第2章 仮面の日々
朝五時の厨房には、もう火が入っていた。
「やっぱり男手があると、仕込みも楽だねぇ」
水瓶を二つ同時に運ぶヴァンを見て、ゲルダは満足そうに言った。
「力仕事はもう、私ら女手だけだと厳しくてねぇ。バカ息子たちが出ていっちまったから」
「お役に立てて良かったです」
食堂の仕事は、覚えてしまえば単純だった。仕込み、昼の波、片付け、夕の波、片付け。
だが、慣れるにつれて、それ以外の仕事が増えていった。
波の合間に村の誰かが顔を出して、「屋根が」「荷車が」「井戸が」と言う。ヴァンは行って、直したり、担いだり、さらったりした。大きな身体と筋力が、よく役に立った。
その分の給料は出なかった。その代わりに、みな、芋などの野菜を袋でヴァンに渡して去っていった。
「兄ちゃん、助かったよ」
「あんた腕っぷしいいねぇ。うちの垣根もいつか頼むよ」
「はは……どうも」
礼を言われるたび、ヴァンは曖昧な笑顔で返事をした。これまでやってきた仕事とは何もかもが違っていて、なんだか落ち着かなかった。
剣の出番は、この村では皆無だった。
ヴァンには『あの日』以来、眠れない夜がたびたびあった。
そんな時は、部屋の隅に立てかけたまま埃がかぶっていきそうなそれを、意味もなく鞘から抜いて、窓の外の闇に向かって二、三度振った。そして、また隅に戻して、ベッドに入った。
*
セナとは、仕事の中で言葉を交わすようになった。
皿の場所、常連の好み、水場の癖。事務的なやりとりの端々に、たまに、ふっと笑いが混ざるようになった。ヴァンがいまだに卓番号を間違える時などは、冗談めかして小突かれるようなこともあった。
その日の夜は収穫の祝いだとかで、村の広場で宴会があった。
ヴァンはセナと同じ給仕係だったが、村人たちに卓につかされ、絡み酒の餌食になっていた。
村人たちは陽気で声が大きく、ヴァンの背中をバシバシと叩きながら、同じ自慢話を三度ずつした。ヴァンはひたすら、いつもの曖昧な笑顔で返事をしていた。
宴もたけなわを過ぎた頃、酒瓶と杯を持って広場の外れの原っぱに座り込んだところで、後ろから声がした。
「一杯ちょうだい」
セナだった。返事を待たずに隣に座り、ヴァンの杯を取り上げて飲む。給仕用の前掛けをつけたままだった。
「宴会は?」
「真ん中の卓に全部置いてきた。もうみんな酔ってるから、誰が運んでも一緒よ」
「すみません。手伝えなくて」
「いいのよ。仕方ないわ」
セナは杯を返し、ヴァンに向き直った。
「ねえ。あなた、なんでこんな辺鄙な村に来たの?」
ヴァンは咄嗟に返事ができなかった。この村に来てから幾度となく、つい先ほどの席でも聞かれた問いだった。その度に、ヴァンは曖昧な笑顔で曖昧な返事をしていた。
酒のせいか、夜のせいか。ヴァンはしばらく黙ったあと、ぽつぽつと話し始めた。
「少年兵だったんです。もともと」
セナは少し目を見開いて、息を呑んだ。
「物心ついた頃には戦場にいました。親の名前も顔も知りません。兄弟は、同じ戦場の少年たち。でも、その兄弟も毎日減ったり増えたりしていました。
15歳くらいまでは、傭兵として生きてきました。そのあたりから情勢が変わって、戦争が減ってきて、魔物被害の方が多くなってきました。だから、冒険者に鞍替えしたんです」
セナは黙って聞いていた。
「『暁の翼』……そこそこ名の売れたパーティでした」
*
冒険者の仕事は、あまり傭兵と変わりなかった。殺す相手が、人間か魔物かという違いだけ。
パーティメンバーは仕事だけの関係で、特に仲が良くはなかったが、ヴァンの剣術は重宝されていた。
『あの日』――、『暁の翼』は深層の主を討った。
それなりに死闘を演じ、メンバーは消耗しつつも達成感を感じていた。あとは素材を剥ぎ、名誉を担いで地上へ戻るだけ――のはずだった。
中層の隘路で、魔物の群れに呑まれた。
行きに掃討したはずの区画だった。あとになって知ったことだが、通路に誘引香が焚かれていた。
仕掛けたのは、同業者だった。名前だけは聞いたことのある、うだつの上がらないパーティ。消耗しきった一行を魔物に襲わせ、頃合いを見て「回収」に入る算段だったらしい。素材も討伐の名誉も、死人からなら、いくらでも横取りできる。
彼らの狙いどおり、『暁の翼』は窮地に追い込まれた。盾役は膝をつき、魔導師の詠唱は途切れ、そのさらに後方で誰かが泣き叫んでいた。魔物の向こうに人影が並んだとき、皆は最初、救援が来たと思ったようだった。その人影がこちらに向かって、弓に矢をつがえるのを見るまでは。
