第5章 二度目三度目
昼の波の真っ只中のことだった。
食堂の戸が乱暴に開いて、逆光の中に男たちが立った。
「――いた! ヴァン!」
先頭の男が叫んだ。皿を持ったヴァンが振り向く。
上等な旅装。磨かれた具足。この村の風景から、露骨に浮いた一団。
『暁の翼』――。かつてヴァンを追放したパーティが5人、揃って戸口に立っていた。
「ヴァンくん! 捜したんだよ!」
「うわあ、なにこのド田舎……。なんでこんなところにいるの?」
「ギルドに聞いて回って、見つけるの大変だったんだぞ。 おい、戻ってきてくれ!」
店内が静まり返る。みな一様に怪訝な顔をして、ヴァンと来訪者の顔をちらちらと見比べていた。
「お前の代わりに入れた奴がな、とんでもねぇクズだったんだよ! 依頼はしくじる、報酬はちょろまかす、挙句に女がらみで問題起こして……『暁の翼』の信用がガタ落ちになっちまったんだ!
なぁ、頼むよ! 例のことは謝る。待遇は前より良くする。だから――」
「あんたたち、なんだい。突然押しかけて騒いで」
ゲルダが厨房から出てきた。
「ヴァンの昔の仲間ですよね。追放したっていう」
言葉を継いだのはセナだった。
「追放?」「なんだそれ」
ざわめきが、村人たちの間をさざ波のように広がる。
「この人たち、ヴァンに命を助けてもらったくせに、追い出したんですよ」
セナは『暁の翼』を指差して言った。嫌悪感をまったく隠さない表情と声色だった。リーダーがたじろぐ。
「う、うるさいな。部外者は黙っててくれ!
ヴァン、いいから荷物まとめろ! こんな村でくすぶってる場合か、お前の腕なら――」
「勝手なこと言ってんじゃねぇぞ!」
客の一人が立ち上がった。夜警で一緒に見回りをした男だった。
「ヴァンはうちの村のもんだ! てめぇらに渡す義理はねぇ!」「そうだそうだ!」「大体てめぇら、怪しいんだよ! 妙な格好しやがって」「ミロんとこの羊をやったのも、てめぇらじゃねぇのか!」
「は!? なんの話だ!」
「出ていけ!」「帰れ帰れ!」
客たちが総立ちになった。リーダーの顔が、屈辱に赤く染まっていく。Sランクのパーティ、『暁の翼』のリーダー。一部では、勇者とも呼ばれている男だ。田舎者に囲まれて怒鳴られる筋合いなど、彼の人生には存在しなかった。
「うるせぇ!! 田舎もんどもが!!」
リーダーが剣を抜いた。飾り房のついた、豪奢な剣だった。抜けば黙ると思ったのだろう。だが村人たちはひるまなかった。ひるむべきところだと知らなかった。彼らの人生に、抜き身の剣が存在したことがなかったから。
「いいから戻ってこい、ヴァン!」
「触るんじゃねぇ!」
誰かがリーダーの腕を掴んだ。リーダーは振り払う。もみ合いになる。人が押し合い、卓が倒れ、皿が割れ――
短い悲鳴が上がった。
人垣が割れる。床に、夜警の男が倒れていた。
脇腹を押さえた指の間から、血が溢れている。リーダーの剣の先が、赤く濡れていた。
「ち、ちが……」
リーダーの顔から血の気が引いた。
「わざとじゃ……そいつが勝手に……!」
阿鼻叫喚だった。
悲鳴。怒号。リーダーにつかみかかる村人たち。青ざめながらも、抵抗する『暁の翼』の面々。
ヴァンは、皿を置いた。
*
階段を上る間、ヴァンの頭は静かだった。
自分の部屋に入り、剣を手に取る。
階段を降りる。戸口でリーダーがまだ何か喚いている声が聞こえてくる。事故だ、飛び出してくるのが悪い、俺は悪くない。自分の方へ向かってくるヴァンの姿を見つけて、彼は安堵の表情を浮かべた。話の通じる相手が来たと思ったのだろう。
「ヴァン! お前からも言ってくれ、これは――」
