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第6章 責任

グレンの街は、噂で持ちきりだった。

辺境の村を滅ぼした通り魔。村を出た翌日に捕らえられ、護送中に警吏を三人殺して逃走した凶剣士。酒場では尾ひれがついて、身の丈七尺の大男だの、目が赤く光るだの、好き勝手に語られていた。

実物のヴァンは、フードを被って、裏路地の暗がりに座り込んでいた。

逃走から四日。ろくに食っていない。眠っていない。追手を三度撒いた。どこへ行くのか、自分でもわからなかった。行くあてなどもともとなかった。このまま野垂れ死ぬのが早まるのか遅まるのか、ヴァンに残された未来はそれだけだった。


「ヴァン」


降ってきた声に、顔を上げる。

買い物籠を提げたセナが、路地の入口に立っていた。



*



街外れの、安普請の小屋だった。板壁の隙間から夕方の光が漏れている。


「村、ほとんど誰もいなくなっちゃった」


竈の火にかけた小鍋をかき混ぜながら、セナは背中で言った。


「残った人も、みんな親類を頼って出てったわ。私もこの街に流れてきたの。誰も来ない食堂をやっても、生活できないから」


小鍋から陶器の器にシチューがよそわれ、ヴァンの前に置かれる。


「こんな形で初めて村を出られるなんて、皮肉ね。一応、約束を守ってもらったことになるのかしら?」


ヴァンの向かいに座る。セナは相変わらず、妙に落ち着いた態度だった。


「安心して。あなたを警吏に突き出すつもりはないから」


ヴァンは器とセナを何度か交互に見つめ、スプーンを取った。

あたたかくて、数日ぶりのまともな食事だった。賄いで何度か振る舞われた、懐かしい味だ。セナはゲルダより料理がうまい。代替わりしていれば、村人たちは喜んだだろう。

セナは、ヴァンが器を半分ほど空けるまで黙って眺めたあと、口を開いた。


「なんで、村の人たちを殺したの?」


ヴァンのスプーンが止まる。

当然と言えば当然の、それしかないという質問だった。だが、ヴァンは回答を言葉で用意していなかった。

長い沈黙が訪れる。


「私ね」


セナの声は静かだった。


「あなたがかつての仲間を殺したところまでは、やりすぎとは思わないの。あの人たち、私も最低だと思ったから。あなたを捨てて、都合が悪くなったら拾いに来て、好き勝手言って、挙句に人を刺して。でも、他の人たちについては、理由がわからないの。どうして?」


宴会の夜も、羊殺しを問い詰められた夜もそうだった。不思議とこの女に見つめられると、ヴァンは何もかも話さないといけない気分にさせられた。


「……守ろうと思った」


言葉は、ひどくゆっくりとしか出てこなかった。


「『暁』の奴らを殺した時、生まれて初めて、俺の"力"が……ちゃんと、誰かのためになったと思った。なのに」

「なのに?」



――『何やってんだい、あんた』

――『普通、殺すかね?』

――『たしかにいけすかない奴らだったけど』

――『ここまでしなくても、なぁ』



「……みんな、俺を拒絶した。

追放されたときと、同じ言葉だった。同じ目だった。俺を、恐怖する目……」


セナは、瞬きもせずヴァンを見ていた。


「……それだけ?」

「……ああ」

「そんなことで殺したの? 幼稚ね」


心底呆れた声だった。


「幼稚……」

「幼稚でしょうよ。母さんは、給金以外にも、あなたに部屋をあげて、ご飯を食べさせて、羊のことだって疑わなかった。それだけお世話になったくせに、たった一言が気に入らなかったから、全部殺したっていうんでしょう」


表情も口調も、身体の姿勢も、子供の癇癪を咎めるような態度だった。

酷く不快だった。


「……簡単に言ってくれるな」


胃の奥底から、勝手に声が出た。

自分のものとは思えないほど低い声だった。

ヴァンには気持ちを言葉にする習慣がなかった。戦場には、そんなものは最も無用だったから。だから誰かに言葉を請われても、自分の中に言葉の形をしたものが見当たらなくて、困ることが多かった。

ただ、風船のように膨張・収縮する何かが、いつもヴァンの真ん中にあった。


「じゃあ俺は、どうすればよかったんだよ」


セナの目が、わずかに見開かれる。


「皿を運んだ。屋根も直した。水も汲んだ。朝の五時から、毎日。

『暁』のやつらを斬らなきゃよかったのか? お前らが斬られるのを黙って見ていれば正解だったのか?

それとも、殺し方が悪かったのか?

1人だけなら? 2人までなら、許された?

