薔薇の誓約
マリオン外伝となります。全3回です。
自分の中ではいつものフェリシア(とその色男とやら)とはちょっと――かなり?――違うイメージなのですが、まぁこういう面もあるかもと思っていただければ。
外伝ですので、何も考えずわりと好きに書いてます。
(2004年ごろのリライト)
力尽きた。ここまでだ。
透き通った柔らかな布で出来た長いドレスが、まるで蒼い花弁のように銀色に磨かれた床に広がり、彼女はその中で気を失いかけていた。
それはまるで蒼い薔薇の花を逆さに伏せたようでその真ん中の彼女の顔は、青ざめてはいたがとても美しかった。
ただし、白い顔はいつにもまして血の気を失い、整った赤い唇は苦痛に歪み、黒目の勝った大きな双眸は、不安と悔しさに揺れている。
荒い息をついて彼女ががくりと顔を伏せた拍子に、結い上げられて光るピンで留められた漆黒の彼女の髪からひとふさの後れ毛がはらりと落ちた。
そのそばに立って不敵な笑いを零しているのは、長く黒いマントとチュニックに痩せた身体を包んだ背の高い鷹のように鋭い目つきをした男だった。
男は魔術師だった。
そのまま彼は静かに片膝をつき、細い女の顎に手をかけくいっと乱暴に上を向けた。
「負けたな、フェリシア。何度もしてやられたが、今度こそ俺の勝ちだ」
男の顔には先ほどよりもいやらしい笑いがきざまれている。
フェリシアと呼ばれた若い女は、口元にそれとはっきりとわかるような軽蔑の笑いを浮かべた。
「不吉なヴィクトルめ」
ヴィクトルは自分の大嫌いな通り名を呼ばれ、眉を寄せ口元をゆがめた。
「ふん。強がりでも何でも言っていればいい。お前が最近熱を上げているという、あの金髪の色男が助けに来るとでも思っているのか? お前は今ここで俺のものになるんだ」
そしてヴィクトルは、そのまま悔しげに睨みつけるフェリシアの赤い唇に強引に深く口づけようとした。男は女の赤い柔らかな唇を無理やりこじあけようとする。
すると突然、ぱんっという乾いた音が響き渡った。閃光があたりを蒼白く染め、それとともにヴィクトルの身体はフェリシアからいきなり十ヤード(9m)も離れた床へはじき飛ばされていた。
とっさに受身の姿勢をとり、かろうじて無様に転がることだけはさけて立ち上がっては見たものの、一瞬の間、ヴィクトルは自分の身に何が起こったのか訳がわからずにいた。
一体何が自分の身体をここまではじき飛ばしたのか、それは魔法しかありえない。だが、先ほどの勝負で力を使い切ったフェリシアにこんな魔法が使えるわけがない。
しかもその時点で彼は、彼女が逃げることが出来ないように屋敷中に自分の結界を張っていた。結界の中ではましてや魔法など使えまい。
訝しんでいる男の耳にフェリシアの低い笑い声が届いた。
「残念だったわね。わたしの色男の魔法は、あなたの結界より強いらしいわ」
フェリシアの大きくくられたドレスの胸元に息づく白い豊かな谷間で、ドレスと同じ深い蒼色の大きな石がはめこまれた美しい凝った細工の首飾りがヴィクトルを嘲笑うように揺れている。
怒りと屈辱に目元を赤く染めながらヴィクトルはつかつかとフェリシアに歩み寄り、細い首からその首飾りをもぎ取ろうとした。
だがヴィクトルがそれに手を伸ばすと、首飾りは生き物のようにびりびりとした痛みを伴う鋭い気を吐きつけ、その手を拒んだ。
その強烈な気配に手を出しかねているヴィクトルを小ばかにしたようなフェリシアの含み笑う声が、余計彼の癇に障った。
結界の中でさえなければ、フェリシアは最後の気力を振り絞り、そのまま風にでも姿を変えて逃げ去っていたかもしれない。だが、今の状態ではたとえ首飾りの助けがあってもそれはかなわないことだ。フェリシアは俺に負けた。