言葉はそこで終わった。
最初の一太刀で、リーダーの頭部と胴体が分かれた。
ヴァンの世界から、音が引いていく。
ああ、戦場にいる感覚が戻ってくる。いつもそうだ。体が勝手に動く。
盾役が得物を構える。その隙間から胴を刺す。
魔導士が詠唱を始める。顔面に斬りつける。
斥候が出口へ走る。その背中に太刀を浴びせる。
最後の一人が床に崩れたとき、店の中は、あの日のダンジョンとまったく同じ静けさだった。
血の海の中、ヴァンは充足感に打ち震えていた。
(守った)
生まれて初めてだった。命じられたからでも、金のためでもない。
家族のため。
家族と村人たちの居場所を、自分のいちばんの得意技で守った。力と居場所が、いま初めて噛み合った瞬間だった。
ヴァンは振り返る。最初に目が合ったのはゲルダだった。
「……何やってんだい、あんた……」
最初の言葉はそれだった。
「……普通、殺すかね?」
次にそう続いたのは、リーダーに斬られた夜警の男だった。脇腹の傷を押さえているが、生きている。
他の村人たちも、小さい声で続く。
「たしかにいけすかない奴らだったけど……」
「ここまでしなくても、なぁ……」
店内を見回す。
全員が、同じ目をしていた。
恐怖。
拒絶。
敵意。
――『普通、殺すか?』
――『人間だぞ、相手。武器、捨ててたじゃねぇか』
――『怖いよ、オマエ』
(ああ)
それは絶望というより、諦めに似ていた。納得、と言ってもよかった。
ここも同じだ。皿を運んでも、屋根を直しても、水を汲んでも、守っても、結局、最後にはこの目をされる。
この場所だけは違うと思っていた。勘違いだった。そのずっと手前のところで、決定的に理解が誤っていた。
問題は場所じゃない。俺だったんだ。
リーダーが正しかった。『非道な鬼畜剣士』――除名通知のその文言が、正しく俺を表す言葉だったんだ。
ヴァンは、剣を握り直した。
一人目、二人目。
叫びながら逃げていく。
無力な羊たち。
風船のように膨らんでいた何かが、血飛沫と共にしぼんでいく。
*
ヴァンに思考が戻ったとき、残っているのはセナだけだった。
血塗れの食堂の中、セナは床にへたり込んでいた。腰が抜けているようだ。その目の前に、ゲルダが倒れていた。鍋杓子が、少し離れた床に転がっている。
「母さん……」
セナの手が、震えながらゲルダの肩を揺する。
「母さん……。ねえ、お母さん……」
返事はなかった。
セナは顔を上げてヴァンを見た。
その目には、恐怖すらなかった。理解できないものを見る目、というのがいちばん近かった。目の前にあるものが何なのか、世界のどの棚に分類すればいいのか、まったくわからない――そういう目だった。
ヴァンは剣を構えた。このまま振り下ろせば、セナの頭部は真っ二つになる。
セナはまったく身じろぎせず、ヴァンの目を見続けた。
「……」
何か言うべきなのかもしれないと思った。だが、何も出てこなかった。セナの視線が、とても息苦しかった。
ヴァンは顔を歪め、戸口を蹴破るように外へ出た。
走った。
村の道で、畑の間で、誰かに出くわした。血塗れのヴァンを見て、短い悲鳴を上げる。行き違うついでに斬り捨て、また走った。
街道に出る頃には、日が傾いていた。夕焼けが世界中を血の色に染めていて、ヴァンにはそれがおかしくて、気づけば笑っていた。
もう、皿を運ばなくていい。卓番号を覚えなくていい。働き者のヴァンでいなくていい。誰にも合わせなくていい。何年ぶりかに、顔の上に何も載っていなかった。
血まみれの男が、夕焼けの街道を、笑いながら走っていった。




