第166話 覚醒する牙、現れる深淵
――前へ。
エクセイルは、ただ歩く。
荒れ狂う戦場の中を。
グラヴィオスが暴れるその中心へ向かって。
怒号。
衝突音。
魔力の爆ぜる音。
すべてを――無視する。
「……」
脳裏に、ひとつの光景がよぎる。
――あの日。
ナナミであろう女が、アビス・リフトから生還したと聞いた日。
深海の海晶核を持ち帰ったと。
信じられない話だった。
(……ふざけるな、って思ったな)
口元が、わずかに歪む。
自分が届いていない場所に、
あいつは、もう立っていた。
(だったら――)
思い立った時には、潜っていた。
まだ到達せぬ深海へ向けて。
結果は――
(……無様だった)
深い海の圧。
魔力の消耗。
強力な海魔。
何もかもが想定を超えていた。
暗海域すら抜けれない。無力さを実感した。
そして――
ブレイカーに救出されていた。
彼が来なかったら海魔のエサになっていたことだろう。
(……クソが)
あの時の感情は、
今でも鮮明に残っている。
敗北。
無力。
そして――
焦燥。屈辱。
♢
救出された翌日。
エクセイルは怪我を負っているにも関わらず
その足でブレイカーの元へ向かった。
頭を下げた。
その理由は救出の礼のためではなかった。
「頼む。もっと強くなる方法を……教えてくれ」
そう言った。
当然、断られた。
だが――
引かなかった。
何度でも。
何度でも。
頭を下げ、
腰を折り、
食い下がる。
ブレイカーに呆れられるほどに。
そして――
「……チッ。そこまで言うなら覚悟できてるんだろうな?」
舌打ちとともに。
ブレイカーは、折れた。
♢
(……地獄だった)
エクセイルの目が、細くなる。
内容は――思い出す気もない。
ただ一つ言えるのは。
(あれを越えたから、今がある)
♢
――ドォンッ!!
現実へ戻る。
目の前で、
シルバー級の一人が吹き飛ばされた。
「ぐああッ!!」
グラヴィオス。
黒ずんだ魔力を纏い、
暴走に近い勢いで暴れている。
「……退け」
エクセイルが、低く言う。
「は……?」
前線のダイヴァーが振り返る。
「ここから先は――オレがやる」
その声に。
一瞬だけ、空気が止まる。
♢
グラヴィオスが、エクセイルを捉えた。
巨体が、沈む。
――来る。
次の瞬間。
ズドンッ!!
突進。
水が裂ける。
だが――
「遅ぇ」
エクセイルの姿が、消えた。
踏み込み。
加速。
水流を蹴り裂き、
一気に懐へ。
「……ッ!?」
周囲のダイヴァーが目を見開く。
速い。
さっきまでとは、
明らかに“質”が違う。
グラヴィオスの側面。
外殻。
――最も硬いはずの部位。
そこへ。
槍を、突き込む。
「穿て」
ギィィィンッ――!!
火花のように魔力が散る。
だが――止まらない。
押し込む。
ねじ込む。
「――ぶち抜けッ!!」
バキィッ!!
外殻が――割れた。
「なっ……!?」
誰かが、声を上げる。
ありえない。
さっきまで、誰も通せなかった装甲を――
一撃で、破壊した。
グラヴィオスが、暴れる。
だが。
遅い。
「見えてんだよ」
次の一手。
次の軌道。
すべてが。
エクセイルは、躱し――
踏み込む。
割れた箇所へ。
さらに、深く。
「終わりだ」
槍が――沈む。
核へ。
ズンッ――――!!
沈黙。
次の瞬間。
グラヴィオスの巨体が、
びくりと震え――
崩れた。
♢
「……は?」
誰かが、呟く。
あれほど暴れていた巨体が。
たった一人に――
沈められた。
エクセイルは、ゆっくりと槍を引き抜く。
血の代わりに、
黒い魔力が霧散する。
「……」
視線が、わずかに横へ流れる。
ナナミ。
(……別に、張り合ってるわけじゃねぇ)
心の中で、吐き捨てる。
だが。
口元は――
わずかに、笑っていた。
「――次だ」
――グラヴィオス、沈黙。
♢
「あいつ……飛ばしすぎじゃねぇか?」
バルバスが、呆れたように頭を掻いた。
「この後のノー・アイズ戦、ちゃんと魔力セーブしてるよな……?」
半ば本気の心配。
それほどまでに――
今のエクセイルの動きは、常軌を逸していた。
「……」
アッシュは、静かにその背を見つめる。
「強くなってますね……エクセイル」
ぽつりと、呟く。
「表情は涼しげですし……余力はあるように見えますが」
分析は冷静。
だが、その奥にはわずかな驚きが混じっていた。
♢
「ははは」
グレイスが、小さく笑う。
「張り切ってるのよ」
視線は、戦場の先。
「短時間で片付けてくれたんだ」
その声は、どこか楽しげだった。
(ナナミに触発されて……ね)
ナナミの過去。そしてあの一撃を見て、
黙っていられるタイプではない。
だからこそ――
(面白いわ)
グレイスの目が、細くなる。
♢
そして。
その視線が――さらに奥へ向く。
暗い海。
濁りの向こう側。
そこに。
「……見えた」
グレイスが、静かに告げる。
「遂に――奴が見えてきたよ」
――ズズ……。
重い影が、蠢く。
海そのものが、
わずかに“歪む”。
次の瞬間。
暗がりの中から――
それは、現れた。
巨大な影。
黒い岩肌のような外皮。
四本の触腕。
そして――
“潰れて抉れた2つの眼”。
だが。
確実にこちらを“捉えている”圧。
「……」
誰もが、息を呑む。
ノー・アイズ。
この戦場の――目的。
♢
その周囲には、
すでに大型海魔の姿はない。
グラヴィオスも、
暗夜ヒトデも――消えた。
残るのは、小型の群れのみ。
戦場は――整った。
「へへへ……」
バルバスが、獰猛に笑う。
「ようやくだな」
拳を鳴らす。
「――俺たちの出番だ」
「全体に通達!」
アッシュが、声を張る。
「体勢を整えつつ、周囲の小型海魔の撃退を優先!」
的確な指示。
「この先のヤツは――」
一拍。
「我々が受け持つ!」
「応ッ!!」
各所から、力強い返声が上がる。
♢
「行くぜ!」
バルバスが、一歩踏み出す。
「アッシュ!グレイス!エクセイルも行けるな!?」
「ええ」
「了解」
「ああ」
四人の足が、寸分違わず同時に動く。
水を裂き。
一直線に。
ノー・アイズへ――
飛び出した。
♢
深淵の主。
その存在が、ゆっくりと腕を広げる。
――戦場が、静まり返る。
そして決戦が、始まる。
⸻続く