ヴァンは前に出た。
そこから先を、ヴァンはあまり覚えていない。いつもそうだ。体が勝手に動く。そんなところも、あまり傭兵と変わりない仕事だった。
剣を抜いた男を斬った。
壁際に張り付いた男を斬った。
来た道を逃げていく男を斬った。
最後の一人は、膝をついて、何かを叫んでいた。金の話をしていたようにも、母親の話をしていたようにも思う。
命乞いは意味がない。少なくとも、これまでヴァンがいた戦場ではそうだった。
気づけば、立っているのは自分だけだった。魔物と人間の骸の混ざった血の海の中で振り返ると、パーティの全員が、へたり込んだままヴァンを見上げていた。
その表情は、一様に恐怖で固まっていた。
リーダーがゆっくりと口を開く。
自分の仕事をしただけで、殊更な感謝を期待したわけじゃない。ただ、当然ねぎらいの言葉はあるものと思っていた。
「――普通、殺すか?」
掠れた声でヴァンに届いたのは、そんな言葉だった。
それに追従するように、盾役と魔導士が口を開く。
「人間だぞ、相手……武器、捨ててたじゃねぇか……」
「……怖いよ、オマエ」
*
ヴァンは勾留された。
人が四人死んでいる以上、当然の手続きだった。石造りの狭い部屋で、ヴァンは訊かれたことに答え、あとは壁を見て過ごした。壁を見て過ごすのは、慣れていた。
調べは、ひと月かからなかった。現場に残った誘引香の燃えさし。連中の根城から出た計画書。先に得物を向けたのはあちらだという、パーティ全員の証言。法は、ヴァンの剣を正当防衛と認めた。放免、咎めなし。
勾留のあいだ、面会は一度もなかった。
放免の日、ギルドの窓口で私物を返された。剣と、路銀の入った革袋と、その上に、一枚の書類が載っていた。
除名通知だった。
理由の欄には、リーダーの筆跡で、こうあった。『非道な鬼畜剣士とはやっていけない』――。
「そうか」
ヴァンは、誰に言うともなくそう呟いた。窓口の職員が、びくりと肩を揺らした。
法はヴァンを無罪にした。認めなかったのは、人の目のほうだった。
そうして、ヴァンはギルドを出た。
*
「酷い話ね」
ヴァンが話し終えると、セナは短くそう言った。
「それは、どっちのことですか?」
「え? そりゃあ、あなたの仲間のことに決まってるじゃない」
セナはこともなげにそう言った。
「あなたはみんなを守っただけなのに。そうしてなきゃ、みんな死んでいたのに。感謝こそすれ、放逐するなんて。酷いわ」
「……でも、『怖い』と言われた。自分のしたことは間違いだったのか……今でもよくわかりません」
勾留が明けてから、新しい冒険者パーティの求人をいくつか眺めた。
剣士募集中。前衛募集中。経験者歓迎。
どこでも役に立てる自信はあった。
だが、同じ危機に陥ったとき、きっと同じことをすると思った。しない理由がなかった。その度にあのように勾留されては、たまらないと思った。
「それで……いったん、戦うこと自体をやめてみようと思ったんです」
「それで、辺境に?」
「はい。今は自分の居場所を探してます」
「居場所……」
セナが口元で小さく反復する。
「見つかるといいわね。でも正直、ここで探すのはおすすめしないわね。いるのは老人ばっかりだし、なんの娯楽もない」
セナは軽く笑って、ヴァンの顔を見た。
「それにあなた、ここにずっといると、いつか私と結婚させられるわよ」
ヴァンは黙った。どう答えるべきなのかわからなかった。セナは気にした様子もなく、言葉を続ける。
「ヴァン。あなた、この村が好き?」
「……どうかな」
「ふふ。正直なのね」
セナはじっとヴァンの目を見つめる。
「私はね。この村大嫌い」
また、ヴァンにはどう答えるべきなのか難しい言葉だった。
「セナは……ここの生まれ?」
「生まれも、育ちも、死ぬのもね」
セナは酒瓶から直接あおって語る。
「兄さんは数年前に街の工房へ。弟も、こないだ行商について出てった。
私だけ。『娘だから』『店があるから』『年老いた母さんがいるから』
私だけ、勘定に入ってるの。この村の備品として」
「……」
「こんなこと言ったら気を悪くするかもしれないけど。あなたが羨ましいわ。力で身を立てて、どこへでも行けて」
セナは夜空に視線を移してそう言った。ヴァンは自分の手を見る。無数の傷と節くれが、今までの旅路を思い出させた。
「……羨ましがるようなものじゃないですよ」
少し考えて、続けた。
「でも、村を出たいなら……。使えるものは、なんでも使ったらいいです。俺はいつも……使われる側でした」
