大和、呉へ帰還す
## エピソード76 呉入港、大和の威容
昭和二十年四月二十一日、午後六時三十分。
広島湾、呉軍港外泊地。
夕闇が瀬戸内海を覆い始める頃、港内の防備衛所と見張所に、次々と同じ報告が飛び込んだ。
「南方水道より大型艦接近――二隻!」
ほどなく、薄暮の海霧の向こうから最初の艦影が現れた。
先頭を進むのは、海上自衛隊イージス護衛艦「まや」。
四面に平板状のフェーズドアレイを埋め込んだ艦橋構造、黒煙をほとんど曳かない機関排気、艦首に一門だけ据えられた127ミリ砲。
昭和二十年の軍艦しか知らない見張員たちには、それが巡洋艦なのか駆逐艦なのかさえ判別できなかった。
だが艦尾には、はっきりと旭日旗が翻っていた。
そして、その千数百メートル後方。
夕靄の中から巨大な艦首が姿を現した瞬間、港の空気が変わった。
「……大和だ」
誰かが呟いた。
三基の四十六センチ三連装砲塔。
巨大な艦橋。
幅広い船体。
四月七日の坊ノ岬沖で失われたものと考えられていた第二艦隊旗艦「大和」が、自力で呉へ帰ってきたのである。
もちろん無傷ではなかった。
上部構造には爆撃と機銃掃射の痕跡が残り、対空火器の一部は失われ、舷側には応急修理の跡が刻まれていた。
それでも主砲塔は海上に屹立し、機関は動き、軍艦旗は降ろされていない。
造船所の工員たちが作業の手を止めた。
防空壕から出てきた兵士たちが岸壁へ集まり、誰一人声を上げることなく、二隻を見つめた。
やがて低いざわめきが港全体へ広がった。
「本当に生きて帰ったのか……」
「前の艦は何だ」
「新型艦ではない。あんな電探は見たことがない」
***
「まや」艦橋。
高梨一佐は速度計を見つめていた。
主機燃料は十二パーセントまで低下している。
ここまで来れば高速航行の必要はない。
「両舷微速。港内航行配置」
「両舷微速」
GPSの存在しない時代。
入港に使えるのはINS、航海レーダー、海図、目視方位、そして呉側から送られてくる発光信号だけだった。
「大和へ送信。外泊地まで現針路維持。速力六ノット」
「了解」
大和から探照灯が瞬いた。
――リョウカイ。
高梨はそれを見届け、短く息を吐いた。
沖縄からここまで、何度増速したい衝動を抑えたか分からない。
SM-2は尽きた。
燃料も残り少ない。
もはや「まや」は圧倒的な未来兵器ではない。
それでも、ここまで大和を連れてきた。
それで十分だった。
***
大和第一艦橋。
伊藤整一中将と有賀幸作艦長は、暮れゆく呉の山並みを無言で見つめていた。
四月六日。
この港を出た時、帰還を考えた者はいなかった。
だが今、大和は再び故郷の海へ戻った。
有賀が低く呟く。
「帰ってきたな」
伊藤はすぐには答えなかった。
やがて、
「いや」
と静かに言った。
「ここからだ」
有賀が振り返る。
「沖縄の者たちは、我々に時間を預けた。その時間を持ち帰っただけだ」
伊藤の視線の先には「まや」がいる。
「大和が生きていることも、あの艦が存在することも、これからは砲弾ではない。東京へ突きつける証拠になる」
その時、呉側から発光信号が届いた。
――ダイワ、マヤ、ガイハクチニテテイハク。
――ダイホンエイシサツダン、ミョウチョウチャク。
――ジョウリクハ、シジアルマデマテ。
有賀が苦く笑った。
「歓迎というより、監視ですな」
「当然だ」
伊藤は頷いた。
「死んだはずの戦艦と、八十年後の軍艦が突然帰ってきたのだ。疑わぬ方がおかしい」
午後六時四十二分。
大和の錨が水面へ落ちた。
重い錨鎖の音が、夕暮れの呉湾に長く響いた。
続いて「まや」も指定位置で行き足を止める。
岸壁では数百人の工員と兵士が、まだ二隻を見つめ続けていた。
誰も、この帰還が勝利なのか敗北なのか分からない。
ただ一つだけ、否定できない事実があった。
四月七日に沈むはずだった大和は、生きていた。
そしてその前には、昭和二十年には存在し得ない日本の軍艦が浮かんでいる。
電文でも、噂でも、未来の予言でもない。
鋼鉄そのものが、目の前にある。
大和が沖縄から持ち帰った最大の武器は、四十六センチ砲ではなかった。
生きてここに存在しているという、その事実だった。
夕闇の呉軍港で、戦争を終わらせるための次の戦いが、静かに始まった。
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