何人までの殺しなら、俺は『働き者のヴァン』でいられたんだ!」


ヴァンは気づくと立ち上がっていた。

それは問いというより、ただの音だった。生まれてからずっと、喉の奥で飲み込み続けてきたものが、緩んだ栓を破って、まとめて溢れ出していた。

全身が熱を持って震える。

生まれて初めての感覚だった。


「お前は『暁のやつらを殺したのは、やりすぎじゃない。だが村人たちはどうして』というが、俺にとっては同じ裏切りだ。

戦場じゃあ、殺せば褒められた。殺した数が、そのまま給金だった!

だがダンジョンでも、村でも、俺はあの目をされて捨てられた!

俺はいつも同じことをしているのに!

線はどこにあるんだ。

どいつもこいつも訳がわからない!

たいそうな口を利くなら、お前には分かってるんだろ? なら教えてくれよ。

俺は、生まれてからずっと、何をすれば、正解だったんだよ!!」


言い終わった時、ヴァンは汗だくで、肩で息をしていた。

セナは最初に少しだけ目を見開いたあとは、やはり冷静な顔でヴァンを見つめながら、咆哮にも近いヴァンの話を聞いていた。

長い沈黙が訪れ、ヴァンの呼吸だけが部屋に響いていた。セナは目を閉じて、何か考え込むような顔をしていた。

やがて、セナは目を開けた。


「追放されたとき、『非道な鬼畜剣士』と呼ばれた、という話だけど……少し違うわね。

あなたって、剣そのものなんだわ」


セナは言った。さっきまでの子供の癇癪を咎めるような態度ではなく、得心がいったという表情だった。


「振るわれないと、自分が何なのかもわからない。振るわれて、斬って、役に立てば、愛されると思ってる。

……でもね、剣そのものを愛する人なんていないのよ。どれだけ役に立っても、要らない時は鞘にしまって、蔵の奥に置くだけ。抜き身のまま食卓に置かれたら、誰だって怖いものね」


ヴァンは血走った目で、食い入るようにセナを見つめていた。奥歯を音がするほど強く噛み締めていた。


「あなたは、それが我慢できなかったのね。蔵にしまわれるのが。でもだからって、食卓を叩き斬ってしまう剣を、誰がそばに置くのかしら?

そんな振る舞いが許されるのは、赤ん坊くらいのものなのよ」


自分でも気づかぬうちに、剣の柄に手がかかっていた。ヴァンの体は座っているセナよりもずっと大きく、竈の火を背にして、小さな卓の上に影を落とした。


「……お前は」


声が掠れる。


「なんで、俺を突き出さなかった。

なんで、今この状況で……殺されると思わないんだ」


セナは、やはり動揺する様子を見せなかった。影の中から、ヴァンを見上げている。


「あなたこそ。なぜ私だけ殺さなかったの?」

「――」


答えられなかった。

あの日、血の海の中でへたり込んだセナに、剣を振り下ろさなかったのはなぜか。路地でセナに声をかけられたとき、逃げなかったのはなぜか。その問いはずっと、ヴァンの中で答えのないまま転がっていた。

セナは、少し首を傾げて微笑んだ。嘲笑にも、慈愛にも見えるあの表情だった。


「私を愛しているからでしょ」


「――は」


ヴァンは顔を歪め、乾いた笑い声を吐き捨てた。


「愛だって? ちゃんちゃらおかしいな。ただの取引だっただろう。それももう、終わった取引だ! お前を殺さなかったのは、ただの気まぐれだ。今すぐに殺したっていい」

「なら、やってみなさいよ」


そういって、セナは立ち上がり、壁に立てかけてあった古びた剣を手に取った。どう見てもなまくらの安物だ。

セナが構える。

ヴァンが教えた構えだった。相変わらず腰が高く、握りも緩い。

微笑みはもう消えていて、真剣な表情だった。


「……やめろ。無駄だ」


ヴァンの声が、動揺で揺れる。

何をしてるんだ。そんな、付け焼き刃にすらなってない構えで、俺に勝てる訳がないのに。

命乞いをしてくれ。そうでないと、本当に――。


「やってみなきゃ、わからないでしょ」

「待て――」


セナが踏み込んだ。


打ち合いは、一合で終わった。

ヴァンの体は勝手に動いた。なまくらは半月を描いて壁に跳ね、次の瞬間、セナは床に組み敷かれていた。ヴァンの剣の切っ先が、その白い喉元に――触れる寸前で止まっていた。


