから、だから……っ。
「……だれか、ほめてよおっ」
涙が止まらなかった。わたしはどこまでもひとりだった。忘れていたはずの寂しさがじんわりと胸の奥まで広がった。それでも、前に進まなければいけない。そう自分に言い聞かせて、鞄を背負い直した。重さにはもう慣れたんだ。わたしだって、ちょっとずつだけど前に進んでいる。だから、後ろめたさは捨てなきゃ。
心が折れそうになる自分を奮い立たせて、延々と続く一本道を歩き続けた。
空から雪が降って来た。曇天——慣れた景色だ。ひょっとすると、豪雪がやってくるかもしれない。早めに寝床を探さないと。
街道と言われるくらいだ、ひょっとしたら人の住み家があるかもしれない。最悪無くても岩壁があればいい。なにか、なにか――
「あ」
見つけた。小さな家だ。壁からは雑草が生えている。窓は暗くて見えない。自然と体は動いた。踏みしめた足音は、引きずるものから、次第に軽やかへと変わる。海が見えた。初めて見た。草原よりもずっと遠くまで広がっている。先へ進むほど、広くなる。その絶景に思わず見とれた。すぐに血の気が引いた。
「待って!!」
荷物を置いて走った。疲れなんて気にする暇もなかった。とにかく、目の前の人影を追った。
ふらふらと前に進む、今にも崖から落ちようとしている小さな人影を。
「だめええええええええ!!」
人影に追いついたわたしは、全力でその腕を取り、引っ張った。勢いあまってふたり一緒に地面へと倒れ込む。人影はわたしに覆いかぶさると、少しだけ顔をうずめて、すぐに体を起こす。ぼろ布の服を着た、しおれかけた麦のような髪色をした少年だった。
少年はわたしをまじまじと見つめると、やつれ切った顔でぼそりと呟いた。
「……アンジェリカさん、ですか?」
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