セナはヴァンを見た。何かを言いかけて、やめて、代わりに立ち上がった。
「ねえ。それなら、剣術を教えてよ」
「え?」
「私も、力で身を立てるの。あなた、剣士辞めたんでしょ? なら、私が剣士になる。そうなったら、私が出ていく時にその剣をちょうだい」
「何言ってるんですか」
酔っている、とヴァンは思ったが、セナはお構いなしに、その辺に転がっている棒切れを吟味し始めた。仕方がないので、ヴァンは自分も立ち上がり、セナに握り方と構えを教えた。
酷いものだった。手の握りはフニャフニャに緩く、腰は高い。踏み込めば三歩で転ぶ構えだ。
「もっと腰を落として」
「落としてるじゃない」
「全然高い」
「先生、厳しい」
これではまったく使い物になどならない。それでもセナは、なんとなく楽しそうに棒を振っていた。月の下で、酔った素人が棒を振っている。ただそれだけの光景を眺めて、ヴァンの口元は少し綻んでいた。
宴会の喧騒がいつまでも遠くに聞こえていた。
*
羊が死んだ。
羊飼いのミロの柵の中で、朝、一頭が血まみれで横たわっていた。獣にやられたにしては、傷が妙だった。切り口が鋭利すぎる。狼の顎はあんな傷を残さない。
一頭で終わらなかった。数日おきに、一頭、また一頭。
「物盗りでもねぇ。肉も持ってかねぇんだ」
「呪いだべか。くわばらくわばら」
「めったなこと言わんでくれよ。俺が何したってんだい」
ミロは小柄で小心者の男だった。村人たちの勝手な憶測に対し、額の汗をしきりに拭いながら怯えていた。
その日食堂に集まった男たちで、夜警が組まれた。
夜、ミロの家に集まり、裏口と表口に分かれて見回りをする。
ヴァンも要請を受けて参加していた。お前のような大男が居れば心強いから、という理由だった。
「皆ありがとなぁ、ありがとなぁ」
ミロは汗を拭きながら、もう片方の手でヴァンの手を握って感謝の意を示した。ヴァンは曖昧に笑った。
見回りのついでに、男たちは現場を確認した。松明で照らし、思い思いに覗き込む。
羊の亡骸は掃除されていたが、小屋に染みついた返り血が黒くなっていた。
「ああ、本当だ。ひでぇことするもんだ」
「兄ちゃん、あんた冒険者だったんだろ。魔物ってやつの仕業じゃねぇのか、こりゃ」
「……魔物なら、痕跡が残ります。足跡か、体毛か、匂い。何かの痕跡が」
「痕跡ねぇ」
皆は現場を検分した。とはいえもう亡骸も始末された後で、素人に何か見つかるとも思っていないようで、なんとなく血の跡や土の擦れなどを眺めるだけだった。
だがヴァンは柵の外れの草むらに、それを見つける。
柄巻きの革の切れ端だった。
「どうだい、兄ちゃん。何か分かったかい」
「あ……。いえ」
「そろそろ始めっかね」
「はい」
ヴァンは村人から見えないようにその切れ端を拾い、袖の中に握り込んだ。
*
「昨晩は出んかったのぉ」
翌日の食堂で、昨日の夜警に参加した男たちがぼやいていた。ミロはまた汗を拭いていた。
その中の一人が、ずっと押し黙っていた。じっと気まずそうにやりとりを眺め、やがて重い口を開いた。
「……なぁ。羊が死に始めたの、兄ちゃんが来てからじゃねぇか」
店内が静まった。合図でもされたように、男たちの視線が一斉にヴァンへ集まる。ヴァンは皿を持ったまま立っていた。
「あんた、剣を持ってるよな。そんなもん持ってんの、この村じゃあ、あんただけだ」
男たちの視線が、ゆっくりと疑念に歪んでいく。
「おだまり!」
ぴしゃりと一喝する老婆の大きい声に、男たちがはっとする。
厨房から、ゲルダが鍋杓子を持ったまま出てきていた。
「この子はね、毎日毎日朝五時から水汲んで薪割って、文句一つ言わないんだ。あんただって、自分の家の屋根をこの子に直させたんじゃないのかい?
よそ者だからって言いがかりをつけるんなら、あんたが明日から水汲みをするんだね!」
「別に、よそ者だからってわけじゃあねぇけどさ……」
発端の発言をした男は首をすくめ、ぶつぶつとぼやいている。語気が明らかに弱まっていた。
「やめとけ。ゲルダ婆さんに逆らったら、この村では生きていけねーんだから。
悪かったな、兄ちゃん」
別の男が、ヴァンの肩を叩いてからりと笑う。
発端の男はむっすりと黙って、炒め飯に戻った。
それで、この話は終いになった。
「……ありがとうございます」
「ふん。さっさとその皿を運びな」
ぶっきらぼうに言って厨房へ踵を返すゲルダの背中に、ヴァンは曖昧な笑顔を返し、四番へ皿を運んだ。




