狂信者のアレス
10話目もぜひお楽しみください
中央の大通りを挟むように整列していた兵たちは、軍事統轄長を残し、次々と自身の持ち場や訓練区域へと散っていった。
重厚な石畳の中央には、アトラス、セラフィナ、そして軍事統轄長の三人だけが残される。
静寂の中、軍事統轄長の女性が歩み寄ってくる。
後ろで一つに束ねられた艶やかな黒髪が揺れ、彼女の足音だけが規則正しく響いた。
彼女の纏う漆黒の軍服には一般兵には存在しない軍事統轄長の階級章、そして数え切れぬほどの勲章が胸元に縫い付けられている。
それは戦歴の証であり、この軍事地区を束ねる者としての絶対的な重みだった。
彼女はアトラスの前で静かに立ち止まり、片膝をつき、深く頭を下げる。
「今回、黒鳳軍事統轄地区の案内を務めさせていただきます」
「黒鳳軍事統轄長、アレス・クロスハートです」
顔を上げた瞬間、彼女の瞳に映るのはアトラスだけだった。
その視線には、職務を超えた熱と、隠す気のない敬愛が宿っている。
「このたびはアトラス様をご案内できる栄を賜り、恐縮至極です」
アトラスは簡潔に頷き、短く返す。
「案内を頼むぞ、アレス」
その一言だけで、アレスの表情はわずかに緩んだ。
抑え込もうとした感情が、一瞬だけ、確かに溢れる。
「はっ」
立ち上がった彼女の視界に、ようやくセラフィナの姿が入る。
値踏みするように、探るように、その存在を視線でなぞる。
「あなたがアトラス様のお連れの方ですね」
「黒鳳軍事統轄地区へようこそ」
その声音は、先ほどとはまるで別物だった。
礼儀はある。
だが、温度はない。
そこには、明確な対抗心があった。
セラフィナはそれを受け止め、静かに微笑む。
「よろしくお願いしますね、アレスさん」
その言葉に、アレスの眉がわずかにひそめられる。
「……では、中へ行きましょう」
アレスは一歩前に出る。
自然と、アトラスとセラフィナの間に割り込む形で。
歩きながら、彼女は施設の説明を始める。
内部は外観以上に近代的で、無駄のない動線と洗練された構造が広がっていた。
「この軍事地区は、四階層構造になっています」
「第一階層は現在のフロア」
「主に兵たちの鍛錬と教育施設です」
「第二階層は下層」
「工廠があり、魔導兵器の開発と整備を行っています」
「第三階層はさらに下」
「領地内外で捕獲した魔獣の研究、及び飼育区画です」
「そして第零階層」
「現在地の上に位置する、統轄司令部となります」
語るアレスの声音は誇らしげだった。
「この四階層構造は、すべてアトラス様が設計・改装されたものです」
「効率性、戦闘持続性、兵への配慮」
「そのすべてが考え抜かれた、世界最高の軍事施設です」
セラフィナは周囲を見渡す。
鍛錬に励む兵たちの動きは鋭く、視線には迷いがなかった。
「……兵たちが生き生きとしているわ」
「それに、目が違う」
アレスは即座に答える。
「当然です」
「王国の騎士団とは違い黒鳳兵団は無理やり徴兵せれているわけではありません」
「私を含め、彼らは自ら選んで集いました」
「アトラス様のために」
「ヴァスタスのために」
「戦うことを嫌悪した者など一人もいません」
「死すら、アトラス様とこの地を守れるなら本望です」
その言葉に、アトラスが口を開く。
「さすがだな」
「我が誇りたちを束ねる者として」
その一言で、アレスの頬がわずかに染まる。
続けて、アトラスは静かに告げる。
「だが、死を本望だとは思ってほしくない。」
「ともに歩んでいくことを選んでほしい」
アレスは即座に返す。
「はい!」
「生きて、生涯アトラス様の御そばにおります!」
セラフィナは確信する。
この軍は、王国にとって最大の脅威となる。
戦力だけではない。忠誠が、狂信に近い。
血を流しても、決して折れず、最後まで牙を剥く軍。
アレスは歩みを止め、セラフィナを真正面から見据える。
「失礼ながら、お聞きします」
「あなたはアトラス様の、何なのですか?」
セラフィナは迷わず答える。
「共犯者よ」
アレスはその言葉を噛みしめる。
「……共犯者」
「では、もう一つ」
「あなたは、アトラス様に危害を加えませんね?」
その質問も即答するセラフィナ。
「ええ」
「約束するわ」
それでも、アレスの視線は緩まない。
「そうですか」
「完全には信用しません」
「ですが、その言葉だけは覚えておきます」
声が低くなる。
圧が、空気を歪める。
「ですがもし、その誓いに背くことがあれば」
「貴様には」
「死ぬことの方が救いだと思えるほどの苦しみを与える」
セラフィナの膝が崩れ落ちる。
心臓を掴まれたかのような動悸。
視界が揺れ、呼吸が乱れる。
その瞬間、アトラスが彼女を抱き上げた。
「アレス」
「圧が強すぎる」
「彼女は兵ではない」
「耐えられなくて当然だ」
アレスははっとして頭を下げる。
「……失礼しました」
その後、アトラスに抱きかかえられたままのセラフィナと、それを羨むアレスは施設内部を巡った。
そして帰還しようとした、その時。警報が夕日落ちる空に鳴り響く。
「住宅地区に敵性反応を感知」
「推定、蛮族ウルガ族」
「数、およそ千人」
「至急、住宅地区へ出撃せよ」
——やはり歯車は、すでに狂い始めていた。