「……ほらね、殺せない」


組み敷かれたまま、セナが言った。

ヴァンの指先に、痺れが走る。剣を握った右手が、小刻みに震え始める。


「知ってる? 羊を屠殺するときってね。いちばん世話をした人間がやるのよ。……そのほうが、怖がらないから」

「お前……」

「あの時、言ってくれたでしょ。

――『使えるものは、なんでも使ったらいい』って」


カランと音を立てて、剣が床に落ちる。

視界が滲み、大きく傾く。身体を支えていられなくて、ヴァンはそのままセナの上に倒れ込んだ。


「――――」


台所のシチューの鍋。その横に銀色の小瓶がひとつ、蓋を開けたまま置いてあるのが、揺れる視界の隅に見えた。


「……はは」


笑い声が漏れる。乾いた、ひび割れた笑いだった。それはすぐに咳に変わり、血の味が、口の中に広がった。

激しく咳込む。口から血が飛び出し、すぐ横にあるセナの頬に点々と付着する。セナは避けなかった。


「そう、か。復讐か……。そのために、俺をここへ……」


吐血が混じり、濁って潰れた声が出た。


「……違うわ。

後悔しているの」


セナの声は静かだった。


「あなたが羊を殺したってわかった時、正直に村の人に話して、あなたを放逐していれば、きっとこうはならなかった。

私の、あなたを利用して村を出たいっていう気持ちが、この結果を引き起こした。

あなたが異常者だって、私だけはわかっていたのに」


セナはヴァンの顔を見つめる。


「それに……、あなたに言った『村を出たい』という欲求すら、正確じゃあなかったの」



――『竈もそろそろ直さないとねぇ』

――『ヴァンに頼めばいいわ。きっと安く済むわよ』



「今までは、母に未来の話をされるのが、苦痛だった。断りなく自分が勘定に入っているのが、たまらなく嫌だった。

でもあなたと"契約"してから、そうじゃなくなってるって気づいたの。

あなたという、村を出るための切符を手に入れた時点で、私はほとんど満足していた。私は、きょうだいのなかで自分にだけ選択肢がないことが不満だっただけで、あの村に愛着がなかったわけではなかったのよ」

「――」


ヴァンは何かを言いかけるが、血の絡んだ咳に阻まれる。


「ええ。ごめんなさい、今更よね」


咳込むヴァンに、セナは眉を下げて自嘲的に微笑む。


「あなたのこともよくわからず、自分のこともよくわかっていなかった。だからこんなことになった。

私の責任なの。あなたを警吏に突き出して、あなたが首を括ることになったとしても、私の分の罪が残る」


ヴァンの意識に徐々に靄がかかっていく。それでも、セナの言葉にしがみついていた。聞かないといけない話だと思った。


「だから、責任を取るわ。自分の手を汚して、真っ向から憎んで、殺すわ。あなたを……」


そこでセナは言葉を区切り、ヴァンの頬に触れる。指先が血でぬかるんだ。


「あなたを愛していた、1人の人間として」


ヴァンが大きく目を見開く。


「あ、い……?」


ヴァンの声は虫のように弱く、小さかった。


「うん。……きっと、これがそうなのよ」


セナは優しく頬を撫でる。

セナはずっとヴァンの目を見つめていた。形だけの愛を与えているうちに、いつしか本当の愛と区別がつかなくなった、この男を。


「わか、らない…。難しいよ、お前の……話は……」


喉から血が溢れ、言葉はまともな音にならなかった。

目も、もうよく見えない。音が、匂いが、温度が、何もかもがヴァンから遠ざかっていく。

頬に当てられた手の感触だけが、最後の瞬間まで残っていた。



*



セナは、冷たくなっていく体を抱いたまま、長い時間動かなかった。

やがて、体の下からゆっくりと抜け出し、立ち上がる。乱れた髪と服を直す。

板壁の隙間の光は、橙から藍色に変わっていた。

戸を開けて、人の姿を探す。ちょうど前の通りに、若い男が通りかかった。


「そこの人」

「はい。……ひえっ」


男は、街灯に照らされたセナの顔の血を見て悲鳴を上げた。


「そこの小屋で、人を殺しました。警吏を呼んでください」

「え、ええっ……」


男は狼狽してあとずさったあと、走り去って行った。

セナは小屋の中に戻る。

床に転がったままの、ヴァンの剣の柄を握って持ち上げる。

重くて、剣先は持ち上がらなかった。こんなに重いものを、この男は生涯握らされていたのか、と思った。

セナはその剣を引きずって、男の亡骸の隣に、そっと横たえた。


「……っ」


嗚咽が漏れ、涙がこぼれる。拭っても、あとからあとから溢れてきた。

ゲルダが死んでから、初めて流した涙だった。

そのまま、警吏が到着するまで、セナは声をあげて泣いていた。




終


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