第30話 最後の希望
勇者は消えた。
王都を包む静寂の中、立っているのは二人だけ。
神になろうとする男、斎藤。
そして、人類最後の希望となってしまった男、卑野劣呉。
「来い。」
斎藤がゆっくりと歩き出す。
その圧倒的な威圧感に、劣呉の背筋が凍りつく。
「……無理。」
そう呟いた瞬間。
「うおおおおおおお!!」
劣呉は全力で逃げ出した。
「待てぇぇぇ!!」
斎藤も追う。
王都を飛び出し、草原を駆け抜け、森へ飛び込む。
「逃げても無駄じゃ!」
「知るかぁぁぁ!」
枝をかき分け、転びそうになりながらも走る。
勝てない。
正面から戦えば一秒で終わる。
だから逃げる。
卑怯でも、生き残る。
それが劣呉の戦い方だった。
やがて森の奥に、一面に透き通る湖が現れた。
女神が守る神聖な湖。
どんな穢れも許さない、神域。
劣呉は湖を見て、小さく笑った。
「……ここだ。」
口の中でずっと隠していたものを、ゆっくりと吐き出す。
それは、斎藤のパンツから滲み出ていた少量の白髪染めだった。
ぽちゃん。
たった一滴。
それだけで湖面が黒く波紋を広げる。
次の瞬間。
ゴゴゴゴゴゴゴ……。
湖全体が震え始めた。
空が曇る。
稲妻が走る。
神聖な空気が、一瞬で怒気へと変わる。
『…………誰ですか。』
空から、冷たい女の声が響いた。
『私の湖を汚したのは。』
森全体が震える。
木々がざわめき、魔物たちが一斉に逃げ出した。
その時だった。
斎藤が森を突き破るように姿を現す。
「ようやく追いついたぞ。」
その身体からは黒染が滴り落ち、頭頂部は神々しく輝いている。
女神の沈黙が続く。
そして。
『……あなたですね。』
「違う。」
『あなたです。』
「違うと言っておるじゃろ!」
斎藤が否定した、その瞬間。
「今だぁぁぁ!」
劣呉は両手を突き出した。
「《氷結魔法》!!」
神聖な湖が一瞬で凍り付き、斎藤の足元ごと巨大な氷塊へと変わる。
「ぬっ!?」
斎藤の動きが止まる。
劣呉は息を切らしながら、不敵に笑った。
「真正面で勝てるわけねぇだろ。」
「だから、お前には女神と戦ってもらう。」