彼は自分にそう言い聞かせ、その額に神経質そうな青筋をたてながらも、歯を食いしばり笑って見せた。
「だが、それも何度も持つまいよ。いくらあいつの魔法でもそういつまでもこの結界の中で効力は発揮できぬさ」
痛いところを突かれてフェリシアは眉をしかめ、護りを求めるように胸の首飾りへ思わず手をあてた。
つんと顔をあげ鼻からヴィクトルを斜めに見下ろして、精一杯虚勢を張る。
「あなたなんかに好きにされるくらいなら死んだほうがよっぽどましよ」
ふん、とヴィクトルは鼻で軽くあしらい、フェリシアの美しい顔に指を突きつけた。
「その強がりがいつまで持つかな?ここは俺の屋敷だ。結界はいつまででも続けられる。お前に外へ出る余裕など与えるつもりはないぞ?」
フェリシアの赤い唇が微かに開かれゆっくりと動いた。だが言葉は表へ出てこない。
その様子がまるで打ちひしがれショックで呆然としているように見えて、それに気をよくしたヴィクトルがなおも言いつのった。
「お前も大人しくしていれば、いつかは出してやるさ。そうだな、何年かして俺がお前に飽きるか、お前が従順になったらな。その頃まであの色男が・・・・・・」
「ねぇ、ヴィクトル・レンデル」
ヴィクトルの声をさえぎるように急にフェリシアが改まった口調で彼のフルネームを呼び、ヴィクトルは思わず「YES」と返事をした。
「ヴィクトルはこの部屋に屋敷内の薔薇をすべて揃えるべし。かなえばヴィクトルの誓約は成立し、薔薇が揃わぬときはフェリシアの自由という誓約が成立す」
続けてフェリシアの口から抑揚のない誓約の呪文がつむぎだされた。
「なにっ! まさかそれは『薔薇の誓約』かっ?」
ヴィクトルは慌てたような声をあげた。どうやら先ほどからフェリシアが声を出さずに口を開いていたのは、こっそりと呪文の前半部分を唱えていたもののようだ。
フェリシアの問いかけにYESと答えたヴィクトルはその誓約を受けたことになったらしい。フェリシアはその赤い唇に微かに笑みを浮かべて最後の仕上げをした。
「ここに魔女フェリシアと魔術師ヴィクトル・レンデルは薔薇の誓約をかわす」
そして、呪文は成立した。
ヴィクトルが驚いたのも無理はない。
この呪文は『創始の魔法』と呼ばれるもののひとつで、ほとんどの場合はほんの気休めの『おまじない』といわれる類のものだ。ごくごく普通の人々が気軽に日常生活の中で行うようなものである。
だが、これが意外と曲者だ。
普通の魔法ではないために結界の中でも呪文を唱えることができる。しかもきちんと呪文として作動する。
いや、というよりも、実は結界の中のほうがより強力に作用するのだ。
そのへんの魔法理論についてはまだよくわかっていない部分もあるが、うまく呪文同志を組み合わせて使用する魔術師も中にはいる。
今回のように魔法を使えないときに呪いでフォローする場合もある。魔法の力が尽きていても作用するからだ。
今、フェリシアが唱えた呪文は、俗に『薔薇の呪い』と呼ばれている。正式には『薔薇の誓約』という。
早く言えば「何々が完璧にできたら、こういうことをしてもよい(あるいは、こういうことができる)」というようなものだ。この呪文はいろいろなところで応用ができ、一人でやる場合と複数人数でやる場合がある。
よくあるパターンとしては、子供がよくやる「街角のあそこまで息を止めていられたら、今日はいいことがある」というようなたわいもないものだ。複数人数でやるものとしては、「私にあの星をとってきてくれたら、結婚するわ。できなければ二度と私と会わないで」というようなことになる。(まぁこの場合は断られていることとイコールのような気もするが)
