第十二話
のどかな風景に、ひとつだけ紛れていた。ソレは、わたしだけを執拗に見つめていた。心臓がばくん、ばくんと叫んでる。
当たり前だ。ここは村の中じゃない。魔獣が出歩いて当たり前の外の世界。そんなのも忘れて、自分のことだけで必死になって。
ぐるぐると頭の中で情報が回る。ぐちゃぐちゃになったそれは、真っ白なまま押し寄せて、平静であろうとするわたしを簡単に塗りつぶした。
はあ、はあ、はあっ、はあっ!! はっ!! はっ!! はっ、うぁ!!
やだ、いやだ。しにたくない。しにたくない!!
身体を起こす。地面を蹴る、走る。出来るだけ、早く。足音が来る。速い、そして転んだ。転ばされたと知る。背中に重さが沈んできた。逃げようとする、動けない。ソレの足が肩を掴んでいた。泣きそうになる中、うなじに何かが刺さる。焼けるような痛みが来た。
死にたくない。じたばたして、ヤニ様に祈った。べりべりと音がする、また痛みが来た。痛い、息が……っ。ロイ、おとうさん、助けて。誰か。誰か――
そんな残像が、ぶわあっと全身を通り抜けた。神経が逆流したみたいだった。
本能が訴える。泣けば喰われる。目は逸らすな。下手に動くな。逃げるな。恐怖を煽るように、何度も何度も執拗に繰り返す。
魔獣はこちらから目を離さない。口は閉じて、歯茎を突き出している。開けない、食べられる。じゃあ、どうする。悟られないように、震えないように、敵をどうする。逃げるのは無理、倒すしかない。一縷の望み、それだけに身を委ねる。
その時、魔獣が一歩引いた。
何故かわからない。それでも、距離が空いた。圧が減る、これで息が吸えるように――ぞっとする。音を出してはいけない、残像と同じ運命をたどってしまう。
この状態で、魔獣を倒す。それしかない。どうやって? 頭の中はいらないものでぎゅうぎゅうに詰まっていた。でも、そこにしか無い。ガラクタから死ぬ気で漁る。魔獣の足が動いた。前に来てる。じわり、じわりと寄ってくる。心臓がこれでもかと跳ねた。死にたくない。せめて、指先だけでも奇跡を探す。
ない。何もない。雑草しかなかった。そして、魔獣は目と鼻の先までやって来た。わたしを見下ろす。そして、
ニヤリと笑った気がした。その時、わたしは無我夢中だった。ただ、もう一心不乱に「放て!!」と叫んだ。目に焼き付けた地面が割れ、魔獣の足元をはじき飛ばした。バランスを崩した魔獣は、割れた地面に爪を刺し、耐える。
その間にわたしは向かい合って、逆転の一手を探る。出来るだけ重いやつ、それもたくさん。それだけを頭に残して、死に物狂いで目を凝らした。
その淵から化け物が覗き込む。わたしを見ると、赤黒い目を細めた。直後、
「ブオオオオオオオオオオオ!!」
咆哮を上げ、静けさが嘘みたいに突っ込んできた。速い。残像よりずっと、もう足元まで来てる。喰われる。その恐怖は知ってる。また、それが来てしまう。嫌だ。それだけは絶対にいやだ。死にたくない。
だから、咄嗟だった。自分も魔獣に向かって走っていた。視線が交錯する。意識するのは手のひら。そして、過る記憶。もう一つ、わたしはあの本から魔法を学んでいた。イメージは十二分に揃っていて、絶対に使いたくないと思っていた。
でも、やる。
魔獣に触れた。手のひらにぐにゃりと感触が広がる。その光景を目に焼き付けて、
「燃えろ!!」
瞬間、魔獣の体が炎に包まれた。火だるまになって地面を転がる。金切り声みたいな悲鳴を何度も何度も上げて、狂ったようにのたうち回っていた。そのせいか草原にも火種が移って、より炎は大きく燃え広がった。いつか見た、大切な人の家が燃えてしまったように。
しばらくすると、炎に包まれた魔獣の動きは鈍くなった。手足も何かを掴むようにぐるぐると動かして、最後には完全に固まって動かなくなってしまった。
炎はそれでも止まらなかった。黒こげになるまで最後まで焼き尽くした。
草原ははがれて黒ずんだ地面だけが残った。気が抜けたわたしはその場にくずれ落ちた。
「は、はは」
ふと、空に目が動いた。夕日が映った。今度は空から、また襲われるかもしれない、その恐怖が強制的に体を引き起こす。フラフラと足が覚束ない中で、寝床に使った穴ぐらだけはしっかり覚えていた。何を食べるかなんてどうでも良かった。死ぬかと思った、もう外にでたくない。それだけで頭のなかはいっぱいだった。
運よく外敵に鉢合わせず穴ぐらに戻れたので、そのまま魔法で穴に壁をつくって、小さく体をまるめた。吐いた息には熱が残って生きていると実感する。はっ、はっ、とか細く響いて、次第にぜえ、ぜえと汚い音に変わった。
真っ白になっていた頭が次第に色を取り戻す。そしてやってきたのは、あの時に生まれた死への恐怖だった。
ガタガタと震えて、穴から漏れ出た光が怖くて仕方なかった。自分の選択に後悔した。なんでこんな危ない道を選んでしまったんだろう。二日前の自分を呪った。
運がよかっただけだ。あの時死んでいたかもしれない。だから、もうやめよう。今からでもお父さんを探して会いに行こう。だから――
「……なんで。なんでっ!! ロイの夢を叶えるって、言ったじゃない!!」
ロイのことを好きだと言った自分が、彼との思い出にひたろうとした自分が、あの時、あの瞬間で全部崩れてしまった。たった一回死にそうになっただけなのに、ずっと残していたいと思ったものを簡単に手放そうとしてしまった。
「帰りたい。帰りたいよう」
叫ぶみたいに泣いた。大切な思い出も、生きるためなら簡単に捨てられる残酷な自分を突き付けられたから。全部きれいごとを言ってるだけなんだと知った。
空を見ている余裕なんて、どこにもなかった。
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