薔薇の企み
それから九日目の宵のことだった。明日の真夜中で、薔薇の誓約は成就する。
町のはずれの酒場に座り込んで、ぼやいているのはヴィクトルの屋敷に住み込みで働いている厩番のニックだった。
さっきからずっと、店の親方と顔見知りの客相手にぼやき続けている。
「だからさぁ。なんであんなに薔薇の花を集めなきゃいけないんだか、俺にゃさっぱりわかんねぇよ」
「すごい話だな。でもまぁ、ちょろいもんだろ? それくらい」
隣の若い男がエールを飲みながら相槌を打つと、ニックは首を振った。
「それがそうでもねぇんだよ。なかなか、大変だったんだよ。あの広い屋敷だろう? 実にいろんなもんがあるんだよ。そいつを洗いざらい集めなきゃなんねぇんだぜ」
「魔法で集めりゃいいじゃねぇか? 魔術師なんだろ? あんたんとこの旦那」
反対側に座ったひげの男が、ナッツを口に放り込みながら言うと、ニックは渋い顔をして見せた。
「それがなぁ。なんかの決まりで集めるときは、魔法は使えないとか言い出してさ。全部おれたちの手作業さ。自分の仕事おっぽりだして、枕カバーだの女物のレースの下着だの古いカーテンだの、しまいにゃ壁紙まで剝がす羽目になって・・・・・・。まったくひでぇ十日間だったよ」
ニックは、ぐいっと自分のグラスを空けた。すでに三杯目だ。だいぶいつもよりピッチが早い。よほどこの十日間がこたえているものらしい。
「あげくによぅ、自分の屋敷へ戻るにもよぅ、いちいち門のところで身体検査だぜ? 薔薇の花はもちろん、魔法のかかってるものも一切持ち込めねぇんだと。やってらんねぇよ」
はぁ、大変だなぁと周りの客が、同情の声をあげている中、少し離れた隅に座っている流行の帽子と揃いのマントに身を包んだ青年だけは、葡萄酒のグラスを口に運びながら何かを真剣に考え込んでいる。
「それよりもなぁ、やっかいなことになっちまってさ」
「どうしたんだね?」
店の親方が新しい酒のグラスをニックに渡した。
「俺さぁ、今度結婚するだろう? そいつの名前がローズっていうんだよな」
隣の席の男がエールを吹き出した。
「まさか、そのローズさんも差し出せとかいわれたわけじゃねぇよな?」
「笑い事じゃねぇよ。そんなことになっちゃ困るから、明日までローズはお屋敷に立ち入り禁止さ。そうじゃなくてさ。俺、今度結婚するときのためにローズの名前にちなんで薔薇の花の首飾り、買っといたんだよ」
「あぁ、もしかして取り上げられたか?」
ニックは暗い顔でうなずいた。
「困ってるんだよ。結構高かったんだ。ローズがさ、名前にちなんだものを結婚式の前にもらうと幸せになれるとか信じてるからさぁ。あさってには会えるから渡そうと思ってさ。こっそり自分の部屋に隠してたんだけど、ついに見つかっちまってさ」
「あさってならもう終わってるだろ、その騒ぎも。返してくれねぇの?」
ニックは、ため息をついた。
「あとにしろってよ。旦那、すっかり頭に血ぃのぼっているからよ。おれみたいな下っ端の話なんか聞いてくれやしねぇ。あんなとこ、やめちまいてぇけど金はねぇしな」
再びニックは自分のグラスを空にすると、乱暴にカウンターに置いた。
「もう一杯、注いでくれや、親方」
いつのまにか、隅に座っていた青年は姿を消していた。
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ニックがその酒場を出たのは夜もだいぶ更けてはいたが、まだ真夜中にはもう少しあるという時間だった。
この十日間は、身体検査のほかに門限まであるのだ。しかも明日は、一切外出禁止と聞いている。
「まぁったく、ふざけてんじゃねぇぞ?」
ぐちぐちとまだ不満をつぶやきながら、ニックはなんとか屋敷へ向かって歩いている。
あれだけ飲んでいても、そこそこしっかりしているのは、心にかかることがあってとことん酔えなかったせいかもしれない。
「すみません」
突然、街角で静かな声がニックにかけられ、彼ははっと立ち止まった。
「金はねぇぞ? あったらもっと飲んでらぁ」
言いながらニックがぼんやりした街灯をたよりに暗闇をすかして見ると、目の前に立っているのはすらりと背の高い、盗賊の類には程遠い風情の身なりのよい若い男のようだった。
流行の帽子を目深に被り、揃いのマントを着ている。帽子の端から少しだけ見える髪の色は淡い金色だった。
青年は白く整った顔に、にっこりと優しげな微笑を浮かべた。
「いきなり失礼いたしました。僕は怪しい者ではありません。さっき酒場であなたのお話を聞かせていただいて、もしかしたらお役に立てるかもしれないと思ったんです。実は僕、飾り物を作る職人の修行をしているんですけれど」
ニックは首をかしげた。
そうは言うが、どこから見ても青年は飾り職人には見えない。
訝しげなニックの様子に、青年は少し悲しげな顔をした。
「見えませんよね、きっと。ええ、わかっています。本当を言えば、職人になりたいんです。でも、父が反対しておりまして。お前の作るものなど売り物になぞならない、誰も欲しがるもんかと、そう言うんです」
青年はそこで言葉を切ってマントの内側の隠しから、光る何かをそっと取り出した。
「でも、僕、できたらこういう物を作って、誰かに喜んでいただきたいと思っているんです」
青年の手の上に乗っているものは、街灯の灯りを柔らかく反射する三インチ(8cm)四方の透き通った立方体だった。
「これは水晶でできています。それでもしよかったら、あなたにもらっていただけると嬉しいと思って」
ニックは手渡されたその立方体を不思議そうに見た。
手にとって目を凝らしてみても、薄い街灯に照らして透かして見ても、ただの水晶の四角い置物にしか見えない。
底の部分には滑り止めのつもりなのか、銀色の革のようなものが張ってあるが、加工といえばそれだけのようだ。
確かにこの大きさの水晶は高価だろう。だが、それ以外の価値はまるで認められない。
『こいつぁ、あんまし、腕もセンスもよくねぇな。親父さんの言うとおり、職人にはなれやしねぇだろ』
と、ニックは胸の中でこっそりつぶやいた。
「それ、薔薇の花なんですよ。だからローズさんにはぴったりじゃないかと思って」
青年が少しはにかむような笑顔を見せた。
ええっ?! と、ニックは驚いた。
どう考えても薔薇の花にだけは見えねぇ。こいつぁ、ちぃっと頭のねじが緩んじまってるんだろうか? 可哀想になぁ、いい男なのによ。
「嫌だな、そのままじゃ薔薇は見えないですよ。こうするんです」
ニックのいささか同情のこもったまなざしに気づいたかどうか、青年は彼の手から水晶体を取り戻すと、ある動作をして見せた。
そして再び青年は、ニックの目の前に立方体を突き出した。
なんと立方体の中には、銀色に輝く美しい薔薇の花が出現していた。まるで銀の薔薇がたった今、水晶の中で生命を得て咲きほころんだかのようだ。
「おおぉ! こりゃ、すごいっ! なんて綺麗なんだ・・・・・・」
ニックは、水晶を受け取ることも忘れて、しばし銀の薔薇に見惚れた。
やがて見守るニックの目の前で薔薇は薄れ、静かにかき消えた。
あとにはただ、透明な水晶体が残るばかり。
「いかがですか? ローズさんにプレゼントするにはうってつけ、でしょう?」
ニックは素直にうなずきかけて、いやいやと 頭を振った。
「だめだ、だめだぁ。魔法でできたもんは門前で取り上げられちまうんだよ。隠していても全部ばれちまうのさ。中へは持って入れねぇよ」
残念そうな口調に、青年はにっこり笑った。
「大丈夫ですよ。これは魔法ではありませんから・・・・・・」
ええっ? とニックは驚いた。
瞳をこらし、念入りに水晶体を覗き込む。やはり薔薇の花など入ってはいない。
青年が再び、覗き込むニックの目の前でさっきしたような動作をして見せた。水晶体の中に銀色の薔薇が咲いた。じっと眺めていると、薔薇がゆっくりと溶けて崩れるようにかき消えていく。
こんな不思議な薔薇の花が、魔法ではない? じゃあ、この薔薇は、いったい何なんだ?
まるでニックの心の声を読んだかのように青年は、薔薇の消えた水晶体をニックの手に押し付けた。
「僕の作った細工物ですってば。本当ですよ。物は試し。持って帰ってみませんか?」
だめで元々かぁ、とニックはつぶやいてその水晶体を受け取ると、大事に上着の隠しに入れてニックは礼を言った。
「本当にいいんだな? ただでこんないいもん、貰っちまってよ? ありがとうよ」
「お礼を言うのはこちらのほうです。もらってくださってありがとうございます」
青年が礼儀正しく帽子を取って優雅に一礼すると、腰までありそうなくせのある金色の髪が滝のように背に滑り落ち、緑の右目と、一瞬だけ金色の左目がきらりと光った。だが、ニックはもうすでに彼に背中を向けて、上機嫌で屋敷へ向かって歩き出していた。
その背中に向かって、青年はもう一度、丁寧に一礼した。
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「さて、今日で十日目だ。覚悟はできているのかな? 私のフェリシア姫?」
気取った態度でヴィクトルが現れて、広間に置かれた薔薇の花柄のソファに腰掛けているフェリシアにむかって、歯をむき出して笑いかけた。
あたりには実に色々なものが、所狭しと置かれている。それらすべてに、多分薔薇の花の模様がついているのだろう。大きな広間のほぼ半分がそのような物に埋め尽くされている。
フェリシアはふんといった態度で、ヴィクトルを睨むのをやめない。
「わたしは、あなたの姫君なんかじゃないわ。いいかげんあきらめたらどうなの? 他人の恋人に無理矢理、手を出そうなんて趣味が悪すぎよ、不吉で陰気なヴィクトルさん」
一瞬、ヴィクトルは大嫌いな呼び名にさらに付け加えられたいやな形容詞にむっとした顔をした。
「そんな態度も今日までさ。ついにお前の色男は、お前を助けられなかったな。残念なことだ」
フェリシアは唇をゆがめ、くっと顎を上げて見せた。
「まだわからないわよ、そんなこと」
「奴は魔法の薔薇を何本もいろんな形で我が屋敷に送り込んできたが、端から全部捨ててやったぞ。お前の色男は、実に間抜けな男さ。奴の魔法なんぞ実際のところ、何の役にもたちはしない。屋敷に入れなきゃ意味がないんだからな」
「しかたがないわね。彼の魔力は強いから、あなたのちゃちな魔法探知の力でもすぐばれちゃうものね」
フェリシアが、ことさら華やかににっこりと笑って見せた。
「馬鹿な! どんなに隠しても、魔法の気配だけは隠しきれるものではない。それだけは確かなことさ。奴が間抜けなだけだ」
吐き捨てるようにヴィクトルが言ったが、すでにフェリシアは興味がないわ、という顔をしている。
だが、ヴィクトルの言葉にはフェリシアも心の中では同意するしかない。魔術師は、魔法の気配には敏感だ。微力なものでも、時間のたった古い魔法でもどんなものでも気配だけは感じる。もっとはっきりと誰がかけたどんな魔法なのか、すらわかることもある。
彼はきっと、極力魔法の気配を押えた薔薇の花を屋敷へ送り込もうとしたのだろうが、それらはすべてヴィクトルによって排除されているのだろう。ヴィクトルは自信を持っていた。今現在、屋敷の中にある魔法のものは、自分がすべて把握している。
薔薇の花は、片端からすべてこの部屋に集めてある。完璧だ。勝ち誇ったようなヴィクトルの表情に、フェリシアの心は重くなる。
『お願い、あなた。わたしを助けて』
フェリシアは心の中で、祈るように何度も彼の名前を呼んだ。
「さぁ、誓約を確認してもらおうか」