だが、フェリシアが唱えたものは応用ではなく原型、最初からある『薔薇の誓約』の呪文だった。
これは誰がはじめたのかいろいろ説がある。
一般に伝わっているのは、こういう話だ。
ある魔王の娘が人間と恋をした。もちろん父である魔王はそれを許さない。
だが、娘の涙に負けた魔王は求婚者に国中の薔薇を所望した。
もし集められなければ、彼はその身を鳥と変え、この国から永遠に追放されるべし、という約束がなされた。
求婚者は一所懸命、薔薇を集めたが、最後の一本が魔王の手によって隠されたことに気がつかず、誓約は成立しなかった。そのため約束を守れなかった求婚者は、その場で白い鳥に姿を変え、二度と娘の前に戻らなかった、そういう話だ。
その正式な呪いの成立には、魔法が作用する。そうでなければ『本当に国中の薔薇が集まった』のかどうか、普通の人間には確かめようがない。そしてそれがかなっていない場合、相手は魔法によって約束を履行させられるのだ。
だが、この『薔薇の誓約』の一番肝心なところは、歴代の魔術師でこの誓約を破れたものはいない、ということだ。
その呪文をフェリシアは唱えた。
「屋敷中の薔薇の花よ。絵も彫り物も薔薇の花の形をしたものはみんなよ。ちゃんとこの部屋にすべての薔薇を集められたその時にあなたの願いが叶うかもね。さぁ、不吉なヴィクトル、受けるんでしょ?」
挑戦的な目でフェリシアがヴィクトルににぃっと笑って見せ、その白い左腕を天に向けて差し出した。すると何処からともなく薔薇の香りとともに忽然とその手に誓約の書が現れた。
「わたしの署名はもうしてあるわ。あとはあなたの分よ。さぁどうぞ」
すでに片方の署名がなされている場合、誓約を受けなければ不成立とみなされ、署名をしていない者――ヴィクトル――の結界魔法は一瞬で消え失せ、自由になったフェリシアは即座にここから出ることが出ていける。
いっときは驚いたものの、ヴィクトルはすぐに立ち直った。薔薇を集めればいいだけだ。しかもフェリシアは「屋敷内の」と狭い範囲で限定までしたのだ。ヴィクトルもフェリシアに余裕の笑みを浮かべて見せ優雅に一礼すると、その手に薔薇の誓約書を受け取った。
内容を改めると、先ほどフェリシアが言ったようなことがすでに書き込まれている。
「受けてやろうじゃないか。ふん、たわいもない。単なる時間稼ぎでしかないぞ?」
そこまで言ってヴィクトルは、誓約の穴に気づいた。
「おや、期限はどうした? いつまでに、という期限が区切られていないではないか」
フェリシアの顔が一瞬曇ったのを、ヴィクトルは見逃さなかった。どうやらフェリシアは、期限をつけず永遠にその約束を続けようとしたものらしい。
たとえ屋敷中の薔薇が集められたとしても、最終期限がなければ誓約の確認がされず成立しない。そうすればその誓約はなかったことと同じになる。
フェリシアはそれを狙ったのだろう。先ほどの勝ち誇った顔とは異なり、フェリシアは蒼白い顔をしている。
ヴィクトルはそんなフェリシアに見せつけるように、にやりと殊更いやらしく笑った。
「では俺から期限をつけよう。明日から十日だ」
右手にはすでに空中から魔法でつかみだした羽根ペンが握られている。
誓約書に期限の書き込みをして自分の名を書き込むと、ペンが羊皮紙を離れたとたん誓約の書は空へ再びかき消えた。
「誓約は成立だ。十日後が楽しみだぞ、フェリシア。薔薇の誓約はお前のその首飾りの魔法より強いんだからな。いかなあいつでもこれは破れまいよ」
「不吉なヴィクトルめ」
吐き捨てるように言うフェリシアを残し、ヴィクトルは満足げな哄笑を残して広間を後にした。
屋敷中の薔薇を集めるために・・・・・・